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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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読者の方から教えてもらった書籍で「秘法ヨガ入門」
いうのがあるんですが、現在Kindle Unlimitedでも読める
みたいですね。

私はヨガはよく知らないですが、この本は結構有名な本
みたいで、確かに勢いというかパワーというか
「言葉の意味はわからんがとにかくすごい自信だ」みたい
な内容で、スピリチュアル的にも参考になるものでした。

ただこの本の初版が約四十五年ほど前らしいので、
ちょっと内容や言い回しが古いっちゃ古いですね。
何故かアダムスキー型円盤の話とか出てきますが、
アダムスキーって私が幼稚園の時に読んだUFO本に出てた
ぐらいなんで相当に古いですねこれ。

後半からいきなり怒涛のオカルトてんこ盛りに
なりますが、これもまた勢いで押し切る感じで、
いきなり超能力に目覚めて宇宙神の言葉を話す
当時四十五歳のオバハンとか、宇宙人からラブレター
もらったUFO研究家の博士とか、「キリストもブッダも
大したことねえよ」
みたいな事を言い出す当時二十歳の
若者であるK青年とか、ヨガの話はどうなったんだろうと
思いつつも勢いに押されてそのまま読み終わって
しまいました。特に最後に出てくる謎のK青年の
「僕は"静か"を捉えている」という言葉は非常に
言い得て妙というか、上手い表現だと思いました。

というわけで内容はややトンデモ寄りかもしれませんが、
決してネタ的な感じで取り上げているのではなく
ヨガ、そしてスピリチュアル的な気づき、超能力的な
ものに真剣に向かい合った名著であると言えます。
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「私の周りではいわゆる信心深いというか、宗教を信仰
している人がそれなりに幸せそうにしています。
やはり宗教は成功の為の人類の知恵みたいなモンなのか」
 
というメールを頂きました、ありがとうございます。

これは結構興味深い内容ですね、
何らかの宗教信じてますというのは日本だとオウム事件
以降何となくイメージ悪いですが、欧米だと普通に
スピリチュアル系の書籍に聖書の言葉がバンバン出て
きたり、たまに宇宙人と神様の区別が付いてないような
本もありますが、別に特定の神様を信仰していなくても
自我は何かしらを信奉してるとは思うんですよね。
というか信奉・信仰により自我が行動を制御する機能が
宗教
ではないかと思っています。

非常に簡単な例だとウチの娘ちゃんが幼稚園に入った
ばかりぐらいの時に、寝る時間になってもなかなか寝よう
としない時は最終手段として「早く寝ないとオバケが
出るよ!」と脅すと、
( ・Д・) オバケいや!こわい! とか言ってすぐ寝て
たんですよ。
つまり当時の娘はオバケを信奉(?)していたわけで
信仰により行動を制御していたわけですね。
小学生になり、おませな女の子になってからは多少は
ビビりながらも
(・∀・) オバケなんているわけないじゃーん(笑)
とか生意気言ってますが、でもサンタクロースは頑なに
信じているのがまだまだ子供ですね。

話が逸れましたが悪い事をすると地獄に落ちるとか
良い事をすると天国行きだとかの信仰を広めると、
行動を制御しやすいというのはありますね。
つまり宗教とは非常に簡単に自我を抑制・支配しやすい
のであります。

で、これを逆手に取って普段から無意識に何を信仰し、
何を行動の基準にしているかを客観的に見れば自我から
離れる事が出来ます。

例を挙げるとスピリチュアルブログに今に集中しろとか
書いてあったから今日から今に集中します!今まで過去や
未来ばかり集中してましたから!と決めたとします。
しかしこれは古い信仰(過去や未来ばかり見る)から
新しい信仰(今に集中)に乗り換えただけで実は
何も変わってない
んですよ。
なのでそこに気付けば自我が信仰している基準から
離れる事が出来ます。

別の言い方をすると肩の関節を挙げてバンザイしましょう
と言われてその通りやってたけど、肘の関節を外側に
向けて挙げてもバンザイになります、と言われてやっても
結局どっちもバンザイしてるのには変わらないですよね。
それよりも骨の配置によって結果的に肩と呼ばれる部位と
肘と呼ばれる部位があるだけです。
つまりこれ前も書きましたが関節という機能は存在します
が関節という部位は存在しない
んですよ。

それと同じで話を戻すと信仰という機能は存在しても
信仰という物体というか実体は存在しません。
つまりどういった機能の元に自我が存在するかのように
動かされているのか、という事を知れば動いている自我が
何を喚いてもそれは関係無い、つまりそれは私では無い、
という認識に至る事が出来ます。

まあ何かややこしい話ですが一言でまとめると機能が
あるだけで存在は無い、という事ですね。
「スピリチュアル系でよく言われる◯◯メソッド等が
上手く出来ないのだがこういうのも才能とかあるのか?」

