「世界との一体感を感じました。
確かにあまり色々な事に気を煩わせる事が
無くなったが、何かロボットやAIのように
感情が欠落した感じになってしまいました。
どないしてくれるねん」という
メールを頂きました、ありがとうございます。
ロボットやAIに感情があるとこれは厄介ですが、
一応人間なので感情が欠落したりはしません。
そもそも感情は自己を支えとして初めて
確固たるものとして成立します。
要は起きている出来事と、その時の感情が
分かれているというのが近いです。
例えば麻雀のルールを知らないで漠然と
牌を切ったりしてても何が何だか
わかりません。
しかしルールを知るとそこに感情が入り込みます
やっている事は牌を切っているという
同じ事なのに、ああでもないこうでもないと
思うようになり、その思いと自己を同一化
する事で更に「これは問題だ」という感情が
芽生えて話をややこしくしていきます。
つまり実際に起きている事と思っている事は
違うのですが、思っている事を事実として
認識してしまうという事ですね。
なので世界との一体感云々というのも
"そう思っている"或いは"そう感じた"事なので、
微妙に違うのですね。
"感じた"り"思う"ものではありません。
言葉では説明できない、それそのものだけが
"在る"のであります。