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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「父がいわゆる活動家で、私に対しても思想的な強制が激しいのだが、どうしよう」的な
メールを頂きました、ありがとうございます。

活動家ってのはいわゆる市民のプロみたいなもんでしょうか、何でも良いですけど。
昨日の記事でも触れましたが、どのような思想を持ち、
どのように考えるかは、魂によって決定されています。

なのでこの読者の方のお父様がプロ市民だろうが日本赤軍だろうが
そのような思想が気に入らないと感じるなら、お父様とは距離を取るなり適当に
あしらうなりすれば良いだけだと思います。

これだけで終わるとあんまりなので、いつものように強引にスピリチュアルに
持っていくとですね、これまた昨日の記事でも書きましたが、世界とは夢のようなもので
あります。

で、夢の中では当然ながら様々な思想や性格を持った人々が出てくると思うんですが、
それらの人々にそういった役割・魂を与えているのもまた、夢を見ているものであります。

「じゃあ私が近所のオッサンにネトウヨ属性を与えているのですね」となるかもしれませんが、
ここでいう”私”も夢の中の登場人物です。

ですから他人(夢の中の登場人物)を変えたい、と思うなら逆説的ですがその人物との
関係を消す、または無視する事です。何故なら登場人物である”私”とネトウヨオッサンという
関係性は”私”が居るからこそ成立するわけで、その関係性を無視する、つまり登場人物””と
ネトウヨオッサンの関係性を放棄してしまえば、とりあえず夢の内容は変わるのです。

変わるといっても”私”の近所にオッサンが住んでるのは変わらないかもしれませんが、
今までの関係性を無視したうえで夢の中に居るわけですから、傍から見れば”変わった”ので
あります。

苦手な人物が居る場合などは、まずその人物を苦手としている”私”をどうにかすべきです、
苦手だ何だというのは全て関係性がもたらす夢の一部です、
ですから関係性の元を消せば”変わる”のであります。










この読者の方のお父様はいわゆる全共闘世代だそうで、私のオヤジと同じなんですが
この世代はまあ、そっち方向に行くのはしょうがないんじゃないでしょうかね。

ちなみに私のクソオヤジは左巻きで有名な関西方面の某大学出身ですが、
どういうわけか、おまえネトウヨじゃねえかと言いたくなるぐらい右寄りです。
何でオヤジが保守派になってしまったかは不明ですが、多分頭が悪いんでしょう。

まあ、全共闘世代は右も左も頭がおかしいという事にすれば万事解決じゃないでしょうか。
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昨日の記事を受けて「俺たちの自民党が大阪ダブル選挙で負けてしまったのが
ショック、どうすれば良いのか。世界が本当に夢ならこれも受け入れるしかないのか」

という熱心な自民党支持者の方からメールを頂きました。

まあどうすれば良いのかって言われても、負けたもんはしょうがねえだろとしか
言いようが無いのですが、とりあえず選挙の事は忘れて、いかにして世界が夢であり、
またその夢を明晰夢とするかについてお話しましょう。

一言で言ってしまうと「魂を売る」ことであります。
よく昔話なんかで「悪魔に魂を売れば大金持ちになれる」とかいうのがあるでしょう、
あれは結構、示唆に満ちた話だと思います。

魂っつーのは要は個人の設計図というか、OSというか、その個人がどのように感じ、
どのように考え、どのように行動するかっつーものですよね。
全ては設計図の通りしかならないものであります。

言い方を変えればボクシングジムで柔術を練習しようといっても、これは無理があります。
ボクシングジムはボクシングを練習する環境と設備しか無いので、柔術をやろうぜって
言っても必ず無理が生じて上手くいかないでしょう。

個人レベルでも言動とかはOSで決まっているので、OSに反した事は
無理なのであります。

ではどうすれば良いのか、ここで魂を(OSを)売り渡すのであります。
売り渡す相手は神でも悪魔でもすき家でも誰でも良いです。
今まで魂と同一化していた己という幻想を捨てるのであります。

こうする事でボクシングジムは更地となり、どんな格闘技ジムでも
開設できるスペースが出来ました。
後はすき家の意志にでも任せてやりたい事をやるべきであります、
どんなものでもOKな更地になったのですから何をやっても良いのです。

しかし、魂を売ったのですから、そこにあるのはやりたい事をやるという
”行動”だけで、行動によって喜んだり悲しんだりする魂は居ないという事です。

魂は居ないのですが、今まで特定のOSに閉じこもっていたものは解放されたので、
新たな夢がまた始まるのであります。

選択しているようで、選択していない。
そして自由に動いているかのようで、自由では無いのですが、
今まで決まった形に篭っていた魂は解放されたのであります。
以前の記事でも書きましたが、思った事は実現します。
というか、思った事を現実として感情や思考は生まれます。

なので特に考えずに行動した方が、余計な概念が出て来ないので良いのであります。

なんて事を書いたら「何も思わずに感じたまま行動する方が全てとの一体感を感じ、
仕事も上手く進んで幸せになりました」
というメールを頂いたのですが、
この読者の方は「しかし私は常に競争を強いられる業種に携わっています。
全てと一体なら他人も自分であり、自分(他者)を蹴落として業績をあげる今の仕事に
疑問を持つようになってしまいました」
と述べておられます。

全てと一体なら自分とか他人という区別すら無くなります。
夢の中に出てくる登場人物は夢の中では自他の区別がはっきり付いていますが、
夢から覚めれば夢の中の登場人物も夢の世界も全て一つであるのと同じです。

しかしながら夢の中でも誰かと競争して勝ったり負けたりをし、
ゲームの中でも例えばドラクエとかでは勇者も魔物も同じプログラミング上の
産物ですが、勇者は魔物をぶっ殺しまくってお金と経験値を稼いでいます。

