以前も同じ事書いた記憶があるんですけど、要は何でもかんでも
「自分」が
スタートだよって事であります。一歩前に歩くのだって、「自分」が前に重心を移動したり目の前の風景が手前に
近づいてきたりとかで「歩いている」と判断するわけです。
「そんな小難しい事言わなくても目の前に道があるからでしょ」というのも
もちろんそうですが、「道がある」から歩いている、ではなくあくまで「自分」が
「歩く」という行為が可能になる状況というか空間というか、それらを生み出しているのだ、と
いう感じに持っていった方が色々気付くには良いと思います。
要は
「外部」からの刺激に反応してどうこうするのではなく、あくまで主体性を持つと
いう事ですね。「道があるから歩きました」ではなく「歩くという行為を創るために
道を創りました」という感じです。
外部からの刺激につつき回されていると、いつまで経っても同じ所を回る羽目になります。
何をやるにも全て自分がスタート地点という事です、そして行なった事の結果が
どうなろうが関係ありません。何故なら「創れる」事自体が素晴らしいのであります。
「歩く」という事を創ったのも素晴らしいし「歩いたらコケた」を創ったのも素晴らしいので
あります。常に自分は創造の原点であって、「素晴らしい」を連発している事に気付いて下さい。
実は
最初から「愛と感謝」に満ちています!なんていうといかにもスピ系っぽい言い回しですが、
文章で書くとそうなっちゃうかもしれません。
まあ「愛と感謝」は好きな単語に変えて良いんですよ。
「すき家と松屋」でも良いし、
「俺とお前と大五郎」とかでも構いません。大五郎は何処から出てきたんだとかそういう事を
いちいち言うのは野暮ってモンです。これを気にしない人の方が何かに気付けます、
保証はしないけど。
結局、単語とか文章自体に大した意味は無いのです。
「果物」っつーものを分類するのに「リンゴ」とか「スイカ」とかいちいち名前を付けているのに
近いかもしれませんね。
まずは本質的な事に気付く事です。
PR