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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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仮に競馬で100万ぐらい負けて今月の生活費が無い、または所持している株が暴落したら
どうするでしょうか?

恐らくほぼ100%の人がそれに対し色々考えると思います。
競馬なら完全に足を洗うか、借金してもう一発勝負とか、あるいはJRAに放火するとか、
株なら株の勉強をするか、著名な投資家のサイトを見るとか、要は”それ以上負けない”ために
色々やると思うんですよ。

それで次回が上手く行けば、それはそれで良い事ですよね。
しかしそれは色々やったからそうなったわけではなく、
なるべくしてなっただけであります。

そもそもお金が絡んだ時の人の行動は自由意志もヘッタクレも無く、
株でもギャンブルでもほぼ完璧に決まっています。

それは損した場合は損を取り返そうとし、得した場合は利益を早急に確定させようと
する事です。

これは損得が生じただけの事であって、明らかに自分で選んだ行動では無いのに、
多くの人は損を取り返す事と利益を確保する事を殆ど反射的に行い、
そして上手くいっただの下手こいただの騒いでいます。

仮に上手くいったとしても、そもそものスタート地点が自由意志によって選んだものでは
無い
ので、上手くいったように見えるのも、別に個人の才能でも何でもありません。
そしてその逆の場合も、別に個人の責任でも何でもありません。

つまり得したり損したりするように見えるのも、宗教的な表現をするなら
神の意志みたいなもので、それに対し反射的に損を取り返そうとか、
利益を確保しようとするのは既に神の意志から離れているという事であります。

という事は、それらの行動は全て単なる条件反射である、と知れば
余計な反射をしなくなったその時点で、既に神の意志と一体であるという事であります。

こうしてあなたは神になりました、おめでとうございます。

と、ここで終わるのも少しわかり難いので補足すると、
とりあえずお金限定で話を進めますが、そもそもお金は本当に存在するのでしょうか?

私も今は、おっかない嫁さんの目が光っているので、ホイホイ馬券を買う事は
出来なくなりましたが、10年以上前、花の独身の時はホイホイJRAにお金を落とす
優良客でした。

多分一度に負けた額は150~200万円ぐらいでしょうか、
そして一度に勝った額は500万円ぐらいの時もありました。


でも当時の私はいくら負けようが勝とうが特に意識していませんでした。
最初からどうでもよい遊び用のお金でしたし、
独り者だったのでかなり余裕ぶっこいてたのもあります。
まあ、いざとなったらオヤジにたかれば良いやとか思ってましたし。

「でもそんな何百万も遊びで使うなんてあなたの金銭感覚がどうかしてるだけじゃ
ないですか」
と思われるかもしれませんが、では上記の文書を以下のように変えると
どうでしょう。

多分一度に負けた額は150~200円ぐらいでしょうか、
そして一度に勝った額は500円ぐらいの時もありました。


こうなると多くの人が ( ´_ゝ`) フーン となるだけだと思います。

つまり大金だの、すごい儲けだの、すごい損だのって個人の中にしか存在しないんですよ。
それに力を持たせるから、大きな損は取り返さなきゃ、大きな得は早く確保しなくちゃって
なるわけです。

100万円入った口座から80万円が消えていたら大騒ぎしますが、
100万円入った口座から8円消えていても恐らく騒ぎもしないし気付きもしないでしょう。

その逆も然りで、100万円の口座が500万円に増えてたら大騒ぎですが、
100万円の口座が100万5円になってても特に何も無いでしょう。
つまり本当に力を持たせない限り”存在しない”んですよ

要はお金を実在のものとしているのは、他でもない自分です、
自由意志があると勘違いしている自分です、ですから神になるには
その勘違いを正す必要があるのであります。
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潜在意識云々からシンクロが起きてどうしたこうした、という話は
よくありますが、別にシンクロに拘る必要は無いと思います。

