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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「大人になると色々考え出してしまうが、要は子供の頃の
ように大きな夢を持てば良いのか?」
というメールを
頂きました、ありがとうございます。

これはその通りでありますが、そもそも色々考えてしまう
人は妄想というかイメージを上手く利用していない感は
あります。

スピリチュアルというより何か自己啓発みたいな
テクニックになりますが、何で大人になると良いイメージ
や妄想が出来ないかというとそれが実現しなかった時の
事を一緒に考えてしまうようになるからですね。

しかしですね、過酷な鍛錬とかをした上で期待した成果が
得られなかったら確かにショックかもしれませんが、
イメージはタダですし、別に疲れもしません。

と言っても「これが実現する!」とか思いながらイメージ
して裏切られると確かにキツいかもしれませんが、
それなら実現するとか思わないでただ単に妄想するだけで
良いと思います、つまり映画観てるような感じですね。

そうすると結局は普段も自分や他人に対して、
世界に対してもイメージを通して観てるだけという事が
わかるので、ではそれを観ているのは誰なのかっつー
話ですね。全て投影された存在に過ぎないという事で
あります。
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頂くメールの内容で結構多いのが「世界が輝いて見えて
自分との境目が無くなった」
とか「突然自己が消えて
全てが一つであると感じた」
とかなんですが、
これは別に間違っているとかおかしいとかでは
無いですけど、問題はこういった神秘体験をした後に
色々調べて色々知ると却ってややこしくなります。

結局の所、純粋な体験と知識は別物であって
体験は体験でそのままにしておいた方が良いですね。
体験に知識でもって変な意味付けをしてしまうと
どんどん本質から離れていってしまいます。

言い方を変えれば体験てのはそこに存在するものですが、
知識は後付けなので体験と知識はイコールには
なりません。なのでスピリチュアル系の話は体験に
注目すべきであって知識に関しては語ってる人の
後付けになるので、その辺は分けた方が良いですね。

まあそんな事言うと当ブログもあんまり体験談は
書いてないんですけど。
「生霊とか怨霊とかどう思うか?」
「先祖供養とか必要でしょうか?」という心霊関係の
メールを連発で頂きました、ありがとうございます。

あんまり心霊系は詳しくないんですけどそもそも生霊って
生きてる人間から魂が出て来てその辺をウロウロしてる
状態ですよね(?)つまり幽体離脱している状態なんで
しょうか?これに対して怨霊は強い怨みを持って
死んだ人の霊がその場に残っている感がありますね。

私は霊感らしい霊感も無いですが、霊に関しては日本古来
のやり方である、怨霊でも悪霊でも祀って神様扱いして
いつの間にか味方にしてしまう方法が良いと思います。

これ前も書いた記憶がありますがスピリチュアル的な
話に持っていくと要は心霊現象も全て意識の上で起こって
いる事なので、それに対して供養の言葉を伝えるのも
結局は意識自身に言葉を投げかけているのと同じです。

であるならば必要以上にビビるよりかは家に憑いている
怨霊でも何にでも今日から一緒に住むから夜露死苦!
みたいな事を伝えた方が良いでしょう。

これは先祖供養も同じ事で、墓参り行って手を合わせて
何か伝えるというのは結局自分自身に伝えているのと
同じです。墓参り行ってご先祖様の墓に手合わせながら
おまえ死んでるけどもう一回氏ねや!とか普通は
言わないでしょう。大体穏やかな心理状態で穏やかに
語りかけると思うので、墓参り行ってから何か心が
洗われた気がするとか、ご先祖様の御利益があったとかは
自己のフィルターを通さない暗示みたいなものなんで
すね。私という概念が入らないと意外とすんなり意識に
アクセスしてしまうという好例でもあります。

なので自己を供養する、という事で怨霊も祀るべきですし
墓参りも行った方が良いと思います。










余談ですけど私は心霊体験的なモノって全然無いん
ですよ。これもかなり昔の記事で同じ事書いてますが、
心霊体験というかやや怖い話でただ一度だけあるのが
小学校二年生ぐらいの時に全身が映る鏡の前で何気なく
自分とジャンケンしたら勝ったことがあるぐらいで、
あれは見間違えだったのか何だったのか、今だに
謎ですね。
まあ見間違えだったとは思うんですけど私がチョキ
出してるのに鏡の中の私(?)は思いきりパーを
出してきたのはハッキリ覚えてるんですよねえ。
たまにスピリチュアル系で「承認欲求を捨てなさい」
みたいのがありますが承認欲求を捨てたからといって
何か良いことがあるのか? というメールを頂きました、
ありがとうございます。


これ別に良いことがあるというわけではなく、
基本的に人間というか自我の欲求の頂点は承認欲求
だからですね。

例えばこれから一億円あげます、しかしあなたは
一億円受け取った瞬間に寝たきりの身体になります、
となったら殆どの人は一億円イラネとなると思います。
つまり一億円より一億円を使って満たしたい承認の方が
上位に来ているわけですね。

なのでカネが欲しい、というのはカネで何らかの承認を
満たしたい、というのが本音であって例えばカネが
無くても承認されることがあれば人は別にそれで良いの
であります。

これはカネに限らず異性と付き合いたいとか仕事で
出世したいとかも全て同じで、要はカネ、異性、出世に
より何らかの承認を得たい、というのが本音です。

なので承認欲求を捨てよ、とは自我が常に求める
欲求の頂点を捨てることで自我の視点から離れることが
出来るよ、という話ですね。

極論すれば我々が思考し、行動していると感じている
ことも全て承認欲求に突き動かされているだけで
決して自らの、"私の"意志ではありません。
承認欲求を捨てるというか承認欲求の外側から俯瞰する
ことで、では私とは何なのか?を知るということで
あります。
以前の記事でネタにさせて頂いた格闘家の
ヒクソン・グレイシー氏ですが最近パーキンソン病を発症されたようですね。

しかしヒクソン氏は病気を"ギフト"と捉え
身体の変化を楽しんでいるとも言っています。
この辺の考え方はさすがヒクソンと言えますね。

病気に限らず何でもかんでも贈り物というのは
その通りで、我々は常に望むと望まざるとに関わらず
ギフトを一方的に送られています。

例えば性別や産まれた家庭、どのような思考・感情を
持つかとかも全てギフトであります、
贈り物をまず受け取る所から全て始まります。

恋愛なんかちょっとした事で文字通り恋に落ちる時が
ありますが、これなんか典型的なギフトですね。

そもそも自由意志があれば誰に対して熱烈な恋愛感情
を抱くかとかも決めれるはずですし、振られたら
振られたで次の瞬間には別の人にすぐに恋して
突撃するのも可能なので、恋愛ガー復縁ガーとかの
前に、まずそういった感情は自分のものではなく
贈り物であると認識すべきと思います。

まあ誰とは言いませんがギフトを受け取ってから結婚まで
こぎ着けたと思ったら「なんつー気が強いキツい女だ、
もっと優しい子に乗り換えれば良かった」
とか
ボヤいている御主人もいるかもしれませんが、
それもまたギフトという事ですね(笑)

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