沖縄から帰ってきましたが私が娘と遊び呆けてる間に
熊本では地震があり、食料品の消費税は1%になりそう
だし、
ちいかわの映画が大ヒットしたり、ひろゆきが
政党を結成したりと世の中は激動しているでは
ありませんか。
我々は激動の令和に対し為す術がないのか?
このまま時代の荒波に飲まれていくしかないのでしょう
か。
しかしスピリチュアル的な見方で言えば我々はスクリーン
に物語を映している映写機であり、激動の時代も全て
己の中に在ると言えます。
同時にスクリーンに映し出されている映像は当たり前
ですがどんなにリアルでも実在はしていません。
例えを変えるとこれは前も書いた記憶がありますが、
関節というのは機能であって関節という
何かしらの物体が
存在するわけではないですよね。
普段肘の関節と呼んでいるのは前腕の骨と上腕の骨が
向き合っている部分において生じる機能であって、
肘の関節という物体が存在するわけではないですが、
肘の関節というものは存在しているかのように感じ
られます。
これは
存在していないんだけど存在しているとも感じられ
るという中間の状態ですね。
無理に「私は在るのだ」とか感じる必要も無いし、
逆に「私は居ない」とか言う必要も無いです。
在るとか無いとかは棒を二本使って向き合わせると
関節みたいに見えるから関節は在るのだと言ってるのと、
そうは言ってもそれは棒であって関節は無いやんけと
言っているのと同じです。
つまり在るとか居ないとかどうでも良いんですよ、
ある時は存在し、ある時は居ない、そこには機能だけが
存在し
経験する者は何処にも居ないのであります。
余談ですけど私の勝手な予想だと令和は後の歴史からは
昭和に次ぐ
激動の時代と言われるような気がします、
これはもう完全に勘ですけど。
何か色々見てるとそんな気がするんですよねぇ。
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