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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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ここ数日は読者ブッチギリの記事が続きましたが、
昨日の記事をアップした時点で日付は既に七夕だったんですね。

昨日のを読み返してみると、後半部分に「女性関係もアバウトでした」とか
書いてありますが、七夕に何故こんな事をカミングアウトしているのだろうかと
自分が書いたくせに思いましたが、気にせずに今日も記事を書こうと思います。

今日はどうでも良い話として、読者の皆さんからのお便りの傾向を
紹介したいと思います。

まあ七割ぐらいは本当にどうでも良い内容で(昨日は巨人が勝ちましたね!とか)
皆さん適当に読んでくれているのだなと感謝する次第であります。

残りの三割のうち二割は、ちょっとした悩みみたいな事を書いてくれている方が殆どです。

で、その中で多いのがダントツで「恋の悩み」なんですよね。
私は正直言うと恋の悩みって殆ど無いに等しいぐらいのアバウト状態で
今まで来てしまったので、「好きでたまらない人がいるんです!どうすれば良いのですか!?」
とかメールで聞かれても「とりあえず告白して、ダメなら次行けばイイじゃん」
軽く考えてしまうのですが・・・。

次は「お金が無い」ですね。金と異性はやはり常についてまわる物なんでしょうか。
これも「お金が欲しいです!」に対して「働けばイイじゃん」
軽く考えてしまうのですが・・・。

どうも悩み系のメールを送って来てくれる皆さんの共通項として、
エゴから解放されると何か魔法のようなものが身につくと考えておられる方が多いようです。
このブログで私の体験を通じて書いていることは、別に魔法使いになるためでも
サイキック戦士になるためのものでもありません。

エゴによって隠されてしまった元々「ある」ものに気付きましょうということです、
「ある」ものに気付くことで、結果として恋が成就したり収入が増えたりといった事も
勝手に湧いてくるだろうということです。

恋が成就したり金持ちになったりは目的では無いのです、それは単なる過程というか
副産物のようなものです。まあ言葉で書くとどうしても「願望の実現うんたらかんたら」に
近い表現になってしまうんですけどね。魔法や神秘のパワーで世界を変えるのではなく、
自分が世界になるわけです。


で、最後の一割が「色々とスピ系の情報を教えてくれる」方です。
前も書きましたが、私はアドヴァイタ系とかも知らなかったぐらいなんで
こういうブログ書いてて何ですが、その手の業界情報みたいの知らないんですよね。
ですから色々と教えてくれる方には感謝であります。

以前も「管理人さんはオショウを知っていますか?」というメールを頂き、
オショウとは最近スピ系漫才とかで売り出し中の、吉本の若手芸人コンビなのだろうかとか
本気で思ってしまったのですが、調べてみるとすごい聖者で、芸人とか思った事が
かなり恥ずかしかったです。

というわけでこれからも読者の皆さん応援よろしくお願いします。
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読者ブッチギリの話が続いていますが、前回の続きです。

さて、何でもかんでも宇宙を感じて「宇宙パねぇ」になったのですが
これに気付いてからの私はもう何もする気が無くなりました(でもブログは書いてる)
別に無気力になったとか、重度の鬱病とかではなく、今まで不足だと感じていたものが
全部エゴによる幻であったということに気付いたからです。

結局、いわゆる願望実現法などは、この「幻」に対してのアプローチである事が
殆どです。幻に幻をぶつけていっても、出てくるのは更なる幻であります。

前も同じような事書きましたが、不足が幻だと気付くと、幻に対し色々とアプローチしようと
しなくなります。というか幻なのでやってもしょうがない、アプローチ自体出来なくなります。

そうすると、どんどん思考が消えていきます。
思考が消えると、思考であれやこれやと判別しなくなるので、ずっと同じ場所に在る感覚に
なってきます、いわゆる今に在りなさいとかスピリチュアルマスターといわれてるオッサンが
言っているのは、これなのかもしれません(多分)


あとはもう、勝手に世界が(私が)動いているだけです。そこにはある種の神懸かり的な調和
感じます。そもそも体を動かすとか何々をやってるかとかは、全部思考による後付です。
トイレでウンコしてても、彼女と携帯で喋りながらクソしてれば話の方に夢中になってて
トイレに居たとかは全く意識に上りません。つまり本当にクソしていたのか?ということです。

「俺が彼女と喋りながらトイレでウンコが消失中」というラノベのタイトルみたいな展開ですが、
全ては後付ではないのか、後付の思考にエゴがくっついて勝手にストーリーを紡ぎ出し、
そのストーリーが真実であると信じ込んでいただけではないのか、という事です。

私自身、その事に気付くと、どんどん世界が(私が)変わっていきました。
今まで感じていた不足感は全部ウソだったのです。
最初から万事OKでした、わざわざ不足をせっせと作っていただけだったのです。

もう自分も他人も、そこにはありませんでした。
あまりにも完璧に調和しているエゴの理解の範疇を超えた何かが、
「宇宙パねぇ」があるだけでした。

そこはエゴに理解できる言葉で説明しようとすれば「愛」とかかもしれません。
ただ私としては「愛」という言葉は誤解を招きそうなのであまり使いたくない言葉であります。
私の感覚としては楽しいの「楽」が近いような気もします。

言い換えれば、家族で生まれたばかりの赤ん坊を見るあの時の感覚に近いかもです。
といっても私は若い頃から女性関係も極めてアバウトだったせいで、今だ独り身で子供も
いないんですけど(避妊はアバウトにせずしっかりやってた)

