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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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数年前に故・平井和正氏原作のアニメ映画「幻魔大戦」
YouTubeでたまたま観たっつー記事を書いたんですが、
急に思い出して何となく原作の方も読んでみようかと
思ったら「新幻魔大戦」とか「真幻魔大戦」とか
色々あって訳がわからないんですよ。

何か別次元というかパラレルワールド的なものらしいん
ですが本家(?)の「幻魔大戦」も途中から幻魔を研究
する組織作り?みたいな話になってて面白くないですよ
という話をブログの読者の方から教えて頂いた事が
あるので、結局原作はスルーして映画版の方をまた
観てしまいました。原作の脱線については平井先生が
執筆当時に某宗教団体にハマったから、という噂も
ありますね。

まあ感想は前の記事と全く変わらんのですが、
これ前回観た時も思ったんですけど映画のラストで
戦う敵が幻魔じゃなくて「幻魔大王の地球壊滅作戦の
司令官」
を名乗る奴で、そいつ倒しただけで何か俺たち
勝ったぜみたいな空気でエンディングになるのが
すごい違和感あるんですよ。

大体ですね、幻魔とは「邪悪な意識体」みたいな事を
言ってた気がするんですが、何で意識体なのに大王とか
司令官とか役職があるのか?というのもありますが、
この司令官を倒すために俳優の江守徹氏の声で喋る
サイボーグ戦士のベガが犠牲になってしまうんですよ。

そうするとこの後に攻めてくるであろう幻魔大王の本隊に
対して一番戦力的に頼りになるベガを失った地球側が
勝てる見込みが無いと思うんですが。

主人公とインディアンのオッサンぐらいしか使えそうも
ないし、後は中国の小娘に黒人のガキ、ターバン巻いた
インド人と乞食みたいなジジイにいつの間にか
パンクロッカーみたいな衣装になってたお姫様という、
ちょっと厳しいよねこれ。

にも関わらずラストでは皆で瞑想しちゃってたりして
おまえら大丈夫かという、観てる方としてはモヤモヤした
気分で終わってしまいました。

原作の方が脱線せずに幻魔大王との超能力バトル路線
だったら続編の構想もあったのかもしれないですが、
改めて観ると演出面が非常に優れているのに話のまとまり
が無いという怪作になっていますね。
これ監督やスタッフの皆さんは当時の日本の才能が
結集したと言って良いレベルなんで演出はガチで上手い
んですよ。既に40年近く前の映画ですが、演出面に
関しては今の感覚から見てもカッコいいと感じる部分が
多々あります。

ラストの「さあ帰ろう。戦士が帰還する所は、常に生命の
源だ」
というベガの台詞もやはり演出的に実に
印象深んですけど、そんなこと言ってる場合や無いやろ。
PR
「結局岸田総理って何もしないまま統〇教〇の話が
出てきてから勝手に支持率下がってますが、このまま
キッシーは終わってしまうのでしょうか?」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

ここ最近はややこしいスピリチュアルネタが続いたので
久々に政治ネタという事で採用させて頂きます。

まあホントに何もしない総理ですねえ、
というか今のような疫病だ戦争だで世が乱れている時は、
あの手の上が抜けたから順番で上がってきましたみたいな
タイプのリーダーはやっぱダメです。

乱世の場合は周りの意見なんて真っ二つに分かれるに
決まってんですから周りの意見なんて無視して突き進める
タイプでなくてはなりません。
それが間違っていようが何だろうが進まなくてはならない
のが乱世
というものです。

何度か書いていますが私も継ぎたくもなかったオヤジの
会社を色々あって継ぐことになってしまい、
継いだら継いだで世間は疫病で大騒ぎの真っ只中に
なってしまいましたが、私は騒ぎの当初に叫ばれていた
「経済より命」を無視して命より経済最高や!の
カネの亡者路線を突き進むのを決定しました。
もちろんメチャクチャ意見は分かれましたが、反対意見に
対しては「うるせー!おまえなんかパパに言いつけて
クビにしてやるぞ!」
と強硬路線で進め、何とかコロナ前
の業績を上回るまでに持っていく事が出来ました。
これもひとえに皆様のおかげですね。

別に私の判断が正しかったとかドヤ顔したいわけでは
なく、岸田総理は聞く力とかアホな事言ってないで
確固たるビジョンなり何なりを示して反対があろうとも
今は突き進んで欲しいと思いますね。
結局のところ人間ごときの判断が正しいか否かなんてのは
後の歴史が決めるわけですから、ビビっていてもしょうが
ないです。











まあでもね、何が気に食わないって「皆様のおかげで
業績も回復しました、ありがとうございます」みたいに
オヤジの知り合いに挨拶すると「さすが先代はベストな
タイミングで御子息に継がせましたね!」とか
「やっぱり先代の先見の明は衰えてはいませんね!」とか
何故かオヤジの実績みたいになってしまうんですよ、
どういうことでしょうこれは。もう完全に隠居してるん
ですけど。

あと二年半前に「これだけ感染で騒いでいるのに商売に
走るなんて、やっぱりあいつは馬鹿息子だ。先代は本当に
立派だったのに・・・」みたいな事を言ってたそこの
おまえ!ちゃんと聞こえてたんだぞこの野郎
!(爆)

