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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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たまに例に出しますが、ルビンの壺は向かい合ってる顔があるから壺があり、
壺があるから顔があるように見えるわけであります。
これと同じで自己と感じるものも、あるように感じるだけで実際は存在しません。

で、願望だ何だというのはこのルビンの壺の向かい合ってる顔、
または壺がビョーンと伸びているようなもので
これは顔からしても不快であり、壺から見てもやはり不快であります。

しかしながら全体として見た場合、やはりルビンの壺は成立しているわけで
このビョーンと伸びているのを認める、または許すとか手放すとかも言われますが、
とにかくそれでよろしいとすれば不快に感じる顔も壺も統一され、
幸せになるのであります。

つまり願望でも神様でも悪魔でもそれらは現れるコンテンツに過ぎません。
重要では無いのです。

ですが、顔から見たら壺が妙に曲がっているとか感じますし、
壺から見たら顔が不細工になっているとか感じるわけです。
だから重要だと錯覚するわけですね。

ですから願望の実現とは、顔から見て不快な壺をぶっ壊す事ではなく、
または壺から見て不細工な顔面を破壊する事でもありません。
何故なら顔と壺はお互いがお互いを成立させていると同時に存在もしないのですから
破壊は不可能なのです。

出来る事は、壺と顔を統一してこれで良いのだとバカボンのパパのようになる事です。
願望という形を取った不快を取り込むのであります。
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ご懐妊おめでとうメールを多数頂きました、ありがとうございます。
既に嫁さんは女性の究極進化形とも言える「母親」へとクラスチェンジしつつあります。
もう彼女でも奥さんでも無い、まさに母親ですね。女性はやはり偉大だ。

私は相変わらず父親になる実感も湧かないまま色々バタバタしております、
なので今後はブログの更新がさらに不定期になるかもしれません。
オヤジにもおまえのようなアホは人一倍父親としての自覚を持たねばならんとか
色々説教されました。




と言いつつ来週の日曜日は身重の妻をほったらかしてダービー行こうとか思ってます。
以前、私は佳子様より眞子様派ですとか言ってたら、俺の眞子がわけわかんないチャラ男と
御婚約されてしまったではないですか、なんということでしょう。

皇族は天照大神の子孫という最強の厨二設定が国体となっていますが、
ホイホイ平民と付き合って結婚されると、皇族のプレミアム感が無くなって来るのでは
とも思います。

しかも今上天皇御自身までが「天皇きついわ、こんなの死ぬまでやるなんてデキッコナイス」
とか言ってるわけで、こうなるともう皇族って誰がやっても良いんじゃないかと思いますし、
今の皇族はそのような雰囲気を作りたがっているのではないかとも感じてしまいますね。

まあ皇族のプレミアム感が薄れてくれば、良い悪いは別にして自然と天皇制も
消えていくでしょう。






で、私事ですが眞子様婚約のニュース見てたら、嫁さんから「私はご懐妊したから!」
衝撃の一言を告げられて飲んでたカルピス吹き出しました。

なんか最近ヤった記憶があまり無いんですが、黒人の子供とか産まれてきたらどうしようとか
今からハラハラしてます。
「普通に生きている自己は結局は大きな意志みたいな掌の上で
転がされているしかないのか」
というメールを頂いたんですが、
これは大きな意志とか何だとか考えない方が良いと思います。

例えば有名なルビンの壷で言えば、向かい合ってる顔が変われば
壷の形も変わりますが、壷から見れば向かい合ってる顔の形も変わるので、
別に両者に大きいも小さいも無いのであります。

つまり全くの対等というか、お互いがお互いを成立させているという事ですね。

しかしながら我々は日常において認識しやすい方を自己であると定義している事が
多いです。

仮に椅子に座った状態ですと、椅子に座っているであろう何かを自己としていますが、
椅子があるからこそ何かを感じられるという事でもあります。
これは椅子のおかげで自己と感じられるものが成り立っているわけで、
椅子が消えれば自己であると感じられるものは消えます。

しかし椅子が消えたら今度は、床に横たわっていると感じるものが自己であると
切り替わるかもしれません。これも床があるからこそ、自己と感じるものが
出てくるわけであります。

つまり椅子とか床とかの関係性の中においてのみしか自己は確立出来ないという事です。
関係性が無いと確立出来ないのであれば、自己とはルビンの壷の如く、
存在しているとも言えるし存在していないとも取れるものです。

もっと言えば壷が自己なのか、それとも壷を成立させている向かい合った顔が自己なのか。
こうして経験者としての自己は、世界に溶けていくのであります。
「精神世界やスピリチュアルが好きで様々なサイトや書籍を読みました。
不思議なのはこれだけ覚醒したとか気付いたという人が世界中に多く居るのに、
何故世界は良い方向へ向かわないのでしょうか」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

この方は非常に鋭い点に気付かれたと思います。
そもそも見ている世界や感じている自己は全て意識上でのコンテンツに
過ぎないわけであります。

ですからコンテンツ内において気付いた、目覚めたという人は無限に湧いて出て来ても
おかしくはありません。

同じように”自己”にも気付きだ何だはいくらでも起きます、
この”いくらでも”がポイントなのであります。

自己というコンテンツ内に居る以上、覚醒や目覚めはいくらでも起きるものです、
私も多分100回ぐらい目覚めてます(?)
これはスポーツ選手が練習で新たな身体感覚を得るのに近いです。
そしてその得た物に大きくフォーカスして、今度はそれを通してやはりコンテンツ内に
居続ける事になるので、新たな気付きはまたやって来ます。

つまりどういう事だってばよ?要は気付きだろうが何だろうがコンテンツ内のものに
フォーカスしている以上、ずっと同じ事を繰り返すという事です。
気付いていない人から気付いた人になって、今度はもっと気付いた人になるだけなんですよ。
まさに超サイヤ人のバーゲンセールと化すのであります。

この輪廻転生とも言うべき流れから抜けるには、コンテンツ内のものにフォーカスするのを
止めれば良いのであります。

前の記事と被りますが神様を信仰して、つまり神というコンテンツに強くフォーカスして
却って悩むぐらいなら神様なんて捨ててしまえば良いだけです。

腹が痛いとか頭が痛いというのも、そういった感覚がコンテンツ内で展開されているだけで
それでどうこうする自己も、やはりコンテンツ内のものです。

ですから勝手に展開させておけば良いのです。展開させておくという事は、
コンテンツからの離脱を意味します。コンテンツからの離脱とは、つまり生や死の繰り返しが
終わる
という事です。

気付きや目覚めなんてのは100回でも200回でも訪れます。
特にスピリチュアル好きな人なんて、ブログで毎日のように新たな気付きがありましたとか
言ってる人多いんじゃないでしょうか。

しかしながら離脱は一度だけです。何故なら離脱はコンテンツ自体が
文字通り”死ぬ”からです。

こうして悩み多き一生は終わりました、おめでとうございます。

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