現実に証拠を求めてもしょうがない、という話を何回か書きましたが、
願望が出てきてさあどうしようとなる場合、殆どの方は
「既存の概念に照らし合わせて」判断する癖があります。
例えばお金が欲しいなあとか思うと、じゃあどうやってお金を得るかと考えます。
給料の良い仕事を探そうかなあとか、商売でも始めるかとか色々考えると思いますが、
しかし、よく考えれば別にお金を得るのと働くという事はイコールではありません。
昨日の別れたから復縁だはイコールじゃないってのと似ていますが、
これとこれはイコールである、とそのイコールを決めているのは他でもない自分であり、別に法律で決まっているからとか、周りの人がそうしているからとかは関係ありません。
これと同じで預金残高が500ペソしかないから貧乏だぜというのも勝手に
預金残高少ない=貧乏という設定を決めているのは自分であり、
異性が周りにいないから恋人がいないんだというのも、イコールではありません。
もちろん預金残高が1億ペソあるから金持ち、というのもイコールではありませんし、
今日一日ハーレム状態だったから彼女いる、もイコールじゃありません。
結局願望実現を阻む最大の障壁はこの
「証拠を探したい!」なんですよね、
既存の概念の延長線上に願望を置くからややこしいことになるわけです。
本来はゼロからスタートしているのに、何故か今まで走ってきた(つもり)の地点から
物事を考えてしまうわけですね。
そもそも
預金残高を確認してまでわざわざ自分を「貧乏」と名付ける必要が
何処にあるのでしょうか。それだと「貧乏」になりたがってるだけじゃないですか。
で、少々話が飛びますが、このブログで言う
「源泉掛け流し」からポコポコ湧いてくる願望だ何だに
アプローチする方法は大きく分けて二つあります。
一つは今までの既成概念ごとまるっと取り込んでしまう方法です、これは何度か書いていますが
「叶っているから研ナオコ」状態であります。
もう一つはこれも今回含めて何度か書いていますが一切の証拠探しをしない方法です。
そもそも源泉掛け流しに証拠など必要ありません、湧いて出てきてるんだからもう在るんです、
わざわざ証拠を探して一喜一憂する必要はありません(証拠という概念は、色々思い悩む
エゴの後付であって、源泉掛け流しからは出てきていないはずです、
結局証拠探しって
「それをしたいからそのようにしている」だけなんですね)
これは研ナオコの存在すら
ガン無視し、現実(と思っているもの)すらガン無視する方法です。
つまり現実(と思っているもの)に主導権を渡さないという事です、何故ならそれは真実の世界では
無いからです。
しかし、上記のように
「現実は真実じゃないでござる」「幻だぴょーん」となると、
ある大きな勘違いをしてしまう場合があります。
それは「現実は幻なんだから何やっても構わない!」という「設定」を作る事です。
これ、話がややこしくなるんですけど、「現実は存在しない」=「幻だから何やっても良い」を
イコールで結び付けるのは、
やはりその人が勝手に設定した事なのです。この辺は文章で書くと
殆ど意味不明になりますが「現実=幻」のイコールも、やっぱり真実じゃ
ありません。じゃあやっぱし現実って存在するんじゃん、「現実=存在する」なんですね。
となるかもしれませんが、
そのイコールも真実じゃありません。だから真実というものは、
客観的には存在しない、存在するとすればそれは決して
知覚出来ない「真実」自身です。
真実は自分を真実と知覚する事は出来ないのであります。
その「知覚する事は出来ない」事に気付くと、何かが変わると思います。
知覚する事が出来ない何かが常に在り、それはあなた自身なのですから
何もしなければ良いのです!って
「またこれかい!」と思うかもしれないですけど、
そうとしか言いようが無いのであります。
まあ取りあえず色んなものを無意識にイコールで結び付けてたら、
それは違うんだなと認識出来ればOKです。
結局の所、
自分で結び付けたいから結び付けて勝手に一喜一憂してるんだから、
そんなの止めれば?って事ですね。
「何もしなくて良い」はオマエが説明に窮した時の逃げの手口じゃないか!とか
そんな余計な事もイコールで結び付けなくて良いですよ、断じてそんな事ありません、
多分。PR