忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
メールで教えてもらったのですが、この動画
喋ってるじい様は仏教学者であり、禅の大家だそうであります。

言わんとする事は何となくわかりますが、別にわかる必要も
無いと思います。そういうのはRPGとかのキャラの台詞に対して
何故こんな事を言っているのか、と思うようなもので、
そのキャラはそのような台詞を喋るように出来てたんでしょう。

「そういうように出来ている」事を見抜く事が肝要であります。
そうする事でゲーム内で対立している"私"と他者は消えるでしょう。

消える事で、何が残るのか?

全てが残ります、無くなるのは私と他者の線引きだけです。
そして思考も止まります。
思考を止めるのではなく、止まらざるを得なくなるのです。

こうして"私"は文字通り死に、自分も他人も居ない天国へ行くのです。
「死ねば天国へ行ける」という言葉は本当だったのであります。
PR
スピ系の書籍とかで集合意識がどうのこうのという記述が
結構あるそうですね。

著者がどういった意味合いで集合意識という言葉を使っているのか
わからないのですが、個人的には集合意識とかって別に気にするものでは
無いと思います。

集合意識で何かが決まる事とかは無いでしょう。
多数決みたいな感じで決まるなら、昔の王貞治とかゴジラ松井が
阪神ファンしか居ない甲子園でバカスカホームランを打つわけが
ありません。

そもそも集合意識とは、人間でも何でも良いですが、
何か特定のモノがたくさん居るという前提であります。

しかし、鳥かごの中の鳥や、水槽の中の魚を複数のカメラで別アングルで
撮ると、カメラの映像では鳥や魚が複数居るかのように見えるのと
同じで、結局人間の意識も複数あるかのように感じるだけで
本質的には一つだと思います。

夢の中の登場人物が意識を持って活動しているかのように見えても、
実際は眠りというバックグラウンドに統一されているわけですし。

もっと言えば最近のオープンワールドゲームとかMMOって、
ゲームの中にまさにもう一つの世界が存在すると言っても過言じゃない
レベルですけど、結局ゲームのキャラはプログラミング通りにしか
動かないし、自分が操作しているキャラもプログラミングされている
動作以外はしないわけです。

結局はどんな凄いゲームもプログラミングというバックグラウンドに
統一されています。

ですから集合意識どうのこうのって意味を成さないと思います、
強いて言えば統一意識とでもいうものが在るだけじゃないでしょうか。
漫画「美味しんぼ」が福島で被曝して鼻血ブーを描いたとかで
騒がれていますが、私としては美味しんぼがまだ連載されていたと
いう事にまず驚きました。次に原作者の方がプロ市民みたいな人
これにも驚きました。 

アニメ版は結構見てた記憶があるんですけど、山岡の声がイケメン過ぎて
何か違和感あったなあ。

で、別に鼻血が出ようが何だろうがどうでも良いのですが、
放射能で死ぬのもナイフで刺されて死ぬのも病気で死ぬのも
全て同じ”死”なのに死に方を恐れるのはおかしなものです。

そもそも自分が死んだ事はわかりません、
自分は眠りに入ったのがわからないのと同じ事です。
わからないのに死への恐怖というか、死に方への恐怖があるのは、
幻を恐れているのと同じです。

幻から覚めるためには、北斗の拳ではありませんが「もう死んでいる」
前提で居れば良いのです。

わかりにくければ”死””眠り”だと思ってみましょう。
つまり起きている状態が普段の状態ではなく、寝ている状態が
常に自らの状態
であるという事です。

起きて寝るのではなく、常に寝ており、起きていると思われる状態は
勝手に起こっているイベントか何かだという事です。

常に寝ている何者かが全ての背景に居るという事であります。
しかし、寝ている者を見る事は出来ません。夢の中の登場人物が
夢を見ている人を見つけられないのと同じです。

常に寝ているモノを言葉にすると”覚醒”なのかもしれません。
寝ているくせに覚醒っておかしなもんです。






私は震災当初から福島産の食い物を結構食ってたので
かなり被曝したはずなんですが、鼻血ブーにはなっていません。

別に被曝して癌になろうが死のうがどうでも良いのですが、
それよりももしかしたら放射能でエックスメンみたいになれるかも
しれないとか、不謹慎な事を思っておりました。

実際はエックスメンどころか食い過ぎで腹がミュータントタートルズの
ようになってきたので、現在はダイエット中です。
ベトナムでの反中デモでとうとう死人まで出る騒ぎになっているよう
ですが、スピリチュアル系の人は何で世界平和に目覚める確率
高いんでしょうか。

こんなブログ書いててなんですが、私は別に世界平和とか
人類が平和でありますようにとか、ラブアンドピースとか
イマジンとか、九条の会とか、かなりどうでもよいです。

全ては一つだから争いはやめよう、という事なのかもしれませんが
全ては一つって、文字通り一つなわけで、別に人類が一つって事じゃ
無いのですよ。


そもそも「一つ」って認識自体が自我の勝手な解釈なのです。
それを「人類も、世界も一つ」に強引に持ってくるから
おかしくなるのであります。

全てが一つとは肉体を離れ、空も海も山もその辺のゴキブリも
全てが己であるという事ですが、平和をどうこう言う際には
肉体から観た世界に対して言っている、つまりせっかく一つなのに
わざわざ分離してしまっているわけです。

結局の所、全て一つであった、という衝撃的かつ感動的な気付きさえ
幻想
なのです。気付くという事は何かに気付く前と気付いた後が無くては
なりませんから、これは明確に分離しております。

唯一分離が無い状態とは熟睡時であり、この時はああだこうだ
分離してわめく者は居ないはずです、つまり本質的に平和そのものです。

なので肉体でもなく、人類でもない本質的な一つ、
真の平和は常に現存するのですから、それに在れば良いのです。
読者の方からメールで教えて頂いたのですが、
この記事 ttp://world-fusigi.net/archives/7221891.html は非常に
面白かったです。

特に次元みたいのは12の階層になっているとかの話は実に素晴らしいです、
去年観たドラゴンボールの映画でも「宇宙は全部で12個ある」みたいな事を
破壊神ビルスが言ってたので、次元とか階層は12個というのは
本当だと思います(?)

かなり前の記事に書いた記憶がありますが、私も自分と思っていたものが
居なくなったりとかの経験は有ります。

その瞬間は確かに本当に素晴らしい体験をした、俺ってブッダなんじゃ
ないかとか思いましたが、今思えばそれらは全て単なる病気か何か
であって、特に追い求めるものでは無いと感じます。

確かに驚異的な至福感とかはありますが、だから何だったのかと
いう感じであります。

以前も書きましたが何かを感じる、観るとは感じられる対象や
観られる対象を必要とするので、何かを感じようとするのは、
自ら世界と己を切り離す事であってナンセンスです。

お湯はお湯自身を暖かいとは感じないし、水は水自身を冷たいとは
感じないのであります。なので求める事を止めた時に本当の意味での
リアリティを知るのです。

魚の動きを知る事は出来ませんが、川が流れていれば
結局魚は流れに沿って動くであろう事を知る
感じでしょうか。

川の中にいる魚は、自分が川の流れに居る、川に居るからこそ魚である
とはなかなか思えません。
しかし一度川の流れに居ると知れば全ては始まりも終わりも無く、
己の意志で頑張って泳いでいたつもりの自分も無い事を知るでしょう。

カレンダー

10 2025/11 12
S M T W T F S
1
2 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]