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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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私は少年野球経験者ですが、中学生ぐらいから野球には興味を無くして
あまり観る事もありませんでした。
しかしオッサンになった今、久々に野球観たら球界の盟主巨人が
連敗街道を突き進んでいるじゃありませんか。

広島・楽天・オリックス・西武と全部3タテ喰らって養分になって
次の日ハムにも負けたらハムの餌とかもう意味わかんねーとか思ってたら
巨人ファンの方から「巨人が負け続けて死にそうです。選手達が苦しそうで私も辛いです、
どうしたら良いのか」
というタイムリーなメールを頂いてしまいました。

ここで肝心なのは選手が苦しそうっつーのはもちろんそうだとは思いますが、
しかしながらそれらは全て個人の思いの中にしか無いという事であります。

例えば私が「死ねやボケカス」とかブログに書いてたらコイツ今日は随分と
荒れてんな、と思うかもしれませんが、実際は笑顔で機嫌良く書いているかもしれませんし、
やはり最初に受けた印象の通り荒れているのかもしれません。

つまり受ける印象は、あくまでそのような印象、というだけであって
事実では無いという事であります。
多くの人は受ける印象をそのまま事実であると認定して、
大袈裟に言えばそこから世界をスタートさせます。

印象は印象に過ぎません。少し話が逸れますが、箱の中の猫が生きているとも言えるし
死んでいるとも言えるとかいうナントカの猫っていう話がありますけど、
あれで言えば猫が死んでいるという印象を確固たる事実として
受け取ってしまっているのと同じです。

ですから「猫を生き返らせるにはどうすれば良いか?」という事自体が
おかしいのであります。印象は印象であって事実では無い、という事は
印象を元にしてスタートさせた物語の主人公たる自己も事実では無いという事です。

こうして架空の自己は消えるのであります。










余談ですけど、こういった受けた印象だけで架空の物語に突入する最たるものが
恋愛じゃないかと思います。特に男なんていつまでも十代の頃の恋愛とか引きずってるのが
たまに居ますよね、私の友達にも居ます。

私は男にしては珍しく(?)過去の恋愛とかどんどん忘れるタイプなんで、
性格的なものもあるんでしょうけど、こういう引きずってる連中が理解出来ない事が
あります。

「昔の彼女と再会して少し話をして、お互い今は結婚しているけど今も想いは
繋がっているのを感じた」
とか、大体こういうの女性の方は大して思ってないですから(爆)
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「奥さんがご懐妊されても、知らんさんにとっては他人事のような
ものなのでしょうか?」
というメールを頂きました、ありがとうございます。

もちろん嬉しいとか心配だとか本当に私の子供なのかとか、色々と
思うところはあります。しかしそれらの思考や感情は、別に味方でも無ければ
敵でも無い
という事です。

話が少し逸れますが「私はカネにも女にも縁が無いので困っています」という
メールを以前貰ったんですけど、これはカネにも女にも縁が無いので云々という
思考を何とかしたい、つまりそれを敵と見なしているわけであります。

しかしながら敵が存在するには、その敵の攻撃を受ける何者かが居なくては
なりません。
思考が浮かぶのは全然構わないのですが、それから攻撃を受ける
何者かも同時に作ってしまっている。これははっきり言って妄想の中で
壮絶バトルをしているわけです。

そして攻撃を受けている者は、攻撃をどうにかしないと未来においても
ボコられ続けて破壊されてしまうと何故か判断するので、
攻撃を緩和してくれるものを探し続けます。
それは宗教だったりお祈りだったり何かの修行だったりします。

しかし、そもそもの発端は思考や感情に対して、敵から攻撃されている何者かを
勝手に作って勝手にバトっている事がおかしいわけで、
これでは仮にバトルに勝ったとしても、ドラゴンボールのように新たなる敵が
現れるのは時間の問題であります。もっと言えば「攻撃されて未来がヤバい」という
未来も、妄想のなかでしか無いものです。

ですから何も受け取らない事が肝要です。

これを感情を「感じ切る」と表現する場合もありますが、これだと感じ切る何者かが
居る事になるので文章での表現は難しいですが、要は対立するものなど
何処にも居ないという事ですね。
「普通に生きている自己は結局は大きな意志みたいな掌の上で
転がされているしかないのか」
というメールを頂いたんですが、
これは大きな意志とか何だとか考えない方が良いと思います。

例えば有名なルビンの壷で言えば、向かい合ってる顔が変われば
壷の形も変わりますが、壷から見れば向かい合ってる顔の形も変わるので、
別に両者に大きいも小さいも無いのであります。

つまり全くの対等というか、お互いがお互いを成立させているという事ですね。

しかしながら我々は日常において認識しやすい方を自己であると定義している事が
多いです。

仮に椅子に座った状態ですと、椅子に座っているであろう何かを自己としていますが、
椅子があるからこそ何かを感じられるという事でもあります。
これは椅子のおかげで自己と感じられるものが成り立っているわけで、
椅子が消えれば自己であると感じられるものは消えます。

しかし椅子が消えたら今度は、床に横たわっていると感じるものが自己であると
切り替わるかもしれません。これも床があるからこそ、自己と感じるものが
出てくるわけであります。