しかし、独り身のオッサンでも何故か子供が生まれた時の感覚になってしまう事こそが
宇宙パねぇの凄さであります。
前回の続きです。

「思考」が様々な取っ掛かりが無いと出てくることがなく、
実は「私」とは純粋な意識であった事に気付くと、周りの世界が非常に迫真を
持って迫ってきているというか、ありのままに見えるというか、
プレステ3よりリアルな圧倒的な臨場感というか、とにかく世界が変わりました。

これは目に見える対象物だけでなく、距離や時間や匂いといった要素全てを含みます。

それらの要素全てが、意識である私が創り出していた、というか私の分身であったのです。
そして今までいかに「思考」に惑わされ、「思考」に操られ、エゴによるストーリーの中にいたか
痛感しました。まさに瞬間ごとに次々とエゴが思考にくっついてストーリーを
紡ぎ出していたのです。


しかし、それらはもう幻だという事も実感しました。幻が消えると、今まで自分がいかに
源泉からの贈り物に気付かなかったか、全て満たされているのにわざわざ目を逸らしていたという
事にも気付くことが出来ました。

なんか一昔前のRPGみたいですが、まさに世界が真の姿を現しつつあったのです。

そうなるともう言葉では言い表せませんが、あえて言うなら何から何まで全てに
「宇宙」を感じました。大げさに言えば全部自分が創ったんだ、という
シムシティで一千万都市を作り上げた時みたいな高揚感を感じたわけです。

朝の光も宇宙、すき家の牛丼の米粒の一粒一粒にも宇宙、雨や風にも宇宙、
ウンコの臭いにも宇宙、台所から玄関までの距離にも宇宙、宇宙刑事ギャバンにも
宇宙を感じました。

既に読んでる人置いてけぼりの状態だと思いますが、
これはモーレツア太郎ならぬキョーレツな至福感を伴います。
今まで付き合ってた女が研ナオコみたいだったのに、スッピンだと佐々木希だった、みたいな
至福感です。

この体験がカッコ良く言えばスピリチュアルな目覚め、悪く言えば単なる危ないオッサンへの
目覚めだったと思っています。

次回以降も読者ブッチギリで続きます。
だいぶ前ですが、4月12日付の記事で「自転車乗って信号待ちしてたら
”私”が居なくなってどうのこうの」というトンデモ体験談を書きましたが、
続きを書こう書こうと思いながらすっかり忘れており、今日突然思い出したので
書こうと思います。

「私」が居なくなってから、まずお通じが良くなりました。
これはどうでもいいのですが、「私」が居なくなるという感覚が進むごとに
「思考」が出来なくなってきました。

これはどんどんアホになっていくという感じではなく、結局「思考」とは
「思考」をするための前提というか取っ掛りみたいなものが必要なのだという事を
感覚で理解した感じです。

「過去」や「未来」が無いと「思考」は出来ないのです。何かを思うとき、その始まりは
「未来」への希望や不安だったり「過去」の後悔や思い出だったりします。
例えば「痩せたい」という思考は大雑把に分ければ「将来スリムになりたい」か
「昔は細かったから」のどちらかから始まるということです。

これに「私は」が くっついて願望となるわけですが、「私」が居ないと
思考が出来ないので、無になってしまうのです。
つまり「私は以前細かった」⇒「でも今の私は太っている」⇒「私は痩せたい」という
一連の思考が出来なくなるのです。

思考しないということは、つまり最初の取っ掛り部分「私は以前細かった」は
無かったことになってしまうのです。
逆に言えば「私」が本当はいないのに「私は以前細かった」世界を「私は以前細かった」に
意識を向ける事で瞬時に創っているのです。

「私は以前細かった」世界を創れば、それに伴い「思考」が「でも今は太っている」を
選択するかもしれません、そして「じゃあ痩せたい」の流れを作ります。
逆に「でも今も大して太ってないなあ」を選択すれば、恐らく痩せる痩せないの事は思考から
外れます。つまり、その世界は消えたということです。

ここで多くの人が勘違いするのが「では、私は太ってない。を選択します」となることです。
これはちょっと違います、何故なら最初の取っ掛り部分である「私は太っている」を
選択した上で、「太るのは嫌だから」「太ってないを選ぼう」という一連の「思考」の流れから
一歩も動いていないからです。


根本的な原因は「私」が居ると思ってしまった事から始まっているわけですから
「私」が居ないのだと認識することです。
「私」は存在しませんが、前述した「私は以前細かった」に意識を向けたのと同じように、
色々なものに意識を向けることは出来ます、つまり意識としては存在しています。

この純粋な意識しか無い、事に気付く事で私の認識はどんどん変わっていったのですが
ここから先は次回へ続くでござる。
読者の方からアドヴァイタが云々というメールを頂きました。
実は私、アドヴァイタとかよく知らなかったのですが、調べてみるとアドヴァイタと
言われる教えの中にも様々な流派というか、考え方があるようですね。

なんかインドとかの聖者と呼ばれるすごい人たちが、このアドヴァイタ系の教えを
広めているみたいで、海外からわざわざ修行に行ったりする人もいるみたいです。
インドの山奥で修行と言えばレインボーマンだけだと思ってましたが、
現代でもインドの山奥で修行をされている方々がいるのには驚きました。

去年辺りですがエジプトに旅行に行ったときに、訪れた街で聖者とか賢者とか言われてる人の
話をたまたま聞く機会があったのですが、何故かファミコンのマイティボンジャックみたいな
格好で、あの世がどうしたこうしたと語っていましたが、いわゆるアドヴァイタ系では無かったと
今になって思います。

どうも超ドマイナーな聖者だったらしく、ネットで検索しても情報が全く出てこない人でしたが、
なかなか強烈なキャラで面白かったです。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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