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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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この前娘と鬼滅の刃の映画行ったんですけど、
前作の無限列車編からもう五年も経ってるんですねえ。
当ブログの過去記事にもありますが当時はまだ話を
理解出来るレベルではなかった娘も今やすっかり
クソ生意気な小娘となりました。
あの時はまだ滑舌もあやしくて、鬼滅の刃を
(・ω・)きめつどらいばー と言っていた事が
懐かしく思われます。

娘はアニメ版は何となく見てましたが、あまり漫画を
読むタイプでは無いので原作を大して知らない状態だった
こともあり、二時間半の長丁場を最後まで真剣に観て
いましたね。

観終わってから (^Д^) 面白かったねー と言ったら
娘が呆然とした顔で
(゚ω゚) しのぶさん、死んじゃったね・・
と固まっていたので、小学二年生の女の子にはちょっと
刺激が強かったかもですね。描写だけ見るとかなり
エグい殺され方してますし。

そもそも鬼滅の刃って子供向けの作風じゃないですよね、
私は原作はざっとラストまで読んだ事ありますけど
むしろ大人向けだと思います。

話をいつものように強引にスピリチュアルに持って
いくと、今回の映画に登場した童磨っつー敵キャラは
ある意味スピリチュアル的にはかなり完成されていると
思うんですよね。

基本的に彼は物腰が柔らかいんですけど、その穏やかさも
相手がどう反応するのか、どう考えるのかを模索しながら
それに合った感情を演じている感があって、
つまり彼自身は完全に無なんですね。

我々も普段は怒ったり悲しんだりしますが、
これはどういった感情がその場に相応しいか?を無意識に
選択しているとも言えます。

簡単に言うと怒りっぽい人というのは常に怒りという
感情を選ぶ率が高いという事になります。
その無意識の選択の積み重ねを"性格"と呼んでいる
わけで、実質は無でありパラメーターを設定された
データに過ぎません。

童磨は基本的に自身の感情と認識しているものが無く、
全てその場の選択に基づいた演技としての感情しか
無い印象があります。

で、こっから原作および次回作の映画でのネタバレに
なってしまいますが、後半戦の戦いで首を切られた童磨は
最後の最後で恋心という"自己の感情"を認識しますが、
とっととくたばれとこっ酷くフラれ、自身に初めて生じた
自我と共に消滅します。
この辺の一連の流れは自我の無いものが自我に目覚め、
そして消滅するという、作劇として非常に上手かったと
思います。

なので私は童磨はサイコパス系というよりかは
ある意味生まれつきスピリチュアル的な目覚めに近い
ものを得ていた人物という印象です、両親が何か
宗教団体やってたし。

まあ実際の所は猗窩座が感情的・人間的なのと対比して
童磨というキャラを作ったと思いますが、
私は鬼滅の刃で一番好きな鬼はと言われたら童磨ですね。
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世間はお盆休みですが皆様如何お過ごしでしょうか。
私は娘が海に行きたいと言い出したので今月の頭から
毎日ひたすら某県の海水浴場で過ごしていましたが、
昨日帰って参りました。
娘も日焼けで真っ黒で何だかジャネット・ジャクソン
ホイットニー・ヒューストンみたいになっています。

この前は海で遊び疲れた娘がボーッと空を見上げて
ふと (・ω・)空大きいねー、みんな空の下にいるんだ
ねぇー
 と突然哲学的な何かを悟ったかのように
つぶやいてましたが、これを強引にスピリチュアルの話に
持っていくと、例えば「何処に住んでいますか?」と
言われれば東京ですとか埼玉ですとか答えますが、
「何処の空の下ですか?」と言われたら空は何処も
一緒やろとなります。

◯◯の大空の下で、とかの表現もあることはありますが、
実際日本だろうがアメリカだろうが何処に居ても
空は空です。

つまり空の下にいるのに埼玉県在住とか区別をする事で
関係性が生まれ、あらゆる物は関係性の中においてのみ
存在する
ということであります。

ですから前の記事と少し話が被りますけど
スピリチュアル的な話で何でもかんでも肯定しろみたいな
のがありますが、これも関係性の中においてのみ
成立するものをいちいち否定して確固たる形を認識する
よりは、肯定してさっさとスルーしていった方が
本来の在り方に近いからであります。

例えばアベ政治を許さないとかも否定するからこそ
存在するわけで、だったら肯定してしまった方が
それはもう終了となります。

私も嫌いなREN4がこの前の参議院で立候補してて
「こいつまた出てくんのかよふざけんなボケ」とか
否定してたら当選しちゃってヽ(・ω・)/ズコーとなったので
皆さんも何でも否定するのはやめましょう
「スピリチュアルでよく言われる世界は自分であるとか
も、結局は何があっても念仏を唱えるように自己は存在
しないという事を意識するだけなのか?ぶっちゃけると
何も気にすんなという事か?」
というメールを
頂きました、ありがとうございます。

まあそうですと言えばそうなんですけど、
結構誤解されやすいのは例えば歩いてる時に車が
クラクション鳴らして走ってきたら普通は退きますよね。
ここで全ては自己である云々とか言って何もせずに車と
激突したらそれも有りですが傍から見たらアホっちゃ
アホです。

なので「世界は自分云々」を感覚として落とし込む(?)
には取りあえず内面と外面に分けると多少は何となく
わかるかもしれません。

内面つーのは自分の中の意識とか感覚ですね、
つまり「世界は自分であった!」「自己は存在しない」
とかの、ある意味電波系が内面となります。
対して外面とは文字通り外、先の例で言えばクラクション
鳴らしてきた車とかがそれになります。

