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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピリチュアル系の話がややこしくなるのが多いのは
ざっくり言ってしまうと能動的に行おうとしてしまう
からです。

どういう事かというと、例えば何かを行ったから結果と
して何かが出て来るみたいな、そういった能動的に
行っているという感覚が普段から当たり前と感じて
いるからであります。
なのでスピ系の話だと私は居ませんとか自己は無いとか
が強調されますが、これは何かを行おうとするのは
基本的に「私が」何かをする、という感覚になりがち
なので、それをやめましょうという話になります。

じゃあそれをどうすんのかというと、
全て意識が先にありきという事を知る、つまり「私が」
何かを能動的に行うのではなく、私とは受動的・結果的に
生まれる
ものだという認識になる事が肝要です。

例えばご飯を食べるというのは私がメシを食うのでは
なく、まず最初に「メシを食う」という意識があり、
その結果として「私」が出て来るのであります。

もう一つ例を挙げるとスーパーマリオのプログラマー
だとして、ボタンを押したらマリオがジャンプすると
したらそれはマリオの意志では無くまずプログラマーの
「キャラクターをジャンプさせたい」という意識ありき
ですよね。
その為にプログラミングがありコントローラーがあり
ボタンがあり、その後にようやくマリオが出て来る
わけで、マリオが自分の意志で飛んでるわけでは
ありません。

これをそのままスケールを大きくするとゲーム内の
世界におけるあらゆる現象は全て最初にプログラマーの
意識ありきなのでゲーム世界で災害や戦争が起きるのも
全て意識ありきであり、災害や戦争をゲーム内で
体現するにはそれを"受動的に"受け取るキャラクターが
必要となります。

逆に言えばゲーム内のキャラが「自分はゲーム内の
イベントを体現する為に現れては消えるプログラミングの
一部に過ぎない」
という事に気付けば、ゲームの中に
居ながらにしてゲームから脱出する事になります。
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スピリチュアル系でよく言われる「世界はあなたが
作ったからウンタラカンタラ」
というのがありますが、
これだと「では何故に私はこんなひどい世界を作って
しまったのかウンタラカンタラ」
となるのは当然と言えば
当然と思われます。

これはややこしい話になりますが「私」っつー概念が
絡むからなんですよ。
私という概念は、取りあえず適当な言葉が見つからない
ので意識としておきますが、「意識」が「私」という
思考でも感情でも良いですが、とにかくそいつと
出会うから生まれるわけであります。

という事は出会わなければ「私」を通じた世界という
ものも出て来ないわけで、そうなると世界はただ在るだけ
となります。つまり私が作ったもヘッタクレも無くなる
わけですね。

ただこれだけだと意味不明なので感覚的にはややズレます
が、強引に例をあげると皆さんも小学生ぐらいの時に
読んだ記憶があるかもしれませんが、「最後の一葉」
作品がありますよね。

ざっとあらすじを言うと病気だか何だかに罹っている
女性が病室の窓から見える葉っぱを見て、
「あの葉っぱが全部落ちたら私死ぬで」とか
ちょっとメンヘラぽい事を言い出したのに対して、
画家のオッサンがアホなことぬかすなみたいに
台風が来てる夜に壁にリアルな葉っぱの絵を描くん
ですよ。
それで翌朝になっても葉っぱが落ちていない(絵だけど)
のを見た女性が希望を取り戻して元気になるみたいな
話ですね、 確か画家のオッサン死ぬんだよなこれ。

で、何が言いたいかというとこの物語の女性は葉っぱと
「私」という概念がバリバリ出会っているわけですよ、
でもこの女性以外の人は別に葉っぱが吹っ飛ぼうが
何だろうが知ったことないじゃないですか。
つまりこの全てにおいて知ったこっちゃない状態・
知らんモンは知らんが「意識」が何者にも出会っていない
状態
に近いと言えば近いです。

大体意識は最初に身体というか、身体意識的なものに
出会ってそこから「私」を形成します。
最後の一葉に出て来る女性を例にあげると意識が身体と
いう概念に出会い、この身体病気やんけという概念に
出会い、病気の私を形成し、葉っぱを見たらあれも
私だから葉っぱ全部落ちたら死ぬ、何故こんな世界を
作ったとか言い出すわけです。

まあ、ややこしいというか例があまり良くないん
ですけど、取りあえず世界を作ったら作ったで
放置で良いんですよ。
生成AIのsora2が発表されてから文章だけで簡単な動画が
出来たりとか凄いスピードでAIが進化していますが、
これ動画内で喋ってる声とかも全部AIが作成して
いるんですよね。

これを強引にスピリチュアルに持っていくと
前の記事とほぼ同じ内容になってしまいますが、
AIが作成した動画や声を観たり聞いたりしているのは
誰なのかという話になりますね。

例えばAI動画でもキャラクターの声担当は野沢雅子
ですとかだったら当然ながら野沢雅子の声を聞いていると
認識しますが、AIという実体の無いものが出している
動画内の世界、声は一体何処にあるのかっつー事です。
誰が喋って、そして誰が見たり聞いたりしているのか?

