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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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生成AIのsora2が発表されてから文章だけで簡単な動画が
出来たりとか凄いスピードでAIが進化していますが、
これ動画内で喋ってる声とかも全部AIが作成して
いるんですよね。

これを強引にスピリチュアルに持っていくと
前の記事とほぼ同じ内容になってしまいますが、
AIが作成した動画や声を観たり聞いたりしているのは
誰なのかという話になりますね。

例えばAI動画でもキャラクターの声担当は野沢雅子
ですとかだったら当然ながら野沢雅子の声を聞いていると
認識しますが、AIという実体の無いものが出している
動画内の世界、声は一体何処にあるのかっつー事です。
誰が喋って、そして誰が見たり聞いたりしているのか?

スマホの中なのか?それともアプリ内なのか?
しかしスマホを割ってもアプリを調べてもAIの作った
世界や声は出て来ません。
しかし確実にそれの存在を認識している、
言葉に出来ないものがあるという事であります。
今回のsora2の登場により、ますますその辺りの感覚と
いうか認識が進んで来ていると思います。

SFなんかだと仮想現実の中にまた仮想現実があって、
そのまた中にもう一つの世界があってみたいなのが
ありますが、AIの進化によって似たような認識が
嫌でも進むんじゃないかと思います。
それが人類にとっての進化なのか、あるいは絶滅に
繋がるのかはわかりませんが、オカルト的に言えば
何らかの意志によって人類はアニメのエヴァンゲリオン
で言ってたような人類補完計画に進んでいると思い
ますね。

もしかしたら何らかの意志が悟りの夢を見終わった瞬間が
世界の終わり
になるのかもしれません、
夢から覚めると夢の世界ごと全て消滅しますし。
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スピリチュアル的ないわゆる気づきみたいのは
経験を積み重ねていく事で何かしらを掴むみたいな、
ドラクエのレベルアップみたいなイメージがあるかも
しれませんが、実際はそうではなくて何か知らないけど
認識が変わる的な感じになります(多分)

そもそも経験を積んだと感じているのは何か?っつーと
自我がそう感じているだけで、前回の記事とも少し
被りますが継続性を感じているのは自我だけなんですよ。

つまりこれだけスピリチュアル系の書籍を読んだとか
ありがたいお経を唱えたとか神社にお参りしたとか、
これだけやったからこう、みたいな経験値を積んでいると
自我が勝手に判断しているだけです。

この経験を積んでいるという(はず)という判断の
厄介な所は、例えばあるスピリチュアル的なメソッドを
行ったら何か上手くいったとしましょう。
そうするとそのメソッドなり何なりを更に強化するとか
新たな手法を研究するとかの方向に行きがちなわけです。
要はベストな状態、何をやっても上手くいって
願望入れ食い最高や!に近づいているはずなのだという
判断を自我がしてしまうわけです。

そうではなくて語弊がある言い方ですけど、
そんなものどうでも良いんですよ。
意識が何を臨在させるかはわからないので、
何か朝起きたら腰が痛えとか頭痛がするとか便秘気味
だとか色々体現すると思います。ここで自我が「経験を
積んだし上手くいった事もあるのに」と騒ぎ出すと
腰痛や便秘を体現している自分は最高の状態ではない、
つまりそれは何かを間違っている、何かが違うのだと
喚き出す事になります。

何かややこしい話になってしまいましたが要は自我が
求める「あるはずの最高」は存在しないんですよ。
そうではなくて「最適な行動」を取れば良いだけの話で、
腰が痛いなら湿布貼るとか便秘ならカンチョーする
とか"普通に"過ごせば良いだけであります。

「それじゃあ何も変わってなくね?」と思うかも
しれませんが意識というのは肉体が生まれる前から
ずっと在るわけで、何も変わっていないというか
変わりようが無いんですよ。

雨が降ったりカミナリが落ちたりクソ暑かったりしても
空は空のままで変わらないのと同じで、
何の経験も何の状態も必要としないのであります。
「年齢を若返らせる事は可能か?」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

これはちょっと話を逸らす感じになりますが、
そもそも年齢というのは肉体に起因するものであります。

なので前も書いた気がしますが肉体では無い、ということ
を知れば云々だと話が終わってしまうのでもうちょい
補足すると夢を見ている時にも夢の中の自分は身体・肉体
であるという意識はあると思うんですよ。
例えば夢の中で走ったり跳んだりしていたら自分の身体を
動かしていると認識しているはずですよね。

しかし夢から覚めると夢の中の身体の意識も感覚も
消失するので夢の中で確固たる感覚があった肉体は存在
しないという事になります。
逆も然りで就寝時は身体の感覚があっても、寝てしまうと
やはり身体の意識も感覚も無くなります。

つまり身体意識、つーか身体感覚(?)はあくまで
肉体があるという認識の元でしか出て来ないわけで
あります。

だがちょっと待ってほしい、いくら肉体が無いと言っても
毎日朝起きて出勤したりしているではないか。と思うかも
しれませんがこれも継続性があるから、という事でしか
ありません。仮に朝起きたら顔が変わってたとかハゲてた
とかで継続性が無くなったとしたら以前の肉体は
どうなったのかと思うはずです。

