昨日の記事はわかりづらかったのでもう少し表現を変えて書こうと思っていましたが、
ブロンコビリーとかいうステーキ屋で腹一杯食って書こうと思ってたことが殆どスッ飛んだので
今回は
ステーキ最高!で締めたいと思います。
と言いたい所ですが、それではあまりにもアバウト過ぎるので少しは書こうと思います。
過去も未来も無いというような事をちょこちょこ書いていますが、
例えばジャンケンでグーを出してあいこになって、次にチョキを出したとします。
ここで「グーを出した」場面と「チョキを出した」場面は
既に別物であり、何の関係もありません。もちろん思考を用いれば「最初はグーであいこだから、次はチョキで」とか時系列を並べて
色々考えると思いますが、それは「考えている」だけで「私」とは関係がありません。
「私」と「考えている」は別なのです
「私は考えている」は有り得ません、勝手に
「私に考えさせている」のです。「考えさせ」れば、勝手に考え出して勝手に時系列という
概念を用いたりして勝手に一見すると納得の行く説明を提示します。
が、それは
提示されただけであって真実ではありません。真実と思い込むから真実になっているだけです。
一旦提示された考えの中に沈むから
「こんなのはダメよ、いやああああ!」となるわけで
提示された考えは単なる「考え」というものであって実は何の関係も無いと
気付けばそれで終わりです。
考えの中に沈んでしまうと、どうしてもその考えの中でループしてしまいます。
ですからそこから抜け出すということです。
で、「抜け出したらじゃあどうすんの?」となりますが別に何もする必要はありません。
何故なら思考から抜け出したという事は思考が創り出した世界が終わりを告げたという事であり、
思考であれこれ考えていたかもしれない願望云々も既に存在しないからです。
「え、じゃあ結局私の願望は捨てなきゃいけないのね、
いやああああ!」となった方は
「願望を抱いた」という過去を本物だと「考え」てその思考の世界に閉じこもっています。
一旦、そこから飛び出るのです。
前も書いたと思いますが箱庭の世界の外側に出るのです、
一切の条件付けを廃した本来の世界に戻るのであります。
願望が出てきたら、それについて考えない事です。
「こうしなきゃいけないよ」的な考えは非常に真実っぽく思いますが、
全てまやかしです。何故なら
「こうしなきゃ・・」的な考えは、過去の経験から導き出された
妄想であって真実ではないからです。過去も未来も無いのだから、過去の経験を引っ張り出すのがおかしいのです、
無いものをあるかのように感じるからややこしくなるのです。
ですからやっぱり「何もしない」に行き着いてしまうんですね。
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