スマホの中なのか?それともアプリ内なのか?
しかしスマホを割ってもアプリを調べてもAIの作った
世界や声は出て来ません。
しかし確実にそれの存在を認識している、
言葉に出来ないものがあるという事であります。
今回のsora2の登場により、ますますその辺りの感覚と
いうか認識が進んで来ていると思います。

SFなんかだと仮想現実の中にまた仮想現実があって、
そのまた中にもう一つの世界があってみたいなのが
ありますが、AIの進化によって似たような認識が
嫌でも進むんじゃないかと思います。
それが人類にとっての進化なのか、あるいは絶滅に
繋がるのかはわかりませんが、オカルト的に言えば
何らかの意志によって人類はアニメのエヴァンゲリオン
で言ってたような人類補完計画に進んでいると思い
ますね。

もしかしたら何らかの意志が悟りの夢を見終わった瞬間が
世界の終わり
になるのかもしれません、
夢から覚めると夢の世界ごと全て消滅しますし。
スピリチュアル的ないわゆる気づきみたいのは
経験を積み重ねていく事で何かしらを掴むみたいな、
ドラクエのレベルアップみたいなイメージがあるかも
しれませんが、実際はそうではなくて何か知らないけど
認識が変わる的な感じになります(多分)

そもそも経験を積んだと感じているのは何か?っつーと
自我がそう感じているだけで、前回の記事とも少し
被りますが継続性を感じているのは自我だけなんですよ。

つまりこれだけスピリチュアル系の書籍を読んだとか
ありがたいお経を唱えたとか神社にお参りしたとか、
これだけやったからこう、みたいな経験値を積んでいると
自我が勝手に判断しているだけです。

この経験を積んでいるという(はず)という判断の
厄介な所は、例えばあるスピリチュアル的なメソッドを
行ったら何か上手くいったとしましょう。
そうするとそのメソッドなり何なりを更に強化するとか
新たな手法を研究するとかの方向に行きがちなわけです。
要はベストな状態、何をやっても上手くいって
願望入れ食い最高や!に近づいているはずなのだという
判断を自我がしてしまうわけです。

そうではなくて語弊がある言い方ですけど、
そんなものどうでも良いんですよ。
意識が何を臨在させるかはわからないので、
何か朝起きたら腰が痛えとか頭痛がするとか便秘気味
だとか色々体現すると思います。ここで自我が「経験を
積んだし上手くいった事もあるのに」と騒ぎ出すと
腰痛や便秘を体現している自分は最高の状態ではない、
つまりそれは何かを間違っている、何かが違うのだと
喚き出す事になります。

何かややこしい話になってしまいましたが要は自我が
求める「あるはずの最高」は存在しないんですよ。
そうではなくて「最適な行動」を取れば良いだけの話で、
腰が痛いなら湿布貼るとか便秘ならカンチョーする
とか"普通に"過ごせば良いだけであります。

「それじゃあ何も変わってなくね?」と思うかも
しれませんが意識というのは肉体が生まれる前から
ずっと在るわけで、何も変わっていないというか
変わりようが無いんですよ。

雨が降ったりカミナリが落ちたりクソ暑かったりしても
空は空のままで変わらないのと同じで、
何の経験も何の状態も必要としないのであります。
「年齢を若返らせる事は可能か?」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

これはちょっと話を逸らす感じになりますが、
そもそも年齢というのは肉体に起因するものであります。

なので前も書いた気がしますが肉体では無い、ということ
を知れば云々だと話が終わってしまうのでもうちょい
補足すると夢を見ている時にも夢の中の自分は身体・肉体
であるという意識はあると思うんですよ。
例えば夢の中で走ったり跳んだりしていたら自分の身体を
動かしていると認識しているはずですよね。

しかし夢から覚めると夢の中の身体の意識も感覚も
消失するので夢の中で確固たる感覚があった肉体は存在
しないという事になります。
逆も然りで就寝時は身体の感覚があっても、寝てしまうと
やはり身体の意識も感覚も無くなります。

つまり身体意識、つーか身体感覚(?)はあくまで
肉体があるという認識の元でしか出て来ないわけで
あります。

だがちょっと待ってほしい、いくら肉体が無いと言っても
毎日朝起きて出勤したりしているではないか。と思うかも
しれませんがこれも継続性があるから、という事でしか
ありません。仮に朝起きたら顔が変わってたとかハゲてた
とかで継続性が無くなったとしたら以前の肉体は
どうなったのかと思うはずです。

つまりこの時に慣れ親しんだ肉体という概念を探そうと
する"意識"が起きている時も寝ている時も常に在るもの
あります。

なので本質的に我々は肉体では無いのですから、
肉体に起因するあらゆる事は我々が肉体だったら問題
ですが、そうでは無いので問題では無いということです。

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