「自殺したいとか思ったのも湧き上がってきた
ものなのか?」というメールを頂きました、
ありがとうございます。
「湧き上がってきたものなのか?」と言われれば
そうです、としか言いようが無いですが、
例えばこれが結婚したいとか乱交したいとか
だったら大して気にならないと思うんですよ。
実際にそれが出来るかどうかは置いといて、
要は自殺とは自己の破壊である、という認識が
違うのであります。
もう何度も似たような事を書いていますが、
映画の登場人物を殺した所でスクリーンが
ぶっ壊れるわけではなく、スクリーンはそこに
ずっとあるわけです。
これは結婚とか乱交とかネガティブに感じない
ものでも同じで、登場人物が結婚しました
めでたしめでたし、でも別にスクリーンに花が
咲くわけでも何でもありません。
つまり何にも起きてないわけであります。
じゃあ結局は虚無なのか?それも違います。
虚無どころか自己とは全てを映すスクリーンの
光であります。
自己そのものが太陽であり天照大御神であり
ラーの翼神竜なのであります。
最初から生まれてもおらず死ぬことも無い、
全てが成り立つ為に必要な光そのものが
自己です。ですから自殺したいとか誰かを
ぶっ殺したいとか、あるいは結婚したいとか
あの人が好きだとかも、全て光の体現として
同価値なのであります。
また、感情に限らず例えば知り合いのAさんは
思想が右寄りだがCさんは左巻きだというのも、
全く同価値であります。
個人レベルの価値観の相違は光が凸凹の斜面を
照らすが如きであり、凸凹で当然です。
全てを照らし成立させて内包していると気付く事
です。
「しかし私はどうしてもあの人の思想は受け入れ
難い」と思うのも、それで良いのです。
それもまた、光が照らしているものだからで
あります。