前も書いたと思いますが、基本的に感情は
「自分」とは関係がありません。ですので感情をどうこうするのは意味が無い、と言うと言い過ぎかもしれませんが
振り回されるのも、また意識的に無視するのも良くないです。
「全て自分なのだからうんたらかんたら」というのは事実でありますが、
ここで勘違いしやすいのが、
嫌だと感じる感情を無視するための方便として
この概念を持ってくることです。同じように見えて、これは大きな違いであります。
例えば目の前でオッサンがウンコしてるのをモロに見て
「快感!!」となる人は、
特殊な趣味の持ち主以外には居ないと思われます。
恐らく多くの人は非常に不快だと思います、ここで不快から目を逸らすために
「このオッサンも私が創り出したものであり、オッサンは私であり・・うんたらかんたら」と
言い出すのは、結局
不快を紛らわせるために「全て自分である」という概念を
持ってきているだけです。
自分は世界というのは文字通り「自分(世界)」なのです。
不快なものを見たり感じたりした時の誤魔化しとして、都合の良い概念として扱うものでは
ありません。
不快なら不快で良いのです、最もらしいスピ系のおまじないを持ってきて
何たらかんたら言うものではありません。
不快という感情は「自分」と関係無いのですから「そこにあって良い」ものなのです。
不快を認めれば、そのうち不快を不快として見なくなります。
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