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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「生きているのも怖いが死ぬのも怖い」という怖がりな方からメールを頂いたんですが、
死ぬというのは寝る瞬間が知覚出来ないのと同じで、死ぬ瞬間はわかりません。

なので死とは単なる概念であり、そして生もまた、概念であります。

生きていると感じるのは記憶を元に過去を作っているからであって、
過去がこれこれこうだったから今はこうである、と感じて
それが生きているという概念を生むのです。
”今”を記憶で捉える事は出来ないのであります。

ですから今を生きるとか今に在るという言葉は、厳密に言うと偽りの生
生きる事になってしまいます。

何故なら今に在ろうとか何だとかいうのも、今までこれこれこうだったから、
じゃあ今に在ろう、という記憶による過去を元にする行為になりがちだからです。
これが言葉で表す事の難しさでもありますね。

我々は生きているわけでも死んでいるわけでもありません、これは概念でも
何でもなく、言葉で表すとそうとしか表せない事実であります。

しかしこれがわかれば死に対しての恐れも、そして生に対しての恐れ、
将来の不安とか以前の後悔も、全て消えるのであります。

何故なら生も死も勘違いだった、のですから
それらに纏わりついていたあらゆる事も勘違いだったという事です。

こうして不老不死どころか不生不死となりました、おめでとうございます。
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思った事は実現する、というか思っている事が実現していると言うべきでしょうか。

以前、メールで「50万円盗まれたんですけど、どうすれば良いのか」みたいなのを
頂いたんですが、これはさっさと警察に通報すれば良いのですよ。
私なんかにどうこう言うより警察の方が100倍ぐらい解決する確率は高いでしょう。

で、何故お金を盗まれたり失ったりすると人は動揺するのかっつーと、
自分が働いて、働いた結果の報酬だからだと思ってる事が多いからですよね。

でもそれは預金通帳とか給料明細とか見て、日々の仕事の事とか色々思うから
そのように感じるだけであります。
つまり、そう思えばそのように即効で実現するのですよ。

これは貧乏でもOKとか泥棒に入られてもニコニコしてろとかいうわけじゃありません、
自らが陥った因果の流れから抜け出すという事です。

今に集中しろとか今に在れというのは、偽りの現実化から抜ける為でもあります。
偽りの現実になった途端、どんな事にでも様々な因果が絡み、無限のループに
なってしまいます。

なので因果から抜ける事で結果として最も適切なモノが、
それが迅速に警察に通報するとか、あるいは報復の為に殺し屋を雇うとか、
何かはわかりませんが、行動として現れるという事です。

お金に限らずスポーツとかでも「あんなに練習したのに何でや」とか日々の練習を
思えば、日々の練習という思いを通して全てを観るので、やはり「練習したのに何でや」
いう事が即座に実現します。

でも日々の練習とか、普段の仕事とか、それはそれでその時だけであって、
それと結果をわざわざ結び付ける必要は無いのですよ。

結び付けるのがもはや習慣のようになっているので、偽りから抜け出せないでいるのです、
こうして人は偽りの現実と因果の流れに翻弄されるのであった。

そもそも仕事の日々とか練習の日々とか何処にあるのかって話ですよ、
全部思考の中にしか無いでしょう。

因果に絡まれた偽りの現実ではなく、真の現実に在る事が肝要であります。
そしてそれは例えれば波では無く、海になるという事です。
自分が波だと勘違いしていると海の動きに翻弄されてしまいますが、海そのものなら
常に穏やかであります。嵐が来ようが何が来ようが、海は海として存在するのです。
「私は今に在ることを追求し、そのような体験をしました。
しかしそれ以降二度とあのような体験や感覚が無くなってしまいました、
どうすれば良いのか」
というメールを頂きました、ありがとうございます。

まあ現象というものは常に起こっていますし、その現象の流れみたいのに
逆らう必要もありません。

簡単に言うとスーパーマリオでマリオは常にプログラミング上で処理されているものです。
しかしゲームをやっている我々はマリオが跳んだり跳ねたりしている姿を
”現象”と感じています。


