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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「高次元存在とは何なの」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

まあ私も正直よくわからないんですが、
非常に簡単に言うと「高次元存在から
低次元を見ると、止まって見える」
という
事です。

一番わかりやすいのが映画のDVDとかですよね。 
DVDに収録されてる映画の登場人物を低次元、
それ(DVDそのもの)を見ている我々が
高次元とすると、DVDの中では時間が
明確に存在しますし、映画も冒頭から
終わりまで時間が流れます。

しかしDVDそのものを見ている我々からは
止まっています。

さらに言えば地球に住んでる我々を低次元、
宇宙を高次元とすれば、我々は朝が来る度に
「新しい朝が来た、希望の朝だ」とか
言ってるかもしれませんが、宇宙からすれば
新しい朝も新しい太陽も存在しませんし、
"朝が来る"という概念もありません。

つまり、低次元は運動し、高次元は静止する
であります。

普段、運動していると思っているものを
実は静止しているという認識に変えていけば、
高次元存在に近付けると思います。

が、しかし
映画を楽しむならば映画の登場人物と同じ
時間を体験せねばなりません。
つまり低次元に下げないとダメなんですね。

という事は我々が人生だと思っている"運動"
実は高次元存在が楽しむためにわざわざ次元を
低くしているとも言えます。

何の事は無い、最初から高次元存在だった
のであります。
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個人的に今の時期ってヒマになるんですが、
何かやることは無いかと思っていたら
丁度良いタイミングでメールを頂きました、
ありがとうございます。

なんと「三週間で頭が良くなる脳トレ」的な
ものがあるらしいじゃないですか。

しかもこれ結構有名な奴らしくて、検索すると
実際にこのトレを実践されている方の書き込み
みたいのをまとめたサイトまであるんですね、
私は初めて知りました。

でもこれ、内容的には結構ハードですね、
何しろ腹這い移動、ハイハイ三時間
公園とかにある雲梯(うんてい)を
毎日やらねばならないようであります。

これ脳トレじゃなくて肉体トレじゃねえかとか
思いましたが、これでIQ200も夢じゃないとか
あるんで、Fラン出身の私もこれをやれば
東大とか入れるんでしょうか。

でも身重の妻をほったらかしてハイハイ三時間も
やるのか・・・と思うと少し躊躇しますね。
リンクに日本一の相談屋さんの「日本一の相談屋」を追加しました
前回の記事を読んだ方から「自己というものが
よくわからなくなって統合失調症みたく
なってしまいました」
というメールを
頂きました。

自己というものは別にわかる必要は無いので
あります。

例えば「私は某県某市に産まれて小中高と
地元の学校で遊びまくって、大学はFラン行って
やっぱり遊んでるだけでした」

自己紹介した奴が居るとします。

これは前回の記事で「葬式が悲しいのではなく、
葬式に最も適していると思われる感情や思考を
引っ張り出す」
と同じで、
こいつの場合は自己紹介に適した"物語"を
引っ張り出しているのであります。

これと同じで「私はこれこれこうで
不幸である」
と言う際には"不幸である"為に
「これこれこうで」を引っ張り出して
いるわけですね。

不幸である自己を出す為には、
何故、不幸なのか?という物語を即興で
作らなければなりません。

つまり過去の経験があるから不幸、ではなくて
不幸である為に瞬時に物語を作るわけです、
それが自我には過去の体験として感じる
だけであります。

つまり過去の積み重ねの結果としての
"自己"は何処にも居ない
し、存在を知ることも
出来ないのであります。
だから今に在るとかいう言い方を
するわけですね。

こうして不幸な自己は居なくなりました、
おめでとうございます。
選挙が近付いて来ましたが、選挙ほど
個人の好き嫌いが出るのってなかなか
ないですよね。

ウチの近所に住んでる自称リベラルの爺様は、
自民党の「このハゲー!」の人にはえらい
憤慨してましたが、民進党の不倫した
オバハンの件はスルーしていました。

そうかと思うと、この前会った時に
「アンタまだ新婚だろ、不倫はイカンよ不倫は」
とか言われたんですが、だったら某議員の
不倫の時も怒らないとおかしいやんけこのハゲ、
と思った次第です。

結局、何を好ましく感じて何を気に入らないと
感じるかって決まってるんですよね。
で、好きと嫌いとか感じるには、そういった
感情も必要ですが、何よりもその感情を感じる
自分が必要となります。

つまり無数の「自分」が存在しているわけで、
自分とは感情を表現するための器としての
概念でしかありません。

状況に応じて感情を選択し、状況に応じた
自分が現れるという事であります。

例えば葬式の時は悲しいとか神妙にするという
感情や態度が適していると判断し、それを
引っ張り出すわけであります。
決して葬式が悲しいからではなく、葬式に
応じた感情や自分は何か?という判断が
先にある
のです。

という事は自己とはやはり確立した存在ではなく
その時その時に応じている(と判断している)
無数の自己があるだけであります。

その判断をしているものは何なのか、
自己が存在しないのに自己を創り出している
ものが肝要です。

「脳が判断している」と思うかもしれないですが
脳が判断している、と思うのが最も適している
ように感じれば、それはそれで正しいし、
「すき家の本部が判断している」
思えばそれもそれで正しいのであります。

つまり自己も世界も、確固たる存在では無く、
認識の中にしか存在しないという事ですね。

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