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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「今に在る」という言葉もスピ系ではお馴染みのフレーズです。
今回は「今」特集という事でお話します(タイトルに深い意味はありません)
私たちは普段から、色々な事柄や物に対して注意を向けています、
そして注意を向けたものに対し、思考でリアクションし、思考がまた新たな
思考を生み、無限にリアクションを続けます。

これは常に妄想の世界に居続けるのと同じです。
基本的に思考によるリアクションは「過去」に対する後悔、もしくは「あの頃はよかった」的な
思い、そして「未来」に対する希望、あるいは絶望に対してのものです。

勝手に過去を「悪かったもの」「あの頃は良かった」と評価しているのはエゴですし、
勝手に未来を「素晴らしいもの」「酷いもの」と評価しているのもエゴです。
つまりポジティブシンキングもネガティブシンキングもどちらも、今、存在しないものに
対してのリアクションという事では同じです。


ここから話が少々ややこしくなるのですが、「未来」「過去」に対する評価は
どこから出てくるのでしょうか、そう、「今」ですよね。
「今」と比較して「昔はよかった」とか「未来はバラ色」とかエゴが勝手に決めてるわけで、
それに対して右往左往している状態が妄想の世界に居る状態です。

以前、「今」を感じる事は「今」を否定する事でもある、という事を書きました。
これはもっと言うとエゴが作った「今」を否定する、という事です。

例えば「なんつー汚い部屋にいるんだ」とエゴが「今」を判断し、「でもナントカの法則を
使えば綺麗な部屋に住める」と「未来」に対する期待を生みます。
あるいは「もう一生汚い部屋で暮らすのか」と「未来」への絶望を生みます。
または「昔は綺麗だったんだけどなあ」と「過去」へと思考を飛ばします。

これらは全てエゴが作った「今」によって生まれているという事に注意してください、
スタート地点をエゴに勝手に作らせたら、そこから全てがエゴのまやかしになってしまいます。
ですから「今」をエゴに明け渡さないようにするのが本当の意味で「今」を感じる事に
なるのです。そこは時間も何もない、何も起きてはおらず、これからも起きない
純粋な「今」です。

まさに「今」すぐどころかそれは常にあなたの側にあったのです、
エゴが見えなくしていただけだったのです。
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前にちょっとだけ認識を変化させてどうのこうのと書いたかもしれないんですけど、
「認識が変わる」事は別に絶対追い求めなくてはならないものでもないです、が
あらゆるスピ系の願望実現メソッドはこの「認識の変更」によって
感覚的に理解しやすくなるかもしれません。
あくまで私の経験ですが、これはどうも段階みたいのが存在するっぽいようです。

私が「認識の変更」ぽいものを最初に体験したのは自転車に乗って信号待ちしている
時です。本来はその前にメチャクチャにストレスがたまる事があり、そのストレスと
戦いつつ、何となくエゴの正体に気付きつつあったのですが、その辺は書いてもつまんないんで
ハショります。

これからお話しする話は、ちょっとブッ飛んだトンデモ体験かもしれないですが、
信号待ちをしている時に突然、その場から「私」がいなくなってしまったのです。
もちろん目の前に信号機もあり、車も普通に走っています。でも、それらを認識している
「私」がいなくなってしまいました。いなくなったというより、その空間を構成している
全てが、あるいはその空間を空間として認識している何かが「私」になったのです。

私はこの時、ものすげー焦りました。
必死に「そこからいなくなった私」を探そうとしました。探すと、いつもの感覚に戻り
いつもの「私」を認識しました。この時以降、私は「いつもの私」はエゴの幻想であり、
幻想の向こう側に在る「本当の自分」を垣間見た感覚を持ちました。
これが「認識の変更」の初期段階だったのかもしれません。

私の体験と似たような話は以前お勧めした書籍「過去にも未来にもとらわれない生き方」にも
色々と書いてあります(バス乗ったら自分の体の後ろにいたとか、歩いてたらいきなり全てが
消えたとか)私自身もこの本を読んで「もしかしたらちょっとした目覚めの体験
だったかもしれない」と思ったわけです。(まあ単なる病気だけだったかもしれないんですけど)

ただ「ではどうすればそのような事を体験できるのか?」と突っ込まれると困ってしまうんですよね。
私自身も別に体験したくて体験したわけじゃないんで。
と言っても「認識が変わる」と思考は存在しない感覚になるので、
やはり思考を止める事から始めると良いと思われます(こればっかしでスイマセン)
「世界は自己の内面の投影である」 とはスピ系においてよく言われる事ですが
これもそのまんま受け取るとエゴが色々と騒ぎ出すと思います。言葉での説明は
難しい、と実感する次第です。

まず「世界が自己の内面の投影」であるならば何故悪い事が起こるのか、
内面をキレイにしようとしているのに何故なんだとエゴが騒ぐと思います。
しかし、起こっている物事の善悪を決めているのはエゴであり、エゴの判断に
いつの間にか従って「この世は素晴らしい」だの「この世は最悪だ」とか
思考によるリアクションで決めているわけです。ですからそのようなエゴの判断を
採用しない事が、昨日の記事に書いた「思考を止める」事に繋がるのです。

ただ難しいのは「思考を止めよう」「エゴの判断を採用しないようにしよう」という
「思考」がすでに世界からの分離を起こしてしまっているという事です。
ですから「何もしない」事が全てであり、「全てを忘れる」事がコツといえばコツなのです。
時間を否定した所に「本当の自分」があると感じます、
では時間の否定とは何でしょうか。
簡単に言うと「今」を感じる事なのですが、同時に「今」を否定する事でも
あるのです
、ていうか文章にするの難しいですね。

「今」を否定すると「未来」「過去」も無くなります。
あくまでも「今」という時間軸を作っているから、「未来」と「過去」が
現れるわけです。
「今」にあって「今」でない事を感じます。

もっとくだけた言い方をすると、完全に真っ暗闇で外の光も差してこない、
時計も無い部屋に篭ったなら「時間」という概念が薄れてきます。
「どれぐらい経ったかなあ」と「時間」の概念を作る事は出来ますが、
それはあくまでも単なる概念です、時計や太陽の動きなどはそれらの概念を
論理的思考の中で強化しているに過ぎません。

「今」はありませんが、同時に「今」しか存在していないのです。

無意識の内に行っている「論理的な思考」の外へと飛び出すことが出来れば、
今までの認識から何かが変わり始めるかもしれません。

といっても本当に真っ暗闇の部屋にずっと篭ったりするのはやめてください、
頭がおかしくなって幻覚でも見るのがオチです。
私が個人的に感銘を受けたスピ系の本は「過去にも未来にもとらわれない生き方」(ステファン・
ボディアン)と「今ここに、死と不死を見る」(ダグラス・ハーディング)の二冊です。

特に「過去にも未来にも~」にある一節「あなたの両親が生まれる前、あなたは
何処にいたのか?」
だったような内容の質問にはとても感動しました。
この質問で私はある種の目覚めというか、気付きを得た、のかもしれません。
感動した割にはうろ覚えなんですけど。

「今ここに~」の方は定価2100円にして、簡単な実験で不死を体験できるという
実にコストパフォーマンスの良い本です。まあ体験したからすぐにどうだってわけでも
ないんですけど、内容は非常に面白い本です。あとタイトルもカッコイイですよね、
「今ここに、死と不死を見る」なんて日常じゃまず言うわけねえだろって言葉ですよね。
ただちょっと訳に難があるかもしれません。

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