つまり椅子とか床とかの関係性の中においてのみしか自己は確立出来ないという事です。
関係性が無いと確立出来ないのであれば、自己とはルビンの壷の如く、
存在しているとも言えるし存在していないとも取れるものです。

もっと言えば壷が自己なのか、それとも壷を成立させている向かい合った顔が自己なのか。
こうして経験者としての自己は、世界に溶けていくのであります。
「精神世界やスピリチュアルが好きで様々なサイトや書籍を読みました。
不思議なのはこれだけ覚醒したとか気付いたという人が世界中に多く居るのに、
何故世界は良い方向へ向かわないのでしょうか」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

この方は非常に鋭い点に気付かれたと思います。
そもそも見ている世界や感じている自己は全て意識上でのコンテンツに
過ぎないわけであります。

ですからコンテンツ内において気付いた、目覚めたという人は無限に湧いて出て来ても
おかしくはありません。

同じように”自己”にも気付きだ何だはいくらでも起きます、
この”いくらでも”がポイントなのであります。

自己というコンテンツ内に居る以上、覚醒や目覚めはいくらでも起きるものです、
私も多分100回ぐらい目覚めてます(?)
これはスポーツ選手が練習で新たな身体感覚を得るのに近いです。
そしてその得た物に大きくフォーカスして、今度はそれを通してやはりコンテンツ内に
居続ける事になるので、新たな気付きはまたやって来ます。

つまりどういう事だってばよ?要は気付きだろうが何だろうがコンテンツ内のものに
フォーカスしている以上、ずっと同じ事を繰り返すという事です。
気付いていない人から気付いた人になって、今度はもっと気付いた人になるだけなんですよ。
まさに超サイヤ人のバーゲンセールと化すのであります。

この輪廻転生とも言うべき流れから抜けるには、コンテンツ内のものにフォーカスするのを
止めれば良いのであります。

前の記事と被りますが神様を信仰して、つまり神というコンテンツに強くフォーカスして
却って悩むぐらいなら神様なんて捨ててしまえば良いだけです。

腹が痛いとか頭が痛いというのも、そういった感覚がコンテンツ内で展開されているだけで
それでどうこうする自己も、やはりコンテンツ内のものです。

ですから勝手に展開させておけば良いのです。展開させておくという事は、
コンテンツからの離脱を意味します。コンテンツからの離脱とは、つまり生や死の繰り返しが
終わる
という事です。

気付きや目覚めなんてのは100回でも200回でも訪れます。
特にスピリチュアル好きな人なんて、ブログで毎日のように新たな気付きがありましたとか
言ってる人多いんじゃないでしょうか。

しかしながら離脱は一度だけです。何故なら離脱はコンテンツ自体が
文字通り”死ぬ”からです。

こうして悩み多き一生は終わりました、おめでとうございます。
最近は付き合い無いですけど、十五年近く前に知り合いで某宗教に入信した奴が居て、
色々悩み多かった彼もついに神に救われるのかと思ってたら、
何かある度に教えに反してるとか神に怒られるとか、しょっちゅう神様の機嫌を
伺ってたんですよ。

今にして思うと、こういうタイプの人は宗教とかに入ると
却って色々悪化するんじゃないかと思います。

神様っていうのは概念上のものですから、言葉は悪いですけど自分を救う為に
利用すべきであって、自分という概念のさらに上位概念に神を置いて、
神が見ているとか神がどうのこうの言うのは本末転倒ではないかと思います。
だったら神様の機嫌など気にしないで、好きなことを追求する方がよっぽど健全では
ないでしょうか。

これは神様を潜在意識に置き換えても当てはまる事で、だいぶ前ですが読者の方から
「潜在意識に良いと言われる物を知ったのですが、全部私の嫌いなもので困っています」
みたいなメールを頂いた事もありますが、これも「神のご機嫌を取るのはどうすれば良いか」
的なものですよね。

何で潜在意識っつーものを上位概念のように捉えて、しかも食い物まで気にしなくては
ならないんでしょうか。祖父が昔飼ってたクソ高い錦鯉じゃあるまいし、牛丼でも食ってろと
思いました。

潜在意識とか神様でも何でも良いですが、上位の存在のように扱う必要はありません。
むしろそんなのは単なる概念であって、ぶっ壊す方が良いです。

以前も書きましたが、私の学生時代の友人は同性愛者である事に悩み、
結局、就職した後に自室で首を吊って自殺してしまいました。
彼は世間体や両親の事やら何やら気にして、それらと上手くやっていけない自分に
苦しんでいましたが、彼は彼自身の概念によって残念ながら死を選んでしまいました。

そうかと思うと先輩の一人は獣姦好きを堂々と公言し、けものフレンズとして
青春を謳歌し、ブルドッグのような女性と結婚して今も元気にやっているようです。

普通はこいつの方を世間から隔離すべきではないかと思いますが、
けもの先輩は世間体とか何だのといった概念が無い人だったので、
ある意味ダイレクトに願望を実現(?)してしまった人ではあります。

自分を苦しめているのは、やはり自分なのであります。
ですから何かの概念に気を使い出したら、その概念は捨てるべき時が来たという事です。

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