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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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皆様、お盆休みは如何お過ごしでしょうか、
私は相変わらず子育てに奮闘しております。

娘は公園デビューも果たし毎日ハイテンションに
遊んでいますが、全力遊びモードに入った
1歳児にオッサンが付き合うと、マジで
死ぬほど疲れるという事を学びました。

奮闘の合間に「神々の沈黙」つー本を読む機会が
あったのですが、ざっくり言うと大昔の
人間には意識そのものが存在せず、人類は
ダイレクトに神の声(今で言う統合失調症的な
ものだが、本人は神の声と感じている)を
聞いており、言語が発達してから人類は徐々に
神の声を聞かなくなり意識が生まれたのだ、
という大胆な仮設を検証していく、
喧嘩の時に武器になりそうな分厚い本であります

スピリチュアル系の書籍でも、神を見たとか
神の声を聞いたとか、宇宙と繋がったとか
確かに普通の感覚からしたら色々とヤバい
描写があるので、意識というか言語が生じない
脳においては、いわゆる分離では無く統一感的な
ものがあるのだろうか、とも思いました。
純粋な赤ん坊のようにウンタラカンタラとも
言われることもありますし。

ただ惜しいのはこの本は最初から最後まで
殆ど仮説の連発なんですよね。
続編も書いてるよ!みたいに言ってましたが
作者の人が残念ながらお亡くなりになって
しまったので、未完の大作という印象が
強い本でもあります。






個人的には子育てパパとしては、
赤ん坊というのは純粋ですが究極の分離状態だと
感じます。

これはかなり昔の記事でも触れていますが、
赤ちゃんは自他が一体ではなく差別化が
出来ていない状態なんですよね。

まあこの記事だと子供嫌いを宣言している私が、
今では娘ちゃん命になっているのも
面白いもんですね。

でも今でも基本的に子供は嫌いです、
この前娘を公園で遊ばせてた時も他のガキ共が
ブッサイクに見えてしょうがなかったです。
多分娘が他の子より美人過ぎるんだと思います。
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「職場で色々あったが許せないという感情を
我慢すれば良かったのか?」
というメールを
頂きました、ありがとうございます。

基本的に我慢しなくて良いと思います。
前の記事でも同じような事を書きましたが、
感情と今の状況って別物なんで無理矢理抑えても
あまりよろしくないです。

感情と自己を同一化していると「これは
良い感情」
とか「これは良くない」
間で勝手に葛藤しておかしな事になります。

例えば憎んでも憎みきれないぐらい嫌いな
政治家がいたとして、その政治家に
「○○議員、車に轢かれて政治生命絶望!」
とかのニュースが流れたら反射的に
ザマアとかメシウマだぜとかなると
思うんですよ。

これに対してそういう事を思うのは良くないとか
何だとか思い出すと、わけのわからない事に
なります。

そもそも反射的に思うっつー事は自らの意志に
関係無く出てくる
という事ですから、
自由意志なんて無いんですよ。
自由意志が無いものを無理矢理抑え込もうと
するから返って苦しむわけで、
繰り返しますがその時の感情とその時の
状況は全く関係ありません。

まあしばらくしてからSNSとかで
○○ザマア!m9(^Д^)プギャーとか発信するのは
どうかと思いますが、反射的に出てくる感情に
いちいち振り回されるのは馬鹿馬鹿しい事です。

というわけで許せないとか殺してやりたいとかの
感情を我慢する必要は全くありません。
「世界との一体感を感じました。
確かにあまり色々な事に気を煩わせる事が
無くなったが、何かロボットやAIのように
感情が欠落した感じになってしまいました。
どないしてくれるねん」
という
メールを頂きました、ありがとうございます。

ロボットやAIに感情があるとこれは厄介ですが、
一応人間なので感情が欠落したりはしません。

そもそも感情は自己を支えとして初めて
確固たるものとして成立します。

要は起きている出来事と、その時の感情が
分かれている
というのが近いです。

例えば麻雀のルールを知らないで漠然と
牌を切ったりしてても何が何だか
わかりません。

しかしルールを知るとそこに感情が入り込みます
やっている事は牌を切っているという
同じ事なのに、ああでもないこうでもないと
思うようになり、その思いと自己を同一化
する事で更に「これは問題だ」という感情が
芽生えて話をややこしくしていきます。

