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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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数日前に「苦しいなら苦しいで放っとけ」という内容の記事を書きましたが、
「やっぱり苦しいでござる」という苦しみまくっている読者からのメールが
二、三通ほど来てしまいました。

そもそも「苦しい」とは概念であり思考であります。
「苦しい君」とか「苦しいさん」という人物がいるわけではありません。
起きている事や感情に「苦しい」という概念というかフレームを与えることで
初めて「苦しく」なるのです。それを与えなければ、苦しいに限らず何も出てきません。

すき家で牛丼を食っていても、「すき家」という概念を与えなければすき家では
なくなってしまうのです。


「そんなバカな。僕は今、すき家でチーズ牛丼食ってるんですよ。ここがいきなり吉牛に
なるわけないじゃないですか」 そりゃそうです、すき家の店舗がいきなり吉牛に
トランスフォームしたりするわけありません。

が、「すき家」という概念は看板だったり、店舗の形だったり、従業員の制服だったり
その他色々な概念を組み合わせているだけです。
それら無意識にやっている「概念の組み合わせ」を止めてしまうのです。

そうすると、「すき家」は”あるんだけど無い”ものとなります。
文字通り概念上から「すき家」は消えたのであります。

これと同じで「苦しい場面」とか「苦しい世界」を見て、それを変えることは出来ません。
しかし、「苦しい」という概念を捨てる事は出来ます。無意識に作り上げている
「苦しいを作り出す概念の組み合わせ」を止めれば良いだけです。

このメソッドを行うことで、「世界は自分が意識を向けたものしか存在しない」事が
わかると思います。何故そうなるかというと、結局世界と思っていたものは自分だったからです。
意識を向ければ手が動くとか歩くとかと同じで、意識を向ければ出てくるのです。
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「色々と自分の周りの世界の感じ方が変わってきたのですが、これで良いのでしょうか」という
メールを最近ちょくちょく頂きます。

答えとしては、何でも良いんじゃないのであります。

そんなアバウトな答えでは困ります、となるかもしれませんが、
感じ方が変わってきた⇒これで良いのかしら は、エゴが不安になっている証拠です。
今までの見方や感覚から離れてしまうと、エゴにとっては存亡の危機なので
色々と疑問を投げかけて存在をキープしようとします。

そもそも何度か書いていますが、エゴを超えた感覚みたいのは、当たり前ですが
エゴには理解不能の感覚です。
ですから「これで良いのか」と聞かれたら「これで良いのだ」としか
答えられません。そこでああだこうだと言い出すと、結局また同じところを
グルグル回る羽目になります。

エゴはどうしても納得を求めます。しかしエゴでは納得できない感覚なので
言葉で説明するのは事実上不可能に近いのです。

だからこそ物や概念からレッテルを剥がしましょうだとか何だとか、
エゴ視点からすると納得いかないメソッドという名の奇行みたいな事を
書いているのですが、実践すること自体にはあまり意味が無いのです、
特にあるメソッドを行う際に事細かく手順を覚えてとか、そんなのは意味がありません。

メソッドに内包されているエゴから見た矛盾や納得いかねーよという
思考や感情に気付くことで、エゴによる寝ぼけた状態から脱する事が狙いなわけです。
ですから自分でメソッドもどきを開発(?)出来ればそれが一番良いメソッドです。

「私は毎日太陽に向かってワンと吠える”太陽に吠えろメソッド”をやっています。」でも
それでその人が寝ぼけから脱したなら全然OKなのです、私はやりませんけど。

結局のところ、以前も書いたようにメソッドを知り、メソッドを破る事が一番の
要点なのです。「本に書いてあったから」とかで実践するのは悪いことでは無いですが、
結局それは取っ掛りに過ぎず、いずれは個人レベルでしっくり来るオリジナルのメソッドに
落ち着く事をお薦めします。

で、もう一つメールを頂いているのですが、その内容が「あるスピ系セミナーに参加しようと
思っていますが、料金がバカ高いのでどうしましょう」というものです。

これについては前述した事を踏まえた上で言わせてもらうと、あまり高価な書籍を買ったり、
高額なスピ系セミナーに参加するのは本人が希望しているなら構わないですが、
迷っているならやめた方が良い、と思います。

書籍やセミナーではどうしても「このようなメソッドを実践してどうのこうの」という
展開になりがちです、これは本の著者やセミナー主催者が悪いとかインチキとかの
意味ではなく、不特定多数に対しお金をとって何かをやる以上はそういった感じで
進めざるを得ないんですよね。

というわけで皆さんもオリジナルメソッドを開発し、一儲けしましょう(爆)
目の前にある物や出来事に色々とレッテルを貼ることで世界との分離が
起こるわけです。
前も書きましたがそれらのレッテルを剥がしていけば
自ずと世界は真の姿を表します。

真の姿とは、「外側が内側である」という事です。

ではさっそく目の前にあるパソコンのディスプレイからレッテルを剥がしましょう。
「パソコンのディスプレイ」というレッテルを剥がすと恐らく単なる四角い物体になると
思います。再びレッテルを剥がしましょう、「四角い」というレッテルを剥がします。

こうすると残るは「物体」という概念だけです。
この物体というレッテルも剥がすと、もうそこには何もありません。

「そんなアホな、何も無いわけないやんけ」と思うかもしれません。
そうです、レッテルを剥がし何も無くなったのに、確かにそこに「ある」という意識が
あなたなのです。つまりあなたは何処にでも「ある」のです。
全てを生み出す源泉として最初から存在したのであります。

