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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピリチュアル的ないわゆる気づきみたいのは
経験を積み重ねていく事で何かしらを掴むみたいな、
ドラクエのレベルアップみたいなイメージがあるかも
しれませんが、実際はそうではなくて何か知らないけど
認識が変わる的な感じになります(多分)

そもそも経験を積んだと感じているのは何か?っつーと
自我がそう感じているだけで、前回の記事とも少し
被りますが継続性を感じているのは自我だけなんですよ。

つまりこれだけスピリチュアル系の書籍を読んだとか
ありがたいお経を唱えたとか神社にお参りしたとか、
これだけやったからこう、みたいな経験値を積んでいると
自我が勝手に判断しているだけです。

この経験を積んでいるという(はず)という判断の
厄介な所は、例えばあるスピリチュアル的なメソッドを
行ったら何か上手くいったとしましょう。
そうするとそのメソッドなり何なりを更に強化するとか
新たな手法を研究するとかの方向に行きがちなわけです。
要はベストな状態、何をやっても上手くいって
願望入れ食い最高や!に近づいているはずなのだという
判断を自我がしてしまうわけです。

そうではなくて語弊がある言い方ですけど、
そんなものどうでも良いんですよ。
意識が何を臨在させるかはわからないので、
何か朝起きたら腰が痛えとか頭痛がするとか便秘気味
だとか色々体現すると思います。ここで自我が「経験を
積んだし上手くいった事もあるのに」と騒ぎ出すと
腰痛や便秘を体現している自分は最高の状態ではない、
つまりそれは何かを間違っている、何かが違うのだと
喚き出す事になります。

何かややこしい話になってしまいましたが要は自我が
求める「あるはずの最高」は存在しないんですよ。
そうではなくて「最適な行動」を取れば良いだけの話で、
腰が痛いなら湿布貼るとか便秘ならカンチョーする
とか"普通に"過ごせば良いだけであります。

「それじゃあ何も変わってなくね?」と思うかも
しれませんが意識というのは肉体が生まれる前から
ずっと在るわけで、何も変わっていないというか
変わりようが無いんですよ。

雨が降ったりカミナリが落ちたりクソ暑かったりしても
空は空のままで変わらないのと同じで、
何の経験も何の状態も必要としないのであります。
PR
「年齢を若返らせる事は可能か?」というメールを
頂きました、ありがとうございます。

これはちょっと話を逸らす感じになりますが、
そもそも年齢というのは肉体に起因するものであります。

なので前も書いた気がしますが肉体では無い、ということ
を知れば云々だと話が終わってしまうのでもうちょい
補足すると夢を見ている時にも夢の中の自分は身体・肉体
であるという意識はあると思うんですよ。
例えば夢の中で走ったり跳んだりしていたら自分の身体を
動かしていると認識しているはずですよね。

しかし夢から覚めると夢の中の身体の意識も感覚も
消失するので夢の中で確固たる感覚があった肉体は存在
しないという事になります。
逆も然りで就寝時は身体の感覚があっても、寝てしまうと
やはり身体の意識も感覚も無くなります。

つまり身体意識、つーか身体感覚(?)はあくまで
肉体があるという認識の元でしか出て来ないわけで
あります。

だがちょっと待ってほしい、いくら肉体が無いと言っても
毎日朝起きて出勤したりしているではないか。と思うかも
しれませんがこれも継続性があるから、という事でしか
ありません。仮に朝起きたら顔が変わってたとかハゲてた
とかで継続性が無くなったとしたら以前の肉体は
どうなったのかと思うはずです。

つまりこの時に慣れ親しんだ肉体という概念を探そうと
する"意識"が起きている時も寝ている時も常に在るもの
あります。

なので本質的に我々は肉体では無いのですから、
肉体に起因するあらゆる事は我々が肉体だったら問題
ですが、そうでは無いので問題では無いということです。
この前娘と鬼滅の刃の映画行ったんですけど、
前作の無限列車編からもう五年も経ってるんですねえ。
当ブログの過去記事にもありますが当時はまだ話を
理解出来るレベルではなかった娘も今やすっかり
クソ生意気な小娘となりました。
あの時はまだ滑舌もあやしくて、鬼滅の刃を
(・ω・)きめつどらいばー と言っていた事が
懐かしく思われます。

娘はアニメ版は何となく見てましたが、あまり漫画を
読むタイプでは無いので原作を大して知らない状態だった
こともあり、二時間半の長丁場を最後まで真剣に観て
いましたね。

観終わってから (^Д^) 面白かったねー と言ったら
娘が呆然とした顔で
(゚ω゚) しのぶさん、死んじゃったね・・
と固まっていたので、小学二年生の女の子にはちょっと
刺激が強かったかもですね。描写だけ見るとかなり
エグい殺され方してますし。

そもそも鬼滅の刃って子供向けの作風じゃないですよね、
私は原作はざっとラストまで読んだ事ありますけど
むしろ大人向けだと思います。

話をいつものように強引にスピリチュアルに持って
いくと、今回の映画に登場した童磨っつー敵キャラは
ある意味スピリチュアル的にはかなり完成されていると
思うんですよね。

基本的に彼は物腰が柔らかいんですけど、その穏やかさも
相手がどう反応するのか、どう考えるのかを模索しながら
それに合った感情を演じている感があって、
つまり彼自身は完全に無なんですね。

我々も普段は怒ったり悲しんだりしますが、
これはどういった感情がその場に相応しいか?を無意識に
選択しているとも言えます。

簡単に言うと怒りっぽい人というのは常に怒りという
感情を選ぶ率が高いという事になります。
その無意識の選択の積み重ねを"性格"と呼んでいる
わけで、実質は無でありパラメーターを設定された
データに過ぎません。