そいつも今じゃ掌返しやがって、全くどいつもこいつも
調子良い事ばっかり言いやがりますね(笑)
前回の記事はスピリチュアル的な知識から得た神秘体験
みたいのはあまり意味が無い、という趣旨でしたが
今回は続きと補足です。

スピリチュアルぽく言うと知識というのは結局は分離
なので、あまりそちらに偏りすぎるといわゆる
今に在るとか何だから離れていく事になります。

要はまずやってみて、それから知識を得れば、
それは今に在る状態から得た知識、言い換えれば
潜在意識から送られたものとも言えるのですが、
まず知識から入ってしまうとその知識はそれを公開した
人の自我、つまり分離されてからのモノを見ることに
なるのでビミョーに本質からズレるわけです。

ではまずやってみろと言っても何をやるのか?
これは自我が入ってこない単純作業か、
あるいは重労働をするかのどちらかをお勧めします。
要は想念(?)みたいのが入ってこないリラックスした
状態、夢中になっている状態、もしくは逆に身の危険を
感じるレベルの超緊張
です。

例えば私は去年の今頃にベンチプレス150キロを達成し、
脳筋を証明しましたが、MAX重量に挑戦してフンガーと
挙げる瞬間には当然死ぬほどクソ重いのでベンチプレスの
フォームだの意識するポイントだのは頭から吹っ飛んで
います。

しかしそれでもクソ重い重量に挑戦してほぼ強制的に
今に在る状態になると、挙げた後に微妙な修正点は
感じ取れるわけで、これが分離していない状態の純粋な
知識であります。

これを「ベンチプレスを挙げるテクニックを公開!」とか
やると、どうしても他の人にわかりやすくしなければ
ならないとか、有料だからもう少し詳しくしなきゃとか
なるわけで、そこに分離が入るわけです。

つまり当ブログも含めて公開されているあらゆる知識は
スピリチュアルでも何でも必ず分離を経たものに
なるので、そこからの知識は絶対に片手落ちになって
いるという認識を持つのが肝要です。

色々な知識を求めずに、ある瞬間だけは一切の想念も
思考も無い状態を思い出すだけでも良いです。
それだけで確実に個人というものは"知覚されなく"
なっていきます。
「神秘体験をした後に鬱になった」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

これはもう普通に病院に行った方が良いのではないかと
思われます。メールくれた方も「メンタルクリニックに
行っても良いのか?」みたいに書かれているんですが、
良い悪いよりも健康を優先して頂きたいと思います。

話が逸れますけど神秘体験てのは厄介なものでも
あります。そもそもスピリチュアル的な知識とか
知る前って神秘体験なんてしましたか?
って話なんで
すよ。
矛盾しているようですがちょっとした偶然でも神秘体験
とか引き寄せとかに結びつけてしまう傾向になるのは
危険です。

要は自我が獲得した見聞を勝手に昇華させてこれは
神秘体験とか引き寄せたとか感じるわけですね、
これは完全に拗らせたパターンで引き寄せ云々とはまた
違います。

なので神秘体験絡みでお悩み(?)の方は果たして自分が
スピリチュアルを知る前に、仮にそれを体験していたら
神秘体験と感じるかどうか?
と自問すると良いですね。

逆から言うと例えばスピリチュアルを知った後に
これこれこういう神秘体験が出来るのだろうか、あるいは
出来なくてはならない、みたいに取るのも自我の中で
スピリチュアルが過度に肥大しているわけで、
それ自体に意味はありません。

童貞を拗らせると色々面倒くさいのと同じで、
スピリチュアルも拗らせるのは避けましょう。
夢の中で夢だと気付いたら云々とか世界は幻だから
何やかんやというのは、実際は非常に簡単なものです。

前の記事でも書きましたが基本的に何かしらを知覚
しないと自我のストーリーみたいなのは始まらないので、
とりあえず私というものを知覚し、更に他者を知覚し、
そこからの関係性も知覚し、というように話が展開して
いきます。

という事は逆説的に言えば知覚が発動(?)しない範囲
ならばそれはまさに自他が存在しない意識として在る、
という事になります。

簡単な例だと顔洗ったり歯磨いたりするのは
歯が知覚過敏ですとかは置いといて、やってる時は
殆ど知覚していないと思うんですよね。
つまり実は歯磨いたり顔洗ってる者は"いない"んですよ、
知覚していないからです。

なのであらゆるものが歯磨きレベルになれば
自ずと知覚する自己も居ない、という話になります。

本当に歯を磨いたり顔を洗ったりしている自己は
存在しているのか?と追求すると、全ては知覚の範囲内で
起こっている事をああでもないこうでもないと
言っているだけで、実は最初から何もする必要は
無かったという事になります。

これを知るために瞑想とかその他色々があると思うん
ですよね。

瞑想をしているのに云々とか、何々をしているのに云々
とかいうのは結構ありますが、これはその何々の方に
知覚がいっているのではと感じます。
瞑想そのものを知覚するのではなく、瞑想している自己も
知覚の範囲内である事を知るべきであります。

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