なんのこっちゃという話ですが、これは非常に多くの気付きを得ることの出来るメソッドです。
目の前にある物体だけではなく、気温とか速度とか時間とか、概念として存在するもの
バシバシとっぱらっていくと、世界はまさにあなただけの世界であることがわかります。

今まで外だと思っていたのが、内側だったのであります。これはスピ系ではお馴染みの
フレーズですが、頭で理解するのと体感するのとでは雲泥の差があります。

ただ、今回のメソッドはあくまで「それに近い」状態を理屈の範囲でアプローチしている
だけですので、厳密に言うと微妙に違うかもしれませんが、そんな微妙な違いを
気にしてもしょうがないので暇な人は気にせず実践してみましょう。
基本的にこのブログでは根本的な部分に気付くことをメインにしています。
根本的な部分が変われば、対症療法的なメソッド類を追いかけ回さなくても
自然と枝葉の部分は変わっていくからです。

ここでエゴが納得しないからどうしようとかやり出すと、結局また寝ぼけた状態に
戻ってしまいます。別にエゴを納得させる必要はありません、わざわざまた寝ぼける
必要は無いのです。

しかしながらどうしてもエゴが納得しません、苦しいです。と言う人は思いきり
苦しむのも良いかもしれません。「苦しさを紛らわせるために」色々やっても
結局は苦しい事が前提にあるので苦しいままです。

開き直って苦しみまくると、いずれエゴがあまりの苦しさに根負けします。
そうすると、その「苦しい」と自分は実は何の関係も無かったのだという事に
気付けるかもしれません。

息を止めると苦しいですが、それは体が酸素が来なくて苦しんでいるだけで
別に「あなたが」苦しんでいるわけではないのと同じであります。
酸素が無くてアップアップしている体の状態を「苦しい」と名付けてそれと同化して
しまっているのです。

エゴ視点だと、どうしても「苦しさ」と「自分」を同化してしまうので、
「この苦しさが無くなれば自分は楽になれる」と勘違いしてしまうのです。

それと同じで「楽しさ」も「自分」とは実は関係ありません。
楽しけりゃ楽しいでそれで構わないし、苦しけりゃ苦しいで構わないのです。

これを読んで「楽しいも関係無いなんて何か嫌だわ」と思った方は、
エゴ視点での「楽しさ」が失われるような感じがして何か嫌な感じを受けていると
思われますが、そういったエゴ視点での楽しいだの苦しいだのを超えた域が、
本当の自分を垣間見れる場所です。

楽しいなら楽しいを放っておけば良いし、苦しいなら苦しいを放っておけば
良いのです、だって誰もその事で文句は言わないでしょう。
誰にも迷惑をかけていないなら、放っておけば良いじゃないですか。 
ちょっと前まで自由意志は存在しないからどうたらこうたらと
同じような内容の話を続けてた記憶があるんですが、
「自由意志が無い」というとキョーレツに抵抗を感じる方もいるようです。

どうも「自由意志が無いなら願望とか叶えられないじゃん、ダメじゃん」という
感じを受けるようです。
が、しかしであります。自由意志が無い事に気付くのは、そのままエゴからの解放を
意味します。

そもそも「自由意志が無い」と聞いて「叶えられないじゃん、ダメじゃん」となるのは
「スピ系のナントカの法則とかに接触した、接触したこの法則を使い、何だか知らないけど
宇宙のパワーを発動して、将来的にこうしたいとかの願いを叶えたい」という思いが
あると思うのです。

しかしそこで「あんた意志無いよ!」と言われると「じゃあ接触した意味無いじゃん、
自分の意志で発動できないって事は黙ってこのまま見てろって事じゃん」というように思い
「ダメじゃん」となるのだと思います。

この「将来的に発動」がまずおかしいのです。
何度か書いていますが時間の概念は存在しないので、「発動編」を待つという発想が
このブログ的にはNGなのであります。

しかし何故時間の概念からこうも逃げるのが難しいかと言うと、様々な「感情」が湧いたとき、
感情が時間の概念によりどんどん強固になっていくからです。

例えばある人物から嫌がらせを受けて非常にムカついた、そういえば一週間前も嫌がらせしてきた、
昨日もなんか態度が変だった、とかで「ムカつく」感情に時間をくっつけてどんどん強固に
していきます。


しかし、それらの感情が未来も過去も関係なく、今、個別に湧いてきているだけと感じれば
それは時間の概念で強化されることなく、そこにあるだけになります。
そうすると強固にはならず逆に薄まっていきます。

実際は勝手に湧いてきた感情に、時間だの何だのくっつけてリアリティを持たせ、いかにも
自分の意志で世界を生きているかのように
(この前も喧嘩売ってきたからムカつくとか、
明日も似たような態度だったらぶっ飛ばしてやるとか)感じていただけだったのです。

その事に気付くと、もはや感情は何の意味も持ちません。
感情につつき回される事なく、意志もなく、今そこにとどまっているだけの存在、
それが本来の自分です。つまりどんな感情が湧いてこようが関係無いのです。
何故ならその感情は「自分」では無いからです。

本来の自分とは、あえて言葉で説明すれば穏やかで楽しい存在です。
その本来の自分が常に発動しまくっているのに、感情につつき回されて何だかんだと
偽りの人生を生きているかのように錯覚しているから、既に完璧な事に気付けないのです。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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