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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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私の家の近所に住んでる話好きのジジイが共産党支持者なんですよ。
会うと無視するわけにもいかないので世間話をするわけですが、
いっつも「共産党最高や!」的なノリで話をしてくるので、とりあえず自民党を
支持する私とはどうもウマが合わないのですが、全共闘世代はキレると怖いので
適当に話を合わせています。

昨日の記事でも同じような事を書きましたけど、共産主義にしろ何にしろ思想というのは
文字通り自我の中心みたいなものですから、思想からも離れるってのは難しいですよね。

最終的にはスピリチュアル的な思想からも離れ、朝起きてメシ食ってウンコして
風呂入って寝るというルーティンを繰り返すだけの普通の人になる事が
ゴール(?)だと思います。

でもそう言うと「じゃあ私の人生どうなるの」みたいになると思いますが、
既にその時点で”私の人生”を妄想し、それが中心になってしまっているんですね。

スピリチュアルから離れるのはとても難しいです、それが私を守ってくれる的な
中心となってしまうからです。
しかし、最終的にスピリチュアルに触れた者はスピリチュアルを殺す時が来ます。
それが出来た時に本当に解放され、あらゆるものが己の一部であり中心となるでしょう。

守るものなど最初から居なかったのであります。









まあ実は今朝もそのジジイと世間話する羽目になって、政党助成金を貰っていない共産党が
いかに素晴らしいかを一時間も聞かされていたわけですけど。

だがちょっと待って欲しい。
赤旗が官公庁に置かれているという事は、税金で赤旗を購入しているのではないだろうか。
政党助成金や企業献金を受けていないと言っても、これでは税金泥棒と言えるのではないか。
共産党は国民の税金をどう思っているのか、真摯な説明をして頂きたい。

なんて事を言いたかったのですが、やはり全共闘世代はキレると怖いので黙ってました。
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執着というものは基本的に何を中心に据えているかで決まります。

例えば、何かをしたいと思ったとして「絶対大丈夫だ」と思うか、
「世界は私であるから出来ても出来なくても構わない」と思うか、
あるいは「世界は幻だから何かを出来る出来ないなんて最初から関係無い」
思うかとか色々ありますが、これらの思考はどれも”何かをしたい”が中心と
なっています。

つまり「絶対大丈夫~」も「世界は幻だから~」もただ単に表現を変えているだけで、
実は何も変わっていません。

これでは世界は私だとか何だとか言った所で結局は漠然としたイメージから抜け出ていません。

もう少しわかりやすく言うと、ある人が「お金が無くても大丈夫だ」「世界はお金だから
あっても無くても構わない」
「お金は幻だから最初から存在しない」と言った所で、
この人は「お金」が中心になってしまっていてそこから一歩も動いていませんよね。

執着を無くすとは、中心を持たないという事であります。
中心を持たないからこそ、逆に全てが中心となるのであります。

全てが中心になるという事は、思考が自然と止まるという事でもあります。
偏った中心があるからそれを土台として思考が始まるわけで、
それを無くしてしまえば良いのです。

”思考を止めよう”とすると、それが中心となってしまいます。
ですからそれすらも放棄すれば、我々は全体にして一部であり、一部にして全体である、
という事がわかるのであります。

それが何処にも偏った中心が無い状態、全てが中心であって、中心でない状態なのです。
「カネは天下の回り物」と言いますが、まさにその通りだと思うのですよ。
以前の記事で「馬券買うのも現金と馬券を交換しているだけ」みたいなのを
書きましたが、これ別に馬券じゃなくて株とかでも同じですよね。

1万円と株を交換して、株の価値が上がって2万円になったら今度は
株と2万円を交換しているだけですし、結局お金という概念みたいなのが
グルグル回ってるだけなのですね。

紙幣や貨幣はただ単に物を買えるっつー融通性が高いだけで、
別にお金そのものではありません。
ですから紙幣や貨幣を貯め込んで、俺って貯金あるぜ金持ちだろってのは
ちょっと違うと思います。

まさにお金という概念がグルグル回って様々な物の価値が上がっていけば
バブル最高や!で、回らなくなって下がっていけば不況最悪や!というわけですね。

紙幣や貨幣を貯め込むべしという思いが強いと、「俺の取り分が少ないのは誰かが
取っているから」
という妙な怨みや妬みを抱いたりする人も居るようであります。

この手の考えの人は仮にお金を持っても今度は「誰かが俺の貯め込んだカネを
取ろうとしている」
という感じになりがちです、中小零細企業の社長さんなんかに
意外と多いタイプですよね。

お金を貯め込んでストレスを貯めるのも馬鹿馬鹿しいので、
お金というのは単なる概念で、常に交換を繰り返して回っているものだと知り、
お金を貯め込むのではなく、お金が回る輪を大きくしていくべきだと思います。

と言っても「お金を貯め込むべし」と「お金は回すべし」のどちらが正しいとかでは
無く、昨日も書いたようにそれらはチェス盤を土台とした定跡や手筋と同じなのですから、
正しいも間違っているも無いのですよ。

