昨日の
「無一文でも万事OK!」はエゴからすれば強烈な抵抗を生み出すものだと
思います。実際、読者の皆さんからのメールでも「無一文を受け入れて、幸せを
唱えていれば良いのか」みたいな内容のメールも頂きましたが、
これだと「無一文」は不幸であるという概念を強化しているだけです。
無一文を受け入れる、のは良いのですが別に幸せを唱える必要もありません。
何故なら
無一文は不幸ではないからであります。
無一文自体に不幸という要素はありません、それにくっついてくる様々な概念こそが
「不幸」という勘違いを生み出しているのです。
Aさん
「いや、それは違います。私は現に破産して妻と子供に逃げられました。
これを不幸と言わずして何というか、やはり無一文は不幸なのです」これもよく見れば破産とか家族に逃げられたと「不幸」はイコールではありません。
イコールにしているのはAさんです。
Aさんの見ている宇宙では破産することは不幸であり、家族に逃げられるのも不幸であるという
定義付けをしていたから、そうなっただけであります。
「破産しそうだ」「これは不幸な事だ」と勝手に結び付けたので、信じた通りに
なったという事です。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、破産という概念と、不幸という
概念を勝手に結びつけて、不幸を創っているだけなのです。
破産という概念と、不幸という概念を結びつけなさいという法律は無いのに、何故かそれを
やってしまっているわけです。破産という概念と、幸せという概念を結び付けても、
別に誰も文句は言いませんよね。
それと同じで恋人と別れたという概念と、復縁という概念を何で勝手に結び付けているんですか?
結び付けなきゃ良いじゃないですか、
別れたと復縁はイコールじゃないですよ、それをイコールにしてその世界を創るかどうかを決めるのはあなただけです。
復縁でどうのこうの苦しむぐらいだったら、別れたと幸せを結び付けた方が良いと思います。
その結果、幸せを創れます。それは結果的には復縁かもしれませんし、もっと素敵な異性との
出会いかもしれません。それはわかりません、
でも幸せと結び付けた以上、
あなたは「今」幸せになれる。昨日も書きましたが将来的な成功なんてありません、
「今」どうなのかという事です。「今」幸せを選択すればよろしい。もう復縁という概念を持ってこなくて良いんです、苦しむ必要なんてありません!
最近、復縁で苦しむ方のメールを頂いたので、柄にもなく
熱く語ってしまいましたが
このブログ的に言えば「復縁で苦しんでいる人は、イコール気の毒だ」と勝手に結び付けているのも
私自身なんですねえ、
私もまだまだ修行が足りません。PR