実際の”現象”はプログラミング上の処理です、この処理がマリオを生み出しているのです。
我々はマリオを”体験”しているのであります。
ですからマリオは現象として存在しません、マリオは現象ではなく体験だからです。
もっと言うと”スーパーマリオを楽しんでいる私”という体験ですね。

つまり体験をした時には既に現象は通り過ぎているのです。
私は”私”という体験をしているのです、ですから今に在るようにしますと言った所で
それは今に在るという体験でしかないのです。

しかし逆説的な言い方になりますが、今に在るとか私は居ないという”体験”をしたという事は
その体験を生み出す処理、つまり”現象”の方は常に在るわけですから、
実は頑張って”今に在ろう”とかしなくても良いという事なんですね。

個人的には瞑想で呼吸を重視するのって、呼吸という現象をわざわざ体験レベルに
引き上げる事で、スピリチュアル的な何かに気付かせる手法の一つなのかとも思うんですけど
私は瞑想すると昼寝になるタイプなんで、ここは識者の見解を待ちたいですね。
前回の記事を書いた時点で人類は滅亡の予定で、
私もこれじゃあメタルギアの新作出来ねえじゃねーかとムカついてましたが、
何とか滅亡を回避したようなのでとりあえず良かったですね。

何故か私に「人類は滅亡しなかったじゃないですか」と怒りのメールが
来たのですが、クレームはホピ族の暦担当者にお願いします。

スピリチュアルとこの手の予言の絡みは結構昔からあるもので、
私ぐらいの世代だとマガジンのMMRとか中学の頃に直撃したんで、
ノストラダムスにはある種のシンパシーを感じてしまいますね。
当時は宗教家みたいな人達もノストラ本出してた記憶があります。

なんたって私、二十歳ぐらいの時に高田馬場の芳林堂で
「ノストラダムス大予言原典―諸世紀」を買ったぐらいですから。
マヨラーならぬノストラーですよ。

で、「世界は全て流れ行くものなら、予言も可能じゃないの」みたいなメールも
たまに頂くんですが、これは可能と言えば可能ですし不可能と言えば不可能です。

予言とは少し話が逸れますが麻雀で例えると、麻雀て136枚の牌でやるものですけど、
どんな牌が来てどんな役が出来るかはわかりません。
しかし、わからないと言っても136枚の牌という有限の道具でやりますし、
牌は山に積まれて順番にツモっていくわけですから、誰にどのように牌が来て最終的に
どうなるってのは、まあ決まっているわけです。鳴く鳴かないの判断とかはありますけど。

それと同じで世界はただ流れて、どうなるかは大体決まっているのであります。
そしてそれをどれぐらい受け入れられるかで、大袈裟に言えば個人の(自我の)
人格や器が決まります。

例えばあなたは1時間後に財布落として10万円失いますって決まってても、
それに対して何て事だとか、冗談じゃないとか騒ぐ人の器は10万円って事です。
10万円失っても特に気にしない、そうですかわかりましたとなって
すぐに忘れる人の器は少なくとも10万円以上という事ですね。
そういう人でも、あなたは1億円失うと言われれば騒ぐかもしれません。

金額で人の器はいくらとか表現するのはあまり良い表現じゃないかもしれませんが、
これはあくまで例えです。私で例えればオヤジが怒っていると聞いても適当に流しますが、
嫁さんがカンカンになってますよとか言われれば超が付くほどビビります。

要はどのような反応をするかは、どのような人(自我)なのか、を示すわけです。

麻雀に話が戻りますが、麻雀卓の中で起きている事を様々に解釈し、
様々な反応、投影を示すのが自我であります。しかし、投影とは文字通り影ですから
自我は影と同じで、あるように見えて実在しないのです。

