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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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明けましておめでとうございます。

私は年末年始は家でゴロゴロしていました。
年を越す度に思うのですが、何故オッサンになると箱根駅伝が
面白く感じるのでしょうか。ガキの頃は駅伝とかツマンネと
思ってたんですけどねえ。




新年早々「ギャンブルをやめたい」というメールを頂いたんですが、
何かをやめたいと感じる場合、殆どそれ自体ではなく、それをやる事によって
付随してくるであろう事の方を心配しているのが殆どであります。

例えば奥さんに怒られるからとか借金が返せなくなるからとか色々あると
思いますが、根本的に感じている恐怖を突き詰める事です。

で、それがわかったら、その恐怖は心の中にしか無い実体の無いものである事を
認識すべきです、そうすればおのずとやめたいと思っている事は消えると思います。

同じく「何かをしたい、得たい」というのも、心の中にしか無いものです。
あれを手に入れられれば幸せになれると思っても、いざ手に入れば次の日からは
どうでも良いものになります。

これまた「あれが無いと幸せになれない」という恐怖に振り回されているだけ
なのです。恐怖を基準にしていれば、結局は恐怖しか生まれないでしょう、
ならば恐怖を基準にせずに最初から幸せを基準にすれば良いのであります。

少し話が逸れますが、限界ギリギリまでストレスを感じた人が
突然目覚めて(?)しまう時があるのは、死という生き物にとって
最大にストレスがかかる概念を超越してしまうからであります。

恐怖を基準にし続けた事でブッ壊れて、逆の方向、
すなわち幸せ側に針が振り切れてしまうのですね。

というわけで会社経営とかギャンブルとか格闘技とか、ある程度ストレスを
感じるものに積極的に飛び込んで行く
のは意外と良いんじゃないかと思います。
名経営者とか稀代の相場師とか伝説の武道家とかも、最終的に技術的な話とか
全然しなくなって、どいつもこいつも達観したような事を言い出しますしね。

いつの間にかギャンブルの勧めのようになってしまいましたが、
今年もよろしくお願い致します。
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この前の安倍総理の靖国参拝に影響されて、私も二日ほど前に
靖国神社へ行ってきました。

英霊達の魂に手を合わせた甲斐あってか、東京大賞典(競馬)は
見事に取れました。

やはり英霊に祈りながら「ついでに馬券取らせてください」
お願いしたせいでしょうか。
さすが英霊のパワーは一味違いますね。

まあこれで馬券外してたら英霊ふざけんなとか書いてたと
思いますが、これからも英霊の力を借りて馬券を取るために
中韓に配慮せずに靖国参拝へ行こうかと思います。

それでは皆様も良いお年をお迎えください、
というか今年最後の記事がこんなんで良いのか。
お金を失うのが怖いのは、本当は「お金を失うと生活できない、死ぬ。」という
思考が怖いのであります。

お金を失う恐怖を克服するのに良い方法は、実はお金を使ってしまう事です。
お金を使う事で、本当に恐れているのはお金を失う事ではなく、
結局は「死」が近づいてくるんじゃないかという
思考に怯えている事がわかるのであります。

そして「死」に怯える恐怖も思考が生む幻想であると知るには、
やはり死ぬ事であります。

私が学生時代にボクシングやってた時に、練習中の思わぬ事故で
意識不明になって気が付くと病院に居た事がありますが、
何となくこの時からパンチドランカーになった死ぬとか生きるとかは
全て空想というか、イメージの中だけの事なんじゃないかと感じ始めました。

まあ私がその後「自分が居なくなる」というパンドラが悪化妙な体験をするのは
社会人になってからなんですが、結局何かを恐れるのは
己が勝手に作った印象、イメージであって、前回も書きましたが
「相手が強いのではなく、己が強くしてしまっている」のであります。

で、そうなるといわゆる「願望」とは勝手に何らかの印象や
イメージにラスボス級の強さを与えているわけで、
弱くするためには「別に叶わなくても死なない、恐れる事は起きない」
印象を変えれば良いのであります。

結局、全てにおいて恐れるものは無いのであります。
「私」とか「あなた」という「イメージ」は何も無く、満たされた意識しか
無いのです。






でも私は怒った時のオヤジと、機嫌が悪い時の彼女は怖いです。
ギャンブルとか投資でリスクマネジメントがどうのこうのという話が
ありますけど、前も似たような事を書きましたが、リスクっていうのは
当人がリスクと思わない限りリスクじゃないんですよね。

例えば全財産が千円しかない人が五百円を賭けるっつーとこれは大博打ですが、
全財産が一千万円の人ならこれはリスクでも何でも無いですよね。

リスクという虚像から解放された時に、それに伴う自我の働きも虚像であると
わかるのであります。

前述した「五百円をリスクと取る人」は「全財産が千円しかないなら」という
条件の下に出てきて、全財産を一千万円にすると出てこないわけですから、
という事は我々の真の姿は金額なのでしょうか、もちろんそんな事はありません。

つまりこれはある特定の条件を操作すると出てくる虚像であって、
実際は誰も居ないのです。

お金に限らず、様々なものにリスクを感じて虚像をそこに映し出し、
それが何らかの力を持った真実だと勘違いしているだけなのです。

そしてその虚像に「力」を与えているのは他でもない己自身なのです、
敵が強いのではなく、自分が敵を強くしている事を知るべきであります。

仮にあなたが尖閣諸島に一人で行って人民解放軍をブッ飛ばしてこい、
石破茂か菅官房長官あたりに言われたら相当に恐ろしいと思います。
しかし地上最強のアメリカ第七艦隊と共に戦いに行くのなら
あまり怖くないでしょう。

別に一人で行こうが第七艦隊と共に行こうが人民解放軍の強さ自体は
変わらないわけで、あるのはただ単に人民解放軍との戦いが「在る」だけです。
しかし虚像を投影しない限り、それを経験するものは何処にも居ません。

話が逸れましたが、投資やギャンブル、そして普段からも「リスクを取る人」という
虚像の行為者を主役にしてはなりません。
「様々なメソッドや瞑想を行っていますが、一時的に気分が良くなるだけで
長続きしません」
というメールを頂いたんですが、瞑想は詳しくないので置いといて、
大体スピリチュアルな教えに基づく修行とかメソッドって、気分が良くなったり
心が落ち着くとかを目指す方向のモノが多いのであります。

この「気分が良い、落ち着く、快感、ハイになる」を求め出すと厄介で、
それは単なる状態であってそれ以外の何者でもありません。

しかし、何故かそれらの状態になると良いとされる傾向があるので
何となくそれらの感覚が出てくればOK的な感じになりがちなので
あります。

だいぶ前の記事にも書いた記憶がありますが、
結局の所あらゆるメソッドは抵抗であります。

「心を観察して落ち着きました」「幸せな気分を味わいました」とか
色々あると思いますが、その状態(落ち着いたとか)を認識しているのと、
その状態そのものになる
のとは雲泥の差なのであります。

神とか宇宙とか高次元とかすき家の意志とか色々言われていますが、
我々の背景に存在するそれらの力(?)を妨げるのは、結局我々の
様々な試みなのです。

厨二的表現ですが、我々の様々な試みの果てに待ち受けるのは、
我々自身の神と戦う事
なのであります。

つまりいかに心が落ち着こうが幸せになろうが号泣しようが、
あらゆる試みの果てに行き着いたのなら、それは全て形を変えた
抵抗なのであります。

肝心なのはいかに己が神に抵抗しているか知るという事であり、
問題は心が落ち着いたとか幸せだとかを、抵抗と認識せずにいる事であります。

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