童磨は基本的に自身の感情と認識しているものが無く、
全てその場の選択に基づいた演技としての感情しか
無い印象があります。

で、こっから原作および次回作の映画でのネタバレに
なってしまいますが、後半戦の戦いで首を切られた童磨は
最後の最後で恋心という"自己の感情"を認識しますが、
とっととくたばれとこっ酷くフラれ、自身に初めて生じた
自我と共に消滅します。
この辺の一連の流れは自我の無いものが自我に目覚め、
そして消滅するという、作劇として非常に上手かったと
思います。

なので私は童磨はサイコパス系というよりかは
ある意味生まれつきスピリチュアル的な目覚めに近い
ものを得ていた人物という印象です、両親が何か
宗教団体やってたし。

まあ実際の所は猗窩座が感情的・人間的なのと対比して
童磨というキャラを作ったと思いますが、
私は鬼滅の刃で一番好きな鬼はと言われたら童磨ですね。
世間はお盆休みですが皆様如何お過ごしでしょうか。
私は娘が海に行きたいと言い出したので今月の頭から
毎日ひたすら某県の海水浴場で過ごしていましたが、
昨日帰って参りました。
娘も日焼けで真っ黒で何だかジャネット・ジャクソン
ホイットニー・ヒューストンみたいになっています。

この前は海で遊び疲れた娘がボーッと空を見上げて
ふと (・ω・)空大きいねー、みんな空の下にいるんだ
ねぇー
 と突然哲学的な何かを悟ったかのように
つぶやいてましたが、これを強引にスピリチュアルの話に
持っていくと、例えば「何処に住んでいますか?」と
言われれば東京ですとか埼玉ですとか答えますが、
「何処の空の下ですか?」と言われたら空は何処も
一緒やろとなります。

◯◯の大空の下で、とかの表現もあることはありますが、
実際日本だろうがアメリカだろうが何処に居ても
空は空です。

つまり空の下にいるのに埼玉県在住とか区別をする事で
関係性が生まれ、あらゆる物は関係性の中においてのみ
存在する
ということであります。

ですから前の記事と少し話が被りますけど
スピリチュアル的な話で何でもかんでも肯定しろみたいな
のがありますが、これも関係性の中においてのみ
成立するものをいちいち否定して確固たる形を認識する
よりは、肯定してさっさとスルーしていった方が
本来の在り方に近いからであります。

例えばアベ政治を許さないとかも否定するからこそ
存在するわけで、だったら肯定してしまった方が
それはもう終了となります。

私も嫌いなREN4がこの前の参議院で立候補してて
「こいつまた出てくんのかよふざけんなボケ」とか
否定してたら当選しちゃってヽ(・ω・)/ズコーとなったので
皆さんも何でも否定するのはやめましょう
「スピリチュアルでよく言われる世界は自分であるとか
も、結局は何があっても念仏を唱えるように自己は存在
しないという事を意識するだけなのか?ぶっちゃけると
何も気にすんなという事か?」
というメールを
頂きました、ありがとうございます。

まあそうですと言えばそうなんですけど、
結構誤解されやすいのは例えば歩いてる時に車が
クラクション鳴らして走ってきたら普通は退きますよね。
ここで全ては自己である云々とか言って何もせずに車と
激突したらそれも有りですが傍から見たらアホっちゃ
アホです。

なので「世界は自分云々」を感覚として落とし込む(?)
には取りあえず内面と外面に分けると多少は何となく
わかるかもしれません。

内面つーのは自分の中の意識とか感覚ですね、
つまり「世界は自分であった!」「自己は存在しない」
とかの、ある意味電波系が内面となります。
対して外面とは文字通り外、先の例で言えばクラクション
鳴らしてきた車とかがそれになります。

で、内面と外面がぶつかるとほぼ確実に外面が勝ちます
そもそもスピリチュアルに目覚める切っ掛けは
外面の出来事から入るのが多いと思われます。
例えば今月ピンチ、何とかしてお金が入らないかとかで
タイミーとかやれば良いのに何故か怪しいスピリチュアル
ブログを見つけてしまって「世界は自分であった」とかで
内面のステージを上げる(?)事で外面の問題、
この場合カネが無いとかをスルーする、或いは臨時収入を
期待するとかになるのが多いケースです。

しかしこれは内面と外面に分離したまま内面を強化しよう
という試みなので、話が戻りますが内面と外面がぶつかる
と外面が圧倒的に強いのでほぼ確実に外面が勝ちます。

例えば今に在るとか何だとかで精神の平穏を手に入れ
臨時収入も入ったとしましょう。しかし外面というのは
目まぐるしく動くので必ず何かしら問題(と感じる)
が現れます。
で、これに対して「更に今に在ろうとする」とか
「すごい瞑想で宇宙と一体になる」とか
内面を更に強くしなければと思ってしまうのが誤解の
元です。

このまま行くと話がややこしくなるのですごく簡略化
すると、要は喧嘩する際にガードを固めながら
「今に在る云々」とブツブツ呟いているよりノーガード
でも「かかってこいや」
と思っている方が相手が
殴りかかって来た時にどっちが反応しやすいかという
話です。

これは絶対に後者で、理由は前者は外面からの刺激に
対して無理矢理内面を平穏にしようとしている
からで、
前述した通り内面と外面では外面が強いので
これは確実にブッ飛ばされます。
それに対し後者は外面と内面がある意味統一され、
まさに喧嘩という現場の"今に在る"のでこれは相手の
パンチにカウンターが取れる可能性が高いです。

つまり内面と外面を無意識に自我で分けてしまっている、
という事を知れば実は最初から誰もいないし
何の争いも起きていないんですよ。
ですから何も気にすんな以前に、そもそも気にする存在が
最初から居ないのであります。

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趣味:
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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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