ですからスピリチュアルで言う受け入れろとか手放せとかは、
麻雀卓で起きている事にいちいち反応しないという事です。
麻雀にプレイヤーとして参加している限り必ず困った事は起こります、
そういうゲームだからです。
しかしゲーム自体に参加しなければ、問題は無くなります。

あいつがドラをポンしやがった、ムカつくぜとかはプレイヤーとしての解釈・投影です。
プレイヤーとしては、これは確かに問題です。
しかし、プレイヤーで無ければ投影されないのも事実です、
もっと言えば麻雀に参加していなければ、解釈自体が出て来ません。

つまり観たり感じたりしている世界は、全てが投影であると同時に、
結局はコップの中の嵐みたいなものという事がわかるのであります。
「結局の所、スピリチュアルにハマルと何が起きても”全て起きているだけ”
ヘラヘラしているサイコパスみたいな人間になっちまうんじゃないの」とか、
「知らんさんはサイコパスですか」とかの直球メールを頂くんですが、
私がサイコパスかどうかは置いといて、サイコパスのような人間になるというのは
大きな誤解であります。

”全て起きているだけ”というのはゲームで言えば特に問題無くゲームのプログラムが
進行している状態であります、例えばドラクエで「魔物が攻めてきた、うわー」とか
言ってる時に「全て起きているだけだよ」とか言ってる村人が居たらそいつはアホです。

魔物が攻めてくるっつーイベントが特に問題無く起きているから、
”全ては起きている”だけなのです。

しかし、プログラム上に「全て起きているだけだよ」という台詞しか言わずに
ヘラヘラしている村人が設定されているなら、そいつはそのような設定通りに
動くでしょう。
つまりドラクエやファイナルファンタジーの登場人物が決まった性格を持ち、
能力も決まっているように、世界は全て起きているだけなのであります。

で、ここで昨日の記事と被りますが、そのようなゲーム内の登場人物と自己を
同一化してしまうと、ゲームキャラの欠陥に悩む事になります。
なので同一化を止め、何も残らないが、何かがある、すなわち宗教で言うとか
スピリチュアルで言う意識とか、某ブログのすき家の意志とかになるべきです。

なるべきですっつーか、実は最初からそうなのですが、同一化によって
自分がゲーム内のこれこれこういったキャラであるという概念に拘束されているので
あります。

スピリチュアルは特定の思想ではなく、全てを包括するものです。
例えば仮にあなたが反原発派で反自民党ならそのような設定のキャラとの同一化を
止め、同時にキャラが設定どおり動いている事を確認していれば良いのです。

これがキャラとの同一化が強いと、何が何でも自民党を倒さねばならない、と
なって確固たる自分がそれ以外のその他大勢の敵キャラと戦う事になります。
そして間違いなく戦いでボロボロになるでしょう。
ゲームのプログラムが、自分がゲームのキャラだと勘違いしてしまった状態です。

実際は全てプログラムが完璧に動いているのであります。
人間は思考して感情的になって勝手に悩んで、動物は適当にメシ食って寝て死んで、
雨は空から地面に降って、雪は地面に落ちて消えるのも、全てそのようになっているから
なのです。そこに自由な意志は一つもありません。
ドラクエで魔王が自由意志を持ち「やっぱり世界を征服するのはやめました、
今日から野球選手になります」とかはあり得ません。

ここで重要なのは同一化とは自由意志を失い、束縛が始まるという事です。
という事はゲーム内のあらゆるものとの同一化が終わる、という事は
真の自由
であり、それこそが言葉に表現できないものであります。

また、束縛された自己が何かを得るとか何かに気付くというのは
絶対にあり得ません、何故なら何かに気付いた自己というキャラ設定に縛られるからです。
海外のRPGとかで何か悟ったような口を利くヨーダみたいなジジイとか居るじゃないですか、
あれと同じで電源切ればサヨウナラです、しかしそのような設定が入っているプログラムは
目に見えませんが存在する、それこそが本体です。

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