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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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夢野久作氏の小説で「ドグラ・マグラ」というのが
ありますが、これ日本三大奇書の一つでもあり
多分三大奇書の中でも一番有名なんじゃないですかね。
(あと二つは小栗虫太郎「黒死館殺人事件」
中井英夫「虚無への供物」

何でドグラ・マグラなんて言い出したかというとメールで
「少し長いですがこの小説はどう思いますか?」みたいな
のを頂いて、それがドグラ・マグラだったんですね。
少しどころかかなり長いんですがまあそれは良いとして、
実は冒頭で紹介した三大奇書は全て読破したことあるん
ですよ。こう見えても私、学生時代は意外と読書家
だったんですねー、Fラン舐めんなよ。

ドグラ・マグラってこれ読み進んでいくと作中のどこまで
が現実でどこまでが幻想というか、内容が曖昧になって
いくんですよね。
やたらとキ〇ガイという単語が出てくるし、これは
キチ〇イが書いた本と言われてもそうかなって納得して
しまう内容ではあります。

感想を言い表すのはヒジョーに難しい作品ですねえ、
まあ強引にスピリチュアルぽく言えば自己という概念を
取っ払った状態で、そこに何とか理屈をつけてなおかつ
探偵小説(一応探偵小説なのよね)というカテゴリーを
適当に付けた作品という印象です。

脳髄は物を考える器官にあらず、とか胎児の夢とか
いわゆる自我、自己を別の観点から取り上げていたら
いつの間にかキチガ〇ぽい表現になっていたという所で
しょうか。

ただ個人的にはドグラ・マグラより黒死館殺人事件の方が
好きですね。これは探偵として登場する主人公が
何の脈絡も無くいきなりわけのわからん蘊蓄を
ベラベラ喋りだして、何故か周りの人物もそれについて
いってしまって読んでるこちらは全くついていけないと
いう読者ブッチギリのまさに奇書です。

まあ当ブログももしかしたら読者ブッチギリかも
しれませんけど。
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「自信や自己肯定感は結局は幻想の自己を強めるだけでは
なかろうか」
的なメールを頂きました、
ありがとうございます。

これはその通りと言えばその通りであります。
自信とは文字通り自らを信じるわけですから
何か信じるものが無いと自我は存在出来なくなるというか
そもそもの土台を失います。

もっと言えば自信があるも自信が無いも同じというか、
例えば私は〇〇に自信があります!というのも結局は
自信がある自己というものに成り立ち、〇〇は自信無い
です!
というのもやはり自信が無い自己というものに
成り立っています。

そもそも自信というのは過去に何かしら上手くいったとか
下手こいたとかの蓄積されたデータに過ぎません。
つまり自信がある、または自信が無いは全て過去の
データを引っ張り出し、それをインストールして自己を
表現しているようなもんですね。

つまり極端な言い方をすれば自信を感じている時も
感じていない時もそれは全て自己では無いということ
ですね。

なので自信を求める必要も無いし、自信を否定する必要も
無いわけです。何かのアプリを入れたらスマホの待ち受け
が何かメチャクチャ自信ありげなオバハンになっても、
あるいは逆に自信無さ気なオッサンになってもそれは別に
スマホ自身では無いですから。
何かマスクを個人の判断で3月から外しましょう的な事を
政府が言い出しましたが、最初から個人の判断だったの
ではないんですかね?私なんて二年前の年明けぐらいから
個人の判断でマスクしてないですよ。

マスクと言えば「知らんさんの会社はかなり早い段階で
マスク自由化したそうですが、何かしらスピリチュアル的
なお告げでも聞いて判断したのですか?」
みたいなメール
を頂いたんですが、夢を壊すようですがこれに関しては
スピリチュアルもクソもなく完全に私のスタンドプレー
ですね、単純にマスクがうっとおしかっただけです。

やはり日本人特有の同調圧力と言いますか周りから浮くの
を嫌がる習性みたいのはありますよね。
私はその辺の感覚が全く無いのでマスク自由化しまーす、
明日から個人の判断でよろしく!と言ったら思った以上に
古参の皆さんからの反対意見が多かったのが印象深かった
ですねえ、つーかおまえらテレワークしてたじゃん。

結局「うるせー!ボクちゃんに逆らったらパパに
言いつけておまえらなんかクビにしてやるぞ!」

押し切りましたけど。

ただ私の中にもある程度勝算というか、マスクしても
しなくても大して変わんねーだろという確信はあった
んですよ。

何でかっつーとですね、
今回の騒ぎで私も何人かのお医者さんとお話する機会が
あって親しくなった方もいるんですけど、
そのうちの一人が投資好きで色々と投資話をしてくるん
ですよ。

で、「先生、もうアメリカとかはマスクしていないよう
ですが日本はいつまでやるんですか?」と聞いたら
「アメリカ人はアホだよ、マスクしないからこれから
どんどん感染も死人も増えて経済もガタガタになるよ。
マスクをする方が経済への影響も少ないんだ」
みたいな
事を言うわけですよ。

そこでピンと来て「それはそうと話変わりますけど先生は
どのような銘柄をお持ちなんですか?」と話を振ったら
いわゆる米国株を大量に保有してやんの。
しかも「この会社は今年も成長するよ」とか言い出して、
てことはこの人恐らく本音ではマスク云々とか殆ど
気にしてないんだなと思ったわけです。

