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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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私が小学校低学年の頃に今は亡き祖母から教えてもらった脳トレ(?)的なものが
あるんですよ。
それは「頭の中に浮かんだものをとにかく強引にでも良いから言葉で詳しく説明する」
というもので、パッと浮かんだものをひたすら説明するんですよ。

例えばオッサンが浮かんだら「頭の剥げたオッチャンで、背は低くて、歳はこれぐらいで、
服装はこれこれこうで」
とボキャブラリーを駆使して説明するんですね。

「これをやるとパッと色々な事が同時に浮かぶようになって賢くなれるよ」との事で
実際祖母はとても教養のある人だったので、私も遊び感覚で祖母や
お手伝いさんとよくやってましたが、あれから30年ほど経って賢いどころか
アホなオッサンになってしまいました、ごめんよおばあちゃん。

話が逸れましたけど、この前この遊びを思い出して30年の月日を超えて
やってみたのですが、これって脳トレというより刺激(イメージ)と反応(説明)の
繰り返しで自我という錯覚が生まれる過程みたいのを垣間見れるんで、
結構良いんじゃないかと思います。

結局自分というものも、自分というイメージなり肉体なり感情なりという刺激を受けて、
それに対しての反応に過ぎず、その蓄積で自我という錯覚は強化されていくものであります。
祖母はコンピューターおばあちゃんならぬスピリチュアルおばあちゃんだったんでしょうか。

頭に浮かんだものを詳細に説明しようとすると、ボキャブラリーを引っ張り出すのに
意外と頭使うんで、連休中ヒマな方はやってみてください。
一人でボソボソ説明してるとかなりさびしいですけど。
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読者の方から教えてもらったのですが→ ttp://chaos2ch.com/archives/4370038.html
これは結構良い事言ってると思います。

上記の内容とは少し話が逸れますが、スピリチュアルだ何だに興味を持つのも
結局は自分の為ですよね、仮にスピリチュアルな本とか読んだら確実に死ぬとか
病気になるとか決まってたら、誰も手を出さないと思います。

しかし自分というものは存在しないものです。
これは観念とか何だではなく、確実な事実であります。

それなのに存在しない自分の為に何かを行うとは妙な話です、
という事はそれらの行いは自分の為にやっているように錯覚しているだけで、
実際は起きているだけなのです。

そして起きている事に対して一喜一憂しているように見える物も、
やはり一喜一憂が起きているだけなのです。

スピリチュアルは思想でもないし宗教でもありません、
それらのバックグラウンドであります。
ですから思想家は思想を通して表現したものがスピリチュアルであり、
宗教家は宗教的な概念を通して表現します。

思想家や宗教家で無くとも、八百屋のオヤジは日々の仕事を通して表現していますし、
サラリーマンは会社の業務を通して表現しています。

全て目覚めているとか、目覚めていない者は居ないとか何だとかは、そういう事であります。

なので毎日苦しいですとか不幸ですという人は、それらを通してスピリチュアルを
表現しているのです。表現されたものが自分ではなく、表現の源泉が己であると
知るべきであります。
私の学生時代の友人で年がら年中「金が無い、金が無い」って騒いでるのが
居るんですが、金が無いわりには可愛いお子さん二人と
すごい美人の奥さん(マジで!)を養って、たまに家族旅行とかにも行ってる
リア充なんですよ。
十分カネあるじゃねーかと思うんですが、何故か会う度に金が無いと騒いでるんですね。

まあ色々なケースがあると思いますが「金が無い」って言う人の殆どは
「金が無い」んじゃなくて「金を使いたくない」だと思うんですよ。
お金を使う事に抵抗があるので「金が無い」という言葉が出てくるんじゃないかと
思います。

ですからお金が無いっつー人は、「自分はお金を使いたくないのだ」と認識して
少しづつお金を使う事への抵抗を無くして行けば良いんじゃないかと思うであります。

仮に預金が十万円程度でもそれなりに高いお店でメシ食ったりは出来ますよね、
つまり金はあるんですよ、金はあるけど使いたくないだけなんですね。
まさに日本を蝕むデフレのような辛気臭いメンタルであります、
景気なんて読んで字の如く”気”なんですから、辛気臭い気を発してたら貧乏にもなりますよ。

いきなり十万円はたいて高級レストラン行けとか言ったらそりゃ抵抗あるでしょうが、
その抵抗も「お金が無いから」じゃなくて「お金を使いたくないから」である事を
知るべきです。

毎日少しづつお金を使っていっても「意外と残る」ものですよ。
お金を使う事への抵抗が減っていけば、「お金が無い」のを見ていたのは
単なる物の見方だけであったという事を知るでしょう。

で、同じように「死にたい」って言ってる人も結局は死にたいんじゃなくて
金が無いだのあれが無いだの、色んなものがごちゃまぜになってて、
それを一言で言うと「死にたい」だと思うんですよ。

ですからお金が無いのはお金を使いたくないから と同じで、何々が無いっていうのは
実は何々をしたくない、何々を使いたくないからという視点で見て行けば、
死にたいという世の中の見方も変わってくると思います。









まあ私は「毎週競馬に行っても意外とお金は残るもんだよ!」と嫁さんの説得を
試みましたが問答無用で却下され、しかも嫁さんが「お義父様からも言ってください!」と
チクったおかげでオヤジにまで怒られて泣きそうなんですが。
最近、某裁判官が原発再稼動を差し止めた件で、裁判官の思想的なものがどうしたこうしたと
世間が喧しいですが、結局思想的なものに良いも悪いも無いのであります。

少し話が飛びますが、これは汚いとかああいうのは卑怯だという思想も、
特にそれを汚いとも卑怯とも思わない人にとっては関係無いわけで、
全て個人の思想という狭い範疇を出るものではありません。

スピリチュアルで言えば、「スピリチュアルセミナーとかで金をボッタくるのは最低である」
という思想も、特に最低だと思わない人にとっては無意味であります。

私はスピリチュアルで商売するのは特に良いとも思わないし、悪いとも思いません。
前も書きましたが商売としては成り立たせるのが難しいと思うので、
やろうとも思いませんけど。

それ以前にセミナー否定派は正しいスピリチュアルで、セミナー肯定派は悪いスピリチュアル
的な、それこそ思想的な問題になるのはおかしな話だと思います。

これは例えるなら「正義」というあやふやな概念を、そのまま「スピリチュアル」という
これまたあやふやな概念に取り替えただけで、行き着く先は商売として正しいのかどうかという
レベルの話です。

以前の記事でも書きましたが、六甲のおいしい水とトイレの水はどちらも水なのですから、
六甲のおいしい水が正義の水でトイレの水は悪の水である、というのは妙な話ですよね。

あらゆる思想が出ては消えていくバックグラウンドである意識こそが
スピリチュアルなものであって、それ以外は全て海に現れる波みたいなものであります。
政治的な思想で言えば右も左も、スピリチュアルで言えば無私無欲の聖人も商売人も、
全て釈迦の掌の孫悟空みたいなものです。

ですから対象を取らずに、つまり何が良いとか何が悪いとかに拘らず、
釈迦の掌の認識になるべきであります。
その時に文字通り世界は、意識上の自作自演のゲームである事がわかるでしょう。
リンクにsolsolさんのサイト「śūnya/シューニャ」を追加しました。

何かこのサイト、クラウドファンディングを利用したアパレルブランドだそうで、
スピリチュアルとは全くまるっきし関係無いのですが、当ブログは来るもの拒まず
去るもの追わずがモットーなので、リンクに追加いたしました。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

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