で、内面と外面がぶつかるとほぼ確実に外面が勝ちます
そもそもスピリチュアルに目覚める切っ掛けは
外面の出来事から入るのが多いと思われます。
例えば今月ピンチ、何とかしてお金が入らないかとかで
タイミーとかやれば良いのに何故か怪しいスピリチュアル
ブログを見つけてしまって「世界は自分であった」とかで
内面のステージを上げる(?)事で外面の問題、
この場合カネが無いとかをスルーする、或いは臨時収入を
期待するとかになるのが多いケースです。

しかしこれは内面と外面に分離したまま内面を強化しよう
という試みなので、話が戻りますが内面と外面がぶつかる
と外面が圧倒的に強いのでほぼ確実に外面が勝ちます。

例えば今に在るとか何だとかで精神の平穏を手に入れ
臨時収入も入ったとしましょう。しかし外面というのは
目まぐるしく動くので必ず何かしら問題(と感じる)
が現れます。
で、これに対して「更に今に在ろうとする」とか
「すごい瞑想で宇宙と一体になる」とか
内面を更に強くしなければと思ってしまうのが誤解の
元です。

このまま行くと話がややこしくなるのですごく簡略化
すると、要は喧嘩する際にガードを固めながら
「今に在る云々」とブツブツ呟いているよりノーガード
でも「かかってこいや」
と思っている方が相手が
殴りかかって来た時にどっちが反応しやすいかという
話です。

これは絶対に後者で、理由は前者は外面からの刺激に
対して無理矢理内面を平穏にしようとしている
からで、
前述した通り内面と外面では外面が強いので
これは確実にブッ飛ばされます。
それに対し後者は外面と内面がある意味統一され、
まさに喧嘩という現場の"今に在る"のでこれは相手の
パンチにカウンターが取れる可能性が高いです。

つまり内面と外面を無意識に自我で分けてしまっている、
という事を知れば実は最初から誰もいないし
何の争いも起きていないんですよ。
ですから何も気にすんな以前に、そもそも気にする存在が
最初から居ないのであります。
スピリチュアル系で何かしらの疑問や問題を解決しようと
すると色々と袋小路にハマり結局何が何だかわからん
という感じになってしまう事は結構多いと思われます。
しかしその状態こそがある意味スピ系の本質的なものに
近づく瞬間でもあります。

まず何かしらの疑問、あるいは何かしらの問題を
抱えた場合、普通はそれらの解決策を模索すると
思います。それで解決すれば良いですが、
解決しなかったり更に問題が起こると人によっては
スピリチュアル系に救いを求めたりします。

で、大体ポジティブ思考だったり神を信仰したり
今に在ろうとしたりと色々ありますが
要はそれらも概念であるという事であります。
災いを祓うために神を描いたみたいな絵画や石像は多い
ですが、そもそも神という概念が浮かんだものは
何なのか
っつー事ですね。

つまり今に在るでも神でも何でも良いですが
それらの概念を問題の解決に利用しようとしている自分も
また一つの概念です。
以前から書いてますけど肉体・身体を持って何かを
しているのでは無いんですよ、身体を使って神の絵を
描いていたらその神の絵を描いている身体そのものも
概念という事です。

なのでこの時点で問題は全て気に病む事では
なくなります。何故なら問題を解決したい、と祈りながら
神の絵を描いている自己の身体もまた概念という事は、
問題を抱えている肉体との自己同一性から解放される
からであります。

つまり概念としての神から離れ、本来の神性を取り戻すと
いう事になります。
「コロナワクチンを勧めていた◯身先生が最近になって
若い人は重症化しないから接種の推奨は早い段階で
辞めてた、と言っている。しかし当時は若者にも勧めて
いたしワクチンが原因と思われる健康被害も多い、
許せん。もし知らんさんの家族がワクチンで健康被害を
受けてもムカつかないのか」
という怒りのメールを頂きました、ありがとうございます。

これはフツーにムカつくと思いますが、しかし最近の
記事でも書いたように本質的には我々は身体では無い、
というのが肝要で、身体との同一化が最も強い同一化
あります。それ故にあらゆる危害に対して心配だとか
ムカつくというのは身体に危害が及ぶ、という
前提で成り立っています。

しかし身体では無い、のであるならばあらゆる心配の
殆どが無くなってしまうと思います。
この辺は話が長くなるので割愛して一言で言うと
寝ている時に身体を意識出来るか?という事なんですよ。
寝ている時にここは頭だとかここは腹だとか意識出来れば
ともかく、起きている時にしか出来ないはずなので、
そうすると身体とは意識に浮かんでいるだけ、という事に
なります。

では意識に浮かんでいるだけのモノなのに実在するのか?
意識に浮かんでいるだけのものが「私」なのか?という
問いを考えていくと身体との同一化が消える、かも
しれません。






余談ですけどワクチンに関してはまあ確かに尾◯先生は
若者にも推奨してましたね、当時は思いやりワクチンとか
宣伝してた気がします。
私は思いやりの無い人間なので結局一回しか打たなかった
ある意味レアな部類でしたが、今となってはもう
どうでも良い話ですね。

私の場合はワクチン云々より何つっても当時若者の行動を
制限してジジババを守る事に大多数の連中が賛成した事が
ヒジョーにムカつきましたね。
文字通り一度しか無い若者の青春よりヘタしたら
大型犬の寿命より早くくたばるジジババの余生を優先
した事で私はすっかり神の国日本に愛想を尽かし、
日本国民を捨て地球市民になりました。

でも当時4歳ぐらいだった娘には別にマスクなんか
しなくて良い、娘ちゃんが納得いかないならルールだと
言われても守らなくて良い、とパンク精神を教え込んだら
すっかりクソ生意気な小娘になってしまったので、
ちょっと失敗したかなぁ。

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職業:
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趣味:
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好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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