マスクしてないからこれからアメリカ経済はダメや、
と言いつつ米国株に投資を続けているのは明らかに矛盾
していますので「なるほど、先生は投資もお詳しいん
ですね!」とか言いながら腹の中では「全く世間知らずの
お医者様は脇が甘いぜ、ケッケッケ!」
とか思った次第
であります。

やはり何でも言葉より行動にその人の本音が出るもん
です。私はこの先生の隠された本音というかダブスタを
感じたのでマスク自由化に踏み切ったんですが、
まあ医者という立場上マスクしないで全然OKとは
言えないでしょうけど。

勝算があったとはいえマスク自由化した途端に社内で
感染爆発、死体の山!とかになったらどうしようかなとは
思いましたが、うざったい古参連中を始末出来るから
ちょうど良いかとかちょっとだけ思いました。
いやホントちょっとだけね(笑)
私の知り合いで投資家っつーかいわゆるトレーダーが
何人かいるんですけど、その内の二人のパフォーマンスが
コロナで騒ぎ出してから完全に明暗を分けたので
いつものように強引にスピリチュアルと結びつけてお話
します、一人はそこそこ有名な人なんで特定されないよう
にかなりボカして書きますけど。

仮にA氏としますがA氏はコロナでビビり倒してから
トレードも上手く行かなくなったそうで、この数年で
大きく資産を減らしてしまい現在も今だにビビっている
のですが、もう一人のB氏の方は全くビビっておらず
パフォーマンスも好調を維持しているらしいんですよ。

で、前回の記事の補足みたいになりますが
ビビりのA氏の方も投資家としては全く感情に動かされず
優れた決断が出来る人なんですよ、しかしながら
ビビり倒してから不調に陥ったという事はゲームで言えば
マリオの冒険が続くと思っているわけですよ。
つまり自我が「死ぬわけが無い、死にたくない」という
のが強いというか、トレードに関しては冷静な判断が
出来ても人生という冒険がまだまだ広がっていくと
思っている、つまりゲーム盤からは完全に降りていない
状態と言えます。

一方B氏の方はビビるビビらない通り越してマジで
今回の騒動に対し何の感想も感情も無い感じなんですよ。

実際B氏と話してても感じるのは投資で資産を増やして
どうのこうのという感情すら見えないんですよね。
つまりトレードすらゲームの中の出来事であり、
完全にゲーム盤から降りてしまっているんですよね。

じゃあ何でそれでもトレードを続けるのか?
それなりに投資で成功したのだから無人島でも買ったり
するんですか?と聞いた事もあるんですがB氏曰く
「やりたいからやっているだけ」だそうで、
それ以上でもそれ以下でもないとの事でした。

私はこれはまさに今に在るというか、今今パワーと
一体化しているのではなかろうかと思った次第です。

言い方に語弊がありますがB氏は"人生を諦めた"んだと
思うんですよ。いかにしてB氏がそのような認識に至った
のかはわかりませんが、人生は広がっていく冒険であると
いう認識だとそこで活躍するゲームの駒が、そして
ゲームを面白くする為の困難とさらなる成長への期待が
必要となります。

しかし諦める、つまり降りてしまうとそれらが不要に
なるので嫌でも今に在るしかなくなってしまうわけ
ですね。それでもやりたくてやることが最も今今パワー
が発動するものだと思います。

これが難しいというかややこしいのは、殆どが人生ゲーム
を豊かにしたいから始まるのに人生ゲームを降りることを
要求される
からですね。ある意味裏技チックというか
バグ技に近いのかもしれないですが、B氏はある意味
チート野郎ですね。
前回の記事について「マリオがゴールに進むなら
それは最終的には自我の死を目指すという事なのか?」

いうメールを頂きました、ありがとうございます。

これは鋭い質問であります。
死、つまりゲームのエンディングへ進んでいくマリオを
自己と同一視するか否かに限らず必ず自我の死は訪れ
ます。要はそれが早いか遅いかだけの違いで、
ずっとマリオと自己を同一化していれば死は恐ろしいもの
に感じるかもしれませんが同一化から離れてしまえば、
そりゃゲームだからエンディングまで行くやろという
感じでそのまま終わりを見届けるという形になります。

マリオと自己を同一化していると、マリオの冒険が
次から次へと大きくなっていくように錯覚します。
つまりゲームにエンディングがあるのだという当たり前の
事を忘れ、エンディング=死という概念を恐れるように
なっていきます。
こうなると今に在るもクソも無く、エンディングまで
行かない方法は無いものかとか言い出すようになって
しまいます。

マリオを見届けているのはまさに今に在る意識なので
すが、これだとそこからどんどん外れていく事に
なりますね。なのでエンディング拒否は却って今の意識
から遠ざかっていく事になってしまいます。

もう一つ例を挙げると、仮に今何らかの本を読んでいると
して、その本の厚さで物語がそろそろ終わりそうやなとか
大体読むのにこれぐらいかかりそうだなとか
わかると思うんですが、繰り返しになりますけど本を
手にとった最初から物語が終わる事はわかっているわけ
ですよね、それに対して特に何とも思わないでしょう。

いきなり本のページが増えるわけないし、この本は
これぐらいで終わりと最初から受け入れているから
ですね。

つまりこれがエンディングまで見届けている意識で
あります。

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