確かに何かがシンクロしたように感じる事はありますし、
実際にシンクロはあると思いますけど、良いシンクロとか悪いシンクロは
ありません。

というかこれは吉兆だとか不吉だとか気にしてたら単純に疲れると思うんですよね。

潜在意識云々に凝りだすと、確かに様々な事に意味を持たせたくなるのは
わかりますし、実際に何やら世界が深いモノのように感じる事は多々あります。

といってもそういう物に拘り出すと、どんどん明後日の方向に行ってしまうので
シンクロとかが起きて「すごーい!」とかなったら一旦忘れた方が良いです。

要は何故シンクロガーとかになってしまうかというと、
早い話が「良い事が起きてもらいたい」という期待から来るのであります。
しかしながら、世の中に良い事なんて無いんですよ。でも良い事が無いって事は
悪い事も無いのであります。何故なら良い事の反対が悪い事だからです。

ですから特に期待も悲観もしない方が結局は潜在意識を生きる(?)事に
なるのであります。

これは感覚的には毎日練習してるプロのアスリートの練習が「日常」になっているのに
近いです。練習が日常になっているのなら練習に伴う疲労はともかく、
練習そのものが苦痛に、つまり悪い事にはならないわけで、同時に良い事でもないですよね。

しかし練習=日常が積み重なればアスリートはそれなりの結果を
まさに「結果的に」残せるわけで、いつの間にか金持ちになってたとか、
いつの間にか上手く行ってたというのはこれに近いものです。

最初から金持ちになりたいとかって、どうしても「ではどうすべきか」という
障害を乗り越えていくという思考に陥りがちになります。
その思考を納得させる為にシンクロが起きただのヘチマだのと言い出すわけで、
これではいつまで経っても乗り越える障害という概念と分離したままであります。

ではそのような分離を乗り越えて一体となるにはどうするのか、
これは簡単な話で、今までの潜在意識だのスピリチュアルだのといった知識を
ゴミ箱にでも捨てて、何も知らなかった状態に戻れば良いだけです。

今まで身に付けた知識が実は一番邪魔だったという、禅問答みたいな話ですが
それがわかれば結局の所、実は最初から成功していたし、これからも成功し続けて
いくでしょう。
「自由意志が無いのに何故、意図する事が出来るのか」という疑問は
多いかもしれませんが、そもそも何かを意図するという事自体、
自分が行っているものでしょうか。

例えば私はこの前ヒマだったので家でゴロゴロしていましたが、
突如としてカニが食いたくなったので、バブル期に「カニ食べたーい」のCMで
有名だったレッドロブスターを検索して、わざわざ車で行ってしまいました(遠かった)

まあカニ料理の店なんて検索すれば近所に結構あったんですけど、
私の世代は「カニ食べたい」は「レッドロブスター」と決まっているのであります。

カニを食いたいと意図したのでどうのこうの、と言えますが
それ以前に何故に突如としてカニが食いたくなったのか。

これは神のお告げだとか何だとかいくらでも言えますが、
早い話が意図したように見える発端(?)である、突如としてカニが
食いたくなったという謎の神託は説明出来ないのであります。

つまり自由意志が無いからこそ、意図しているように感じるわけで、
矛盾しているようですがこの二つはセットなんですね。

しかし問題は意図しているように感じるが故に、余計な思考や感情が
入る事であります。例えばカニが食いたいと思っても、お金が無いだの
レッドロブスターまで行くのがめんどくさいだの、色々出てきます。

そしてそれらを説得させる為に神に祈ったり、潜在意識がどうしたこうしたと
なりますが、ここまで来ると既に当初のレッドロブスターはどっかへすっ飛んで、
何だかよくわからないけど何かを説得させる事が目的となっています。

別に説得させる必要は無いのですが、何故か説得を試みるのが殆どです。
そもそも誰が、誰を何の為に説得させようとしているのか?