つまり実際に起きている事と思っている事は
違うのですが、思っている事を事実として
認識してしまう
という事ですね。

なので世界との一体感云々というのも
"そう思っている"或いは"そう感じた"事なので、
微妙に違うのですね。

"感じた""思う"ものではありません。
言葉では説明できない、それそのものだけが
"在る"のであります。
だいぶ前にネタにさせて頂いた○福の○学で
有名なO川隆4先生の息子さんが、何と
名誉毀損でO川先生から訴えられたと
Youtubeに動画を投稿しているじゃありませんか

神から訴えられた人間て、多分人類初の快挙だと
思うんですが、O川先生も神様なのに
こういう時は神の力を使わずに人間界の
しきたりに従って裁判制度を利用されるのですね

これと似た感じ(?)で、たまにメールでも
病気に関してスピリチュアルの力で
どうこうとかの相談を頂く時がありますが、
そういう場合、私はスピリチュアル云々は
置いといてまず病院へ行く事をお勧めしています

病気だと何だか深刻な気になってしまうかも
しれませんが、これが例えば電車で東京方面に
行くつもりが間違って田舎方面に乗って
しまった場合、スピリチュアルガーとか言ってないで次の駅で降りて反対のホームから
乗れば良いだけの話で、恐らく99%の人が
そうすると思います。

病院へ行くのも、ホームを乗り間違えたから
次の駅で降りるのも同じです。

深刻度(?)を増しているのは病院へ行った後、
治療を初めた後、を勝手に想像しているからで、
それが無ければ何の問題もありません。

これは株式投資とかでもそうで、
例えば損を出して損切りが出来ないのは
損切りした後、を勝手にああだこうだ
想像するからであって、損切り自体は何一つ
良い事でも悪い事でもありません。

何を深刻に捉えて何を気にしないかは
人それぞれ今までの経験や知識で違いますので、
要はそういった積み重なったものに
反応させられているだけ
である、
という事を知りましょうという話でした。








余談ですが私も高校ぐらいの時にオヤジと
喧嘩して派手にぶん殴られて「てめー、治療費を
請求すっぞ、裁判だオラ!」
とかイキったら
「何が裁判だ100年早いんじゃボケー!」
さらにボコられた経験がありますので、
O川先生の息子さんも親父さんと泥沼化
しない事を祈っています。

何しろ相手は神だしね。
「OKもNGも無いのに何故スピリチュアル系の
書籍等ではエゴをNG扱いしているのか?」

というメールを頂きました、ありがとう
ございます。

これは鋭い指摘だと思います。

エゴ、つまり自我は早い話が私と、私では
ないもの、を区別しているわけです。

例えると、車を運転している時は車体の
幅って何となく感覚的に認識していますが、
だからといって私と車は一体であるとか
思わないのは、私と車を明確に分けている
からであります。しかし実際は車を運転している
状態は車と一体ですし、電車に乗っている時は
電車と同じスピードで走っているわけで、
一体と言えば一体なんですね。

要は分けている、または分かれているという
錯覚が自我であって、別にNGでは
無いのですよ。目の錯覚が実際には
存在しないのに近いです。

ただ分かれているという錯覚によって、
これまた様々な錯覚を呼び起こし、
常に錯覚の中で過ごしている事になって
しまうので、それを取り除く(?)というか
錯覚を錯覚として認識しましょう、という
話です。
つまり錯覚を錯覚としてわかっていれば
別にNGでも何でも無いのですね。

錯覚錯覚しつこいですが、錯覚は錯覚として
認識した瞬間に錯覚では無くなる、
つまり
実体が無くなり観念上の存在になるので、
エゴをNG扱いする、というのは
エゴという何かが常に存在していると
いう事になってしまいます。

なのでOKもNGも無いのにエゴは
NG扱いにしているのはおかしいやんけ、
というこの方の疑問は正しいのであります。

そしてそういった疑問を持つという事は、
既にエゴの本質を見抜いているという
事でもあります。

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