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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「OKもNGも無いのに何故スピリチュアル系の
書籍等ではエゴをNG扱いしているのか?」

というメールを頂きました、ありがとう
ございます。

これは鋭い指摘だと思います。

エゴ、つまり自我は早い話が私と、私では
ないもの、を区別しているわけです。

例えると、車を運転している時は車体の
幅って何となく感覚的に認識していますが、
だからといって私と車は一体であるとか
思わないのは、私と車を明確に分けている
からであります。しかし実際は車を運転している
状態は車と一体ですし、電車に乗っている時は
電車と同じスピードで走っているわけで、
一体と言えば一体なんですね。

要は分けている、または分かれているという
錯覚が自我であって、別にNGでは
無いのですよ。目の錯覚が実際には
存在しないのに近いです。

ただ分かれているという錯覚によって、
これまた様々な錯覚を呼び起こし、
常に錯覚の中で過ごしている事になって
しまうので、それを取り除く(?)というか
錯覚を錯覚として認識しましょう、という
話です。
つまり錯覚を錯覚としてわかっていれば
別にNGでも何でも無いのですね。

錯覚錯覚しつこいですが、錯覚は錯覚として
認識した瞬間に錯覚では無くなる、
つまり
実体が無くなり観念上の存在になるので、
エゴをNG扱いする、というのは
エゴという何かが常に存在していると
いう事になってしまいます。

なのでOKもNGも無いのにエゴは
NG扱いにしているのはおかしいやんけ、
というこの方の疑問は正しいのであります。

そしてそういった疑問を持つという事は、
既にエゴの本質を見抜いているという
事でもあります。
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「だいぶ前からブログを読んでいますが
私も子供を2人産みました。本当に子供が
愛おしくて子供を失うかもしれないと
想像しただけでおかしくなりそうです。
知らんさんは子供を失う事が怖くないの
ですか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。
そして御出産おめでとうございます。

ちょっと話が飛躍しますが、
そもそも何故これが問題だとかあれが怖いとか
なるのかっつーと、全て「人生」という
枠組みの中から見てるからなんですよね。
我々は基本的に人生は良くしていかねばならない
という固定観念みたいなのがあります。

これが曲者で、例えばスピリチュアル本で
とても心に響く言葉を読んだとか、あるいは
ある日突然何かしらの気付きを得た、
とかになると、そういった経験自体が
「人生を良くする」という大義名分に
使われるという事です。

つまりあらゆる行動が「人生を良くする」に
ベクトルが向いているので、自分の考えとか
言動も全て「人生を良くする」に支配されて
いる
という事に気付けません。

Aというブログではこう言ってた、でもBという
本ではこう書いてあった、でもCさんという
立派な坊さんはこう言ってた、に何とか
折り合いを付けようとしているのが
思考している状態ですが、これもやはり
「人生を良くする」為にやってるわけで、
そうするとこれは別に自由意志に基づいた
思考でも何でも無い
のであります。

ですから本当の意味で自由になるには
人生を捨てる事です。

これは別に世捨て人になれとかではなく、
全ては「人生を良く(しなければならない)」
に支配されているだけなのに、自分で色々と
考えていると思っていただけという事を
知る事であります。

話を冒頭に戻すと、「子供を失ってもおまえは
平気なのか?」に対しては、もちろん平気では
いられません、としか答えようが無いですが、
もはや「私の」人生は消滅しているので
問題ではありません。
熟睡している状態は何物にも影響されない
状態であり、これは死と同じであります。
そして起きている時、つまり生の状態は
様々な物に影響を受けます。

何故影響を受けるのか?
それは起きている状態では自己と外の物が別々に
在るかのように感じ、外から色々襲いかかって
来るように感じるからであります。

本来全て自己なのに何故、コントロールが
出来ないのか?
という質問は多いですが、
それは外から襲いかかってくる物という
前提が間違っているからです、全て内側
なんですよ。

例えば夢の中で何かに襲われたとしても、
夢だとわかっていれば、特にコントロール
しようとは思わないでしょう。
夢、つまり自らの内側で展開されている物だと
わかっているからであります。

ですから影響を一切受けないようにする為の
方便として、神に祈るとか潜在意識に
任せるとかは効果があるのであります。

その内にそういった方便も必要無くなります。
水面に浮かぶ月がどんなに揺れているように
見えても、月自体に何の影響も無いのと
同じです。
以前、世界がTPS(サードパーソン
シューティング)視点で見える、
という掲示板の
記事を読んだ事があるんですが、
これはマジだとしたら年がら年中幽体離脱
してるわけで大変に興味深かったです。

ちなみにTPSとは何ぞやという人のために
ざっくり説明すると、要はゲームで自分の
動かすキャラが常にこちらにケツを向けている
状態で操作するのがTPSだと思って頂いて
良いです。

つまりTPS視点で見えるという事は、常に
自分の後頭部やケツを見ているわけで、
そんなバカな!としか思えない話であります。

で、私もまあ特技というかプチ幽体離脱というか
少し妙な事が出来るんですが、例えば寝てる時に
頭の方は上、足先の方は下、と認識していると
思うんですが、これって謎の座標みたいのが
身体イメージに存在してて、それを基準に
上とか下とか判断してると思うんですよ。

私の場合、何故かこの身体座標みたいのを
ある程度動かせるんですよ。

例えば通常(?)だと、横になってて膝が痒いと
下側(足方向)が痒いと認識しますが、
座標を足先に持ってくると上側(頭方向)が
痒いって認識する
んですよ。

だから何というレベルの話ですが、
結局我々が肉体だと思っているものも
イメージなわけで、実際は存在しないのではと
強く思うようにはなりました。

ちなみに敷き布団の方に座標を移動すると
自分の身体が上にあると感じます。

こうなると自分とは布団なのかそれとも
上に乗っかってる汚いオッサンなのか、
何かどっちも嫌だなとか思いますが、
しかし布団でもオッサンでも無く
ただ単に嫌だなと思っている"これ"は
何なのかとか、色々考え出して寝れなく
なるので、俺も今夜からやってみようとか
思うのはやめた方が良いです、
何も良いこと無いです。
「身内が宗教にハマって困る」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

一度返信したんですけど何故かエラーが
出たのでブログの方に書きますが、
基本的に宗教とかスピリチュアルとか
信仰している人を真正面から改心(?)
させるのって殆ど不可能です。

何でかっつーと人間の行動って良かれと思って
やっているのが殆どです。事故ると思って
ドライブ行く人は居ませんし、
落ちると思って受験勉強する学生も居ません。

ですからまずは相手と利害の一致を見る
ポイントを見つけて、そこから現在信仰している
宗教なり何なりに依存しても大してメリット
無いやんけ、と思わせるようにもっていくのが
良いと思います。これが「妙ちくりんな
宗教にハマりやがって、ええ加減にせえボケー」

みたいに突撃すると必ず泥沼化します。






ここまで読んで「あれ?じゃあこのブログ読んでも
意味無くね?」
とか気付いてしまったあなたは
正しいです。
人間の苦しみみたいなのは、期待して行動して
裏切られての繰り返しから生じるからです。

ですから行動自体に期待という余計なものを
付けなければ良いのであります。
そうすれば余計な期待や後悔に邪魔されること無く
行動だけが行われ、結果として質の高い
行動となるのであります。

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