つまりこの時に慣れ親しんだ肉体という概念を探そうと
する"意識"が起きている時も寝ている時も常に在るもの
あります。

なので本質的に我々は肉体では無いのですから、
肉体に起因するあらゆる事は我々が肉体だったら問題
ですが、そうでは無いので問題では無いということです。
この前娘と鬼滅の刃の映画行ったんですけど、
前作の無限列車編からもう五年も経ってるんですねえ。
当ブログの過去記事にもありますが当時はまだ話を
理解出来るレベルではなかった娘も今やすっかり
クソ生意気な小娘となりました。
あの時はまだ滑舌もあやしくて、鬼滅の刃を
(・ω・)きめつどらいばー と言っていた事が
懐かしく思われます。

娘はアニメ版は何となく見てましたが、あまり漫画を
読むタイプでは無いので原作を大して知らない状態だった
こともあり、二時間半の長丁場を最後まで真剣に観て
いましたね。

観終わってから (^Д^) 面白かったねー と言ったら
娘が呆然とした顔で
(゚ω゚) しのぶさん、死んじゃったね・・
と固まっていたので、小学二年生の女の子にはちょっと
刺激が強かったかもですね。描写だけ見るとかなり
エグい殺され方してますし。

そもそも鬼滅の刃って子供向けの作風じゃないですよね、
私は原作はざっとラストまで読んだ事ありますけど
むしろ大人向けだと思います。

話をいつものように強引にスピリチュアルに持って
いくと、今回の映画に登場した童磨っつー敵キャラは
ある意味スピリチュアル的にはかなり完成されていると
思うんですよね。

基本的に彼は物腰が柔らかいんですけど、その穏やかさも
相手がどう反応するのか、どう考えるのかを模索しながら
それに合った感情を演じている感があって、
つまり彼自身は完全に無なんですね。

我々も普段は怒ったり悲しんだりしますが、
これはどういった感情がその場に相応しいか?を無意識に
選択しているとも言えます。

簡単に言うと怒りっぽい人というのは常に怒りという
感情を選ぶ率が高いという事になります。
その無意識の選択の積み重ねを"性格"と呼んでいる
わけで、実質は無でありパラメーターを設定された
データに過ぎません。

童磨は基本的に自身の感情と認識しているものが無く、
全てその場の選択に基づいた演技としての感情しか
無い印象があります。

で、こっから原作および次回作の映画でのネタバレに
なってしまいますが、後半戦の戦いで首を切られた童磨は
最後の最後で恋心という"自己の感情"を認識しますが、
とっととくたばれとこっ酷くフラれ、自身に初めて生じた
自我と共に消滅します。
この辺の一連の流れは自我の無いものが自我に目覚め、
そして消滅するという、作劇として非常に上手かったと
思います。

なので私は童磨はサイコパス系というよりかは
ある意味生まれつきスピリチュアル的な目覚めに近い
ものを得ていた人物という印象です、両親が何か
宗教団体やってたし。

まあ実際の所は猗窩座が感情的・人間的なのと対比して
童磨というキャラを作ったと思いますが、
私は鬼滅の刃で一番好きな鬼はと言われたら童磨ですね。
世間はお盆休みですが皆様如何お過ごしでしょうか。
私は娘が海に行きたいと言い出したので今月の頭から
毎日ひたすら某県の海水浴場で過ごしていましたが、
昨日帰って参りました。
娘も日焼けで真っ黒で何だかジャネット・ジャクソン
ホイットニー・ヒューストンみたいになっています。

この前は海で遊び疲れた娘がボーッと空を見上げて
ふと (・ω・)空大きいねー、みんな空の下にいるんだ
ねぇー
 と突然哲学的な何かを悟ったかのように
つぶやいてましたが、これを強引にスピリチュアルの話に
持っていくと、例えば「何処に住んでいますか?」と
言われれば東京ですとか埼玉ですとか答えますが、
「何処の空の下ですか?」と言われたら空は何処も
一緒やろとなります。

◯◯の大空の下で、とかの表現もあることはありますが、
実際日本だろうがアメリカだろうが何処に居ても
空は空です。

つまり空の下にいるのに埼玉県在住とか区別をする事で
関係性が生まれ、あらゆる物は関係性の中においてのみ
存在する
ということであります。

ですから前の記事と少し話が被りますけど
スピリチュアル的な話で何でもかんでも肯定しろみたいな
のがありますが、これも関係性の中においてのみ
成立するものをいちいち否定して確固たる形を認識する
よりは、肯定してさっさとスルーしていった方が
本来の在り方に近いからであります。

例えばアベ政治を許さないとかも否定するからこそ
存在するわけで、だったら肯定してしまった方が
それはもう終了となります。

私も嫌いなREN4がこの前の参議院で立候補してて
「こいつまた出てくんのかよふざけんなボケ」とか
否定してたら当選しちゃってヽ(・ω・)/ズコーとなったので
皆さんも何でも否定するのはやめましょう

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職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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