最初の神託(カニ食べたーい)に従えば良いだけなのです。
何故ならそれこそが混じりっ気無しの純粋な神のお告げだからであります。

しかしそれでも説得が始まってしまう、というならば
ちょっとメソッド的になりますが、神のお告げを改変し、現実的な説得が
始まらないようにするという手があります。

「カニ食べたーい」から「店は遠いし値段は高いし・・」みたいな現実的な
謎の説得が始まるならば「カニ1トン食べたーい」に変えれば良いのです。

「1トンも食えるわけないだろアホ」という説得が始まりますが、
これは前述の「値段が高い云々」のリアルな説得に比べると、殆ど漫才なので
結果的に神のお告げに従った行動を取る事になるのであります(多分)

結局はこれも突き詰めると「自分の意図や行動だと思っているものは、本当は何なのか?」
行き着くのです。













ちなみにその後カニを食い過ぎて腹壊しました。
「お金の心配が消えない、なるべく心を今に集中しようとしているけど、
やっぱり心配なんだけど」
というメールを頂きました、ありがとうございます。

まあ生活するだけなら大してお金って必要無いんですよね。
必要無いと言うと語弊がありますが、別に一ヶ月に10億も20億も必要というわけでは
ありません。

しかしながら何故心配が付きまとうのか、どうもこのメールを送って頂いた方は
彼女との結婚資金を心配しているようであります。

という事は何をやっても結婚資金について思いを巡らせてしまうわけで、
この状態では祈ろうが何をしようが逆効果でしょう。

なんでかっつーと、祈るだの今に在るだのヘチマだのを”行えば”カネの心配が消える、と
なってしまうからですね。
でもこれは今に在ってないのですよ、何故なら”今に在ればカネの心配が消える”という
未来を見据えてしまっている
からです。

なので「何かを行えば何かが達成できる」という考えは捨てましょう。
何かしようとすれば心配は余計に増大します、という事は逆説的に見れば
何かをしようという思考によって心配を支えているのであります。

「じゃあ結婚資金貯める為にやってた仕事辞めます」とかではなく、
「結婚資金をどうにかしなきゃ」という思考というか想いを捨ててしまうのであります。

多分、お金がどうこうってのはお金そのものじゃなくて、お金が無いと
どうにかなってしまうという思考が支えになっているのが殆どなんですよ。
それが結婚資金なのか、日常生活なのか、はたまた趣味なのかは人それぞれですが、
お金が無いとそれを失ってしまう、という思考が心配事の根幹になっているケースが
多いと思われます。

ですからその根幹を捨てないと、何をやっても今に在るどころか、
常に未来に生き続ける未来人
になってしまいます。

前も書きましたが「悪魔に魂を売れば何でも叶う」みたいな昔話がありますけど、
魂を売った人間が「魂を売れば何かを得られるんだな」とかは思わないでしょう、
魂が無いんだから。大切にしているものを捨てる事で、逆に上手く行ってしまうという、
何とも面白いパラドックスです。

お金が無いとどうのこうの、という段階を過ぎたら今度は「生きていないと
楽しい事が出来ないから、死にたくない」
という死の心配も消えていきます。
死という概念が在るかのように支えていたのも、やはり何かをしようとする私だったので
あります。
「引きこもりの弟をどうにかしたい」というメールを頂きました、ありがとうございます。

まず弟さんの状況は別に「悪いもの」では無いのであります、
かと言って「良い」わけでもありません。

しかしながら、「弟は悪い状況である」として、そこから逃げる、または戦おうと
してしまっているのが問題であります。

逃げ出せば犬でも追いかけて来て、戦おうとすれば喧嘩になるのは世の常であって、
ここは逃げずに「さらに引きこもる事」を受け入れられるかどうかです。

これは、雨が降っている状態でさらに大雨になるのを受け入れられるか、という
話です。雨を受け入れられれば、それと対になっている晴天も受け入れる事になります。
雨が大雨になるのは別に悪い事では無いし、晴天が猛暑になるのも悪い事ではありません。

肝心なのは運ばれてくるものを受け入れられるかどうか、であります。
土砂降りがあるから晴れの日もあるわけで、晴れしか認めない、というのは
晴れを成立させる要素が無くなってしまうので、結局晴れの日も失ってしまいます。

前回も書きましたが、上手く行って「俺の実力や!」「俺は天才や!」
言えるのは、”下手こいた”があるからであって、つまり「俺の実力」は
「俺はダメダメ」とセット
になっているはずなんですよ。

ですから「俺はダメダメ」を否定するのは「俺の実力」を放棄するのと同じなんですね。
「俺の実力」を確固たるものにしたいならば、「俺はダメダメ」も確固たるものに
しなければならないのであります。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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