「自我が錯覚とわかっても問題が差し迫ると
すごくリアルに感じる」というメールを
頂きました、ありがとうございます。
「すごくリアルに感じる」っつーのは、
自我というのは自分と感じている基準に
近ければ近いほどハッキリクッキリ在るかのように感じるからであります。
例えば人類補完計画のように人類が居なくなってしまうと、自我は基準が無くなるので
存在出来なくなります。
しかし自我というのは非常に長く慣れ親しんだ
錯覚なので、消えそうになると"近い"基準を
使って(?)存在をアピる性質があります。
これは貯金が100万円ある人は100円を
落とそうが盗まれようが殆ど気にせずに
多分次の日には忘れているのが、
貯金が500円しか無い人は100円無くしただけで
ずっと気にするのに近いです。
または100万ある人が1000円貰っても別に
嬉しいわけではないかもしれないですが、
貯金500円の人が1000円貰ったら
すごく幸せですと言うかもしれません。
基準を無意識に設定して、基準に依存して
自我は現れて、幸せだ不幸だと言っている
わけです。
ですから幸せも不幸も、実は存在しない
のであります。
幸せも不幸も無いという事は、それを感じる
個人という感覚も、やはり錯覚なのです。
如何に普段の我々が錯覚の中で
生きているかという事ですね。