的なメールを頂きました、ありがとうございます。

これは基本的にスピリチュアル系でよく言われる今に在るとか
瞑想するとかって上手く出来る出来ないは関係無いと
いうか、そもそも出来るようになってないんですよ。

例えば物を見ているのは眼球ですけど、
眼球は眼球そのものを見ることは絶対出来ないわけです。
スピリチュアル系で言うナントカメソッドって眼球で眼球
を直接見ろと言ってるのに近いです。

そんな事無理やんけとなりますが、それでも眼球を見よう
と目玉をぐりぐり動かしていると「物が見えているのは
何かがぐりぐり動いているからではないか」と
わかりますよね、つまり眼球自体を見ることは
出来ませんが眼球を感じる事は出来るようになります。

なので今に在ろうという試み自体がややズレています。
別の例をあげると、人間て普通に突っ立ってる時も微妙に
揺れながらバランスを取っていますが、これを完璧に
直立不動にしようとすると逆に身体が固まって不自然に
なります。これと同じで今に在ろうとか心を鎮めようと
かは逆に緊張を生む事になります。

先程の眼球の例に戻ると、眼球を見ようとして視線を
一箇所にガン見したりするとこれは目玉が変に緊張して
不自然です。
普通にしていれば直接眼球を見ることは出来ませんが、
眼球の機能は邪魔せずに物を見ることが出来ます。

というわけでスピリチュアル系のメソッドを行う事は
何の問題もありません。が、それは眼球そのものを
見れるようには決してならないのと同じで、完成したり
出来るようにはなりません。
言い換えれば不完全の中に完全を観る事が肝要です。
そもそも何でスピリチュアル的な話はややこしいというか
ブッ飛んでいるかというとまず我々は人間である、という
思い込みというか設定が少々厄介であります。

例えば犬や猫は「俺は犬だ」とか「吾輩は猫である」とか
思ってないわけで、一つの個体として活動しているわけ
ですが人間の場合「自分はこれこれこうで性別はこうで
体格はこうで」
みたいな、ざっくり言うと物理的な肉体と
心理的な肉体
、が別々に在るかのようになっているわけ
ですよね。

で、自我が拘るのは大体心理的な肉体の方で
例えば「金があって、自分はイケメンでありたい。でも
実際は貧乏でブサメンなんですが」という場合、
心理的な肉体と物理的な肉体の乖離に対して自我が苦しむ
わけですよね。これを拗らせて物理的な肉体を破壊して
しまえとなるのがいわゆる自殺です。

これに対して心理的な肉体をブッ壊してしまうのが
スピリチュアル的な何かであります。
そうすると物理的な肉体は世界を構成する一部として
まさに世界と一体となり活動を続けますが、
心理的な肉体は存在しないのでまさに今に在る状態に
自動的になります。
今に在ろうとするのも心理的な肉体なわけで、
これが却って今に在ることを邪魔します。

つまり心理的な肉体が無くなると残された存在は
何にも邪魔されず活動三昧、三昧の境地であります。

アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」だと人類の肉体を
無くし一つの意識になるのが人類補完計画とされて
いましたが、それの逆バージョンみたいなモンですね。
「地震が来るかもの後は台風が迫っていますが、
スピリチュアル的には全て無視していれば良いので
しょうか?」
というメールを頂きました、
ありがとうございます。

これ少しややこしいですけど無視と無関心て違うんで
すよね、スピリチュアル的な話にもって行くなら無関心の
方が近いと思います。

どういう事かと言いますと無視っていうのは基本的に
何かがある事を認めた上でそれを見ないようにするという
事ですよね、対して無関心というのは対象の存在すら
意識しない事になります。

例えば道歩いてて正面から車が近付いてきたら普通は
横に避けると思いますが、これは別に車を無視しようとか
何だとか思わずに全く関心を持たずにただ横に避けてる
だけですよね、つまり無関心であります。

無視するというのは車が近付いてきているのに
「どうしよう、無視するべきか横に避けるべきか、
今に在るべきか」
とか余計な事を考えて激突するような
モンです。

つまり自然で在る事がそのまま今に在り、言い換えれば
無関心となります。何かに関心を持たずして適切な行動を
自然に取るっつー事です。

もう一つ例を挙げると仮に大きな地震が来たら机の下に
隠れたり避難しようとしたりすると思われますが、
メッチャ揺れてるのに「何も起きてはいない、今今今今
今最高」とか揺れを無視してたら上から何か降って来て
頭に直撃で死亡とか、これは地震という存在を認め、
それを無視した事によって起きた事ですよね。

"問題を無視する"と、"問題に対し無関心"、というのは
似ているようで違うという話でした。
まあややこしいと言えばややこしいですが、
ニュアンス的なものを感じてほしい所であります。

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