先日
「乗るしかない、このビッグウェーブに」という記事を書いた所、
「私はとても不安に襲われていますが、思いきって波に乗る決意をしました」みたいな
結構な悲壮感が漂うメールを頂きました。
私の書き方が悪かったと思うんですが、別に「飛び込みます!」的な
ストイックになる必要は全くありません。
滝壺に飛び込めと言われたら勇気が要りますが、滝壺そのものになるなら
勇気もクソも要りません。それと同じで不安だの不快だの何だのというのも、何故そのような感情を持つかというと、
不安・不快と「私」が居るから、なのであります。
この記事でも触れましたが不快だの不安というのは別にあっても良いものです。
何でそれらを排除、あるいは「全て私だからどうのこうの」という
理屈だけを振りかざして
見て見ぬ振りをするのでしょうか、それは
「私」を過保護に扱いたいという願望です。
幻の「私」を守りたい、傷つきたくないという
”過保護願望”が見事に実現しているだけです。
ですから不快や不安から逃げれば逃げるほど、それは
望み通り追いかけてきます。追いかけてきてくれないと「私」を過保護に出来ませんからね。
そしてまた幻の「私」を守るための願望が次々と実現していきます、
すなわちスピ系サイト巡り、バカ高いセミナー巡りであります。
「私」がいないという事に気付きましょう、気付けば、不快や不安も実は自分だったという事です。
追いかけてくる怪物を倒すには戦うのではなく、その怪物になることです。
そうすれば追いかける対象を失った怪物は、消えていきます。
というより怪物の正体はあなただったわけですから消えざるを得ないのです。
全てあなたの
自作自演の鬼ごっこだったのであります。
一人で「まてよー」「つかまえてごらんなさーい」とやってる
痛い人だったのです。
ですから不快なら不快で良いし、不安なら不安で良いし、憎たらしいなら憎たらしいで良いのです。
それらは大袈裟に言えば宇宙でありあなたそのものです、逃げる必要も無い、誤魔化す必要も無い、
戦う必要も無い、
何もしないです。
エイリアンの着ぐるみを見て、「うわーキモいわ」と思っても、
その着ぐるみを着て
自らがエイリアンになれば別にキモくