このブログもあと一ヶ月程で開設してはや半年となりますが、
開設以来まったく見ていなかった
(存在を忘れていた)アクセス解析を
見てみたら一日に約600ヒットもあり、いつの間にかそんなに人が
来ていたのかと驚いた次第です。
もうこれからは変な事は書けない、とも思いましたが
もう手遅れな気もするので、これからもこの調子で進んでいこうと思います。
今日は読者の方からのお便り紹介であります。
この前も
「非常に深いメールを頂いた」のですが、今回もマリアナ海溝並みに
深いメールを頂きました。ありがとうございます。
まあ内容はいつものように端折らせてもらいますけど、
要約すると
「エゴから解放された後に”新たなエゴ”を創造できるのか?」という
正直言って
この発想は無かった的なものです。
私個人の見解ですけど、結局エゴって寝ぼけてるようなもんなので
”新たなエゴ”って無いと思うんですよね。
じゃあ何で「新しいエゴの創造云々」になるかっていうと、結局の所
「エゴから解放された」=「何の欲も無い仙人」みたいなイメージで
捉えているからではないかと思われます。
つまり
「欲が無くなっちゃったら俺の願望どうなんの?」的な不安なのかなあと
勝手にメールを超解釈させて頂きました。
エゴから解放されると願望って概念自体が揺らぐんで、後はもう流れて行けば
良いんですけど、別に仙人みたいにはなりません。
大体私みたいな
その辺のオッサンが仙人になれるわけないですし、
逆に言えば、エゴに気付くことは
その辺のオッサンでも出来るということです。
ただ正確に言うと「エゴから解放」ってのはありません、エゴに(寝ぼけに)
気付いている状態であって、どこまでいってもエゴはあります。
ただ寝ぼけを寝ぼけと気付くと、もう寝ぼけで無くなるのと同じで、
エゴをエゴとして見なくなる感じです。
あまり難しく考えない事が一番です。もちろん世の中には
「聖人」と
言われるほどのマジでエゴから解放されたようなすごい人もいますが、
このブログを聖人が読んでるわけないんで「エゴからの解放」とかを
高尚なイメージで受け取ると、
結局それが投影されるっつーだけの事です。
まあ「新たなエゴの創造」をやってみたいならチャットで
ネカマでも
やれば新たなエゴに目覚めると思います。いきなり女子高生とかは難易度が
高いので、まずは
自分のオカン辺りをイメージしてやりましょう。
つーか冒頭で
「もう変な事は書けない」とか言っといて、結局こんなオチで良いんでしょうか
(爆)PR