なので別に他者は自分なのではないかとか悩む必要は無いのですよ。

それは確かにそうですが、他者は自分って事は結局は自分中心に見ているわけで、
「他者は自分」という思いが見事に現実として作用し、「他者は自分なので競争で
負かすのはよろしくないのではないか」という思考が出てくる
わけですね。

問題はそういった偽りの現実を補強するために出てくる余計な思考や感情なのであります。
ですから考える以上、答えは出ません。どんなに優れた答えを見出したと思っても、
今度はその「優れた答え」が現実として現れる
だけだからです。

なのでいくらでも競争して、実績をあげてください。それが見ている夢ならば。
ある特定の条件付きの幸せというものは絶対に長く続きません、
何故ならそれを感じるためにはどうしても幸せの対極である不幸が無ければ
成立しないからであります。

幸せだ不幸だというと堅苦しいので、もう少しくだけた感じで言うと、
例えば「永遠に音楽を聴いていたい」と思ったら音楽が流れる前の沈黙を感じなければ
なりません、音楽は沈黙の背景に流れるものだからです。

音楽と沈黙は表裏一体であり、どちらかだけを経験するという事は不可能です。
音楽が消えれば沈黙も消え、音楽を聴きたいなら沈黙は感じなければ
ならないのであります。「沈黙は嫌です」「音楽は聴きたくない」と言っているのと
同じです。

同じように「お金だけを増やしたい」というのもあり得ません。
お金があるというのはお金が無い状態と表裏一体であり、お金だけ漠然と
増えていっても一円も使わなければ無いと同じであります。
お金を使って、残高が無くなったからこそ、お金が増えるという現象があるのです。
「貧乏は嫌でござる」「お金要らないでござる」と同じですね。

結局、非二元だ何だと言っても全て表裏一体なのです、
その境目に在る事が肝要であります。

願望にしても、特定の人と結婚したいとか思ったら、それが成就した際には
恋敵を不幸にしているわけです。誰かの資産が増えれば誰かの負債が増えるのと同じで、
個人の幸せは個人の不幸と両建てであります。

つまり幸せな世界は、イコール不幸に満ちた世界でもあります。
金持ちがたくさん資産を持ってお金に囲まれているのは、誰かがたくさん負債を持って
借金まみれになっているからと同じですね。

ですから強く願ったら真逆になったとかは当然と言えば当然です、
幸せを願うとは不幸を願うと同じですから。

じゃあどうするのかって結局は今に在って今を楽しむしかないのですよ。
スピリチュアルの本とかでたまに出てくる”今、幸せになりなさい”とかは、
そういう事であります。

常に境目に在る事です、というか常に境目に居るのがデフォルトなのですが、
多くの人が感情や思考であっちへフラフラ、こっちへフラフラしているのであります。

まあ恋愛に関してはどこかの誰かを不幸にしているといっても
そんな事関係無いぜって突っ走ってしまうのもしょうがないかもしれませんが、
資産と負債の関係と同じく、何かを得る事による条件付きの幸せってのは、
不幸と両建てになって初めて成立しているという事ですね、
よく考えれば当たり前なんですけど。









私の場合は、嫁さんが顔も性格も悪かったので競争率は極めて低く、誰も不幸にせずに
済みましたが、何故か私が毎日嫁さんに怒られるという不幸な状態になってしまいました。
「身内がめちゃくちゃ憎くて何年も苦しんで欲しいんだけど
どうすれば良いの」
的なメールを頂きました、ありがとうございます。

これは具体的な手段をどうこうより憎しみの感情をとりあえず消してしまう方が
良いと思います。というか憎いという感情さえ晴れれば万事OK(?)なわけですし。

感情でも何でもそうですが、あらゆるものは観察するから存在するわけです。
観察して、認識して初めて出てくるわけですから、逆に観察されるものから
見てみると、何故か消えてしまうのであります。

簡単に言うと、自分→感情や思考 だと、むかつくとか嬉しいとかといった
名前でも属性でも何でも良いですが、自分がそれらを感情にくっつけてああだこうだ
騒ぐわけであります。

逆に 自分←感情や思考だと、感情や思考に名前や属性をくっつけて騒ぐ主体が
居なくなるので、実は何も起きてはいないし、最初から何も起こってはいなかったと
いう事がわかるのです。

自分→感情や思考 だと世界は成り立つのですが、
逆だと全てが一瞬で無くなり一つになるのが面白いですね。

哲学的に言うと、果たして自分という者が憎しみを感じているのか、
はたまた憎しみというものが現れるためにわざわざ自分という媒体を作り上げているのか、

とかの話になりそうですが、そんな小難しい話はどうでも良い事です。
というか書いてる私もよくわからなくなってきました。

結局、世界は夢のようなもので、我々は常に夢の世界を彷徨っているわけですね。
夢の中では様々な事が起きていますが、同時に何も起きていないのと同じです。

で、話を冒頭に戻すと、憎しみの感情も実は存在しないとわかった所で
どうなるかと言いますと、特に何も起きないと思います。

しかしながらもう憎いという感情が無いのですから、憎いと感じるような事も
無くなるでしょう。もしかしたら身内が事故にでもあって死ぬかもしれないですし、
或いはどういうわけか劇的な和解をするかもしれません。
その辺はあまり具体的にどうこうしようとするとややこしいので、
放っておいた方が良いでしょう。

ある特定の感情をどうにかしようとするより、その感情の源泉にアプローチした方が
話は早いという事ですね。そしてその源泉とは、実は何も起きていない、という事なのです。

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かなりアバウトな性格の既婚平民

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