ただストレスが溜まりやすい無理筋の手筋を追及するよりは、ストレスの少ない
手筋を追及した方が良いんじゃないのという事です。

盤上には全ての手筋が最初から存在しています。
つまりあらゆる可能性が最初から時間も空間も越えて存在しているわけで、
どの可能性になるかは盤上の駒ではなく、盤そのものになる事で初めてわかるのであります。

ですから”まず自分”という確固たる存在があるのでは無く、極めてファジーな何か
漂っているような状態が、ただ在る状態なのです。
最近「完全なるチェス 天才ボビー・フィッシャーの生涯」っつー本を
読んだのであります。私は将棋はヘボですが、実はチェスは結構強いんですよ。
もっとも最近は歳のせいかボケてきたので、若い頃よりだいぶ鈍ってますが。

チェスって取った駒が使えないんで、攻める際に相手に半強制的な手順を
踏ませる手筋とかがあるんですね。
もちろんチェック(王手)とかじゃない限り強制的な手を指さなくても良いのですが、
そうすると必ず大きな駒損をしてしまったりするので、相手の攻めが
うまく行ってしまった時は、大体半強制的な手を指さざるを得なくなります。

いつものように強引にスピ系の話に持っていくとですね、
世界は自分なのだから目の前から車が突っ込んできても避けなくてOKや!みたいに
取る方も居るんですが、これはもう半強制的に避けなくてはならない局面なので
世界は自分や何やグダグダ言う前に、とっとと避ければ良いのですよ。

しかしながらチェスで言うサクリファイス(捨て駒)、つまりあえて
車に激突するという選択肢があるのも事実であります。

これもまた間違っているというわけではなく、正解であります。
肝心なのは半強制的に避けるのも激突するのも、全てチェス盤の上で
行われているゲームの中で勝手に起きているという事です。

チェス盤の上に乗った以上、自由意志は無く、選択は全てチェスのルールに
委ねられるのであります。
選択をしていると思っている土台は全てチェス盤なのですから、
チェス盤に委ねれば良い、というより委ねざるを得ないのです。

ですからスピリチュアルだ宗教だ何だで様々な解釈や説法があるのは、
どれが正しくてどれが間違っているとかは無いのであります。
キリスト教も正しいし、イスラム国も正しい、〇価学会も正しいのです。

複雑な変化を見せる様々な定跡も、結局はチェス盤を土台としているものです。
ですから思考や感情や行動も全てチェス盤を土台とし、選択しているのではなく、
選択させられているものだと知る事であります。

そうすれば自分と思っていたものは、盤上に現れては消える手筋や定跡のようなもので、
真の自分はチェス盤である事を知るでしょう。







冒頭で紹介した「ボビー・フィッシャーの生涯」ですが、これはチェスを知らない人でも
お勧め出来る本です。
オッサンになってからのボビーは、何でもかんでもユダヤの陰謀と取ってしまう
反ユダヤ・反米オヤジになってしまったようですが、チェス史上に残る天才の栄光と破滅を
丹念に描いた良書ですね。
以前、ギャンブルに絡めた記事を何度か書いたのですが、
基本的にギャンブルとか投資って余剰資金でやるものだと思います。

で、ギャンブルとかって結果を気にしない事が肝要なんですけど、
スピリチュアルっぽく言うと執着を無くしましょうってのも
ありますけど、そう言うと多くの人が「現金を失った!執着を無くさねば!」とか
思いがちですが、お金イコール現金ってのはちょっと違うと思うのですよ。

例えば馬券を買うってのは、現金と馬券をただ単に交換する事であって、
当たれば今度は馬券を現金に交換しているだけですよね。
外れたら交換できませんが、穴が来れば今までの分を交換出来る可能性も
あります。しかしこれはどこまで行っても単なる交換作業であって
別に”現金”を増やすか、失うかみたいなものではありません。
そもそも20%以上の凶悪なテラ銭を取る悪徳企業JRAに勝つことは出来ませんし。

「でも現金じゃないと物も買えないし困るじゃないですか」と思うかもしれませんが
確かに現金の利点はそれで物を買ったり出来て融通が利くっつー事です。
が、そもそも最初から余剰資金なんだから現金の形を取ってようが馬券の形に
なってようがどうでも良い
じゃないですか。

このように考えると、通常お金と認識しているものは果たして何処に
存在しているのかって事ですね。まあだからといって明日からウィンズで
私と会いましょうとか言ってるわけじゃないですよ、あくまで例えです。

で、これを踏まえて少々強引に言うと、我々は五感で世界を知覚しているわけで、
五感が無いと世界を知覚出来なくて困るやんけ、となるかもしれませんが
寝ている時は五感は無いですし、かと言って寝ている時に私は存在しないかっつーと
そうじゃない気もするし、そうである気もします。

つまり五感があろうが無かろうが最初から我々は意識なのですから
五感を認識して人間の形になってようが、何処に居るかわからん意識になってようが
どうでも良いじゃないですか。って事ですね。

わかったようなわからないような感じかもしれませんが、
それで良いのですよ。










まあ私は今年も年頭からJRAに多額の献金をしてやってるわけですが、
いつになったら大穴という形でJRAは私に返金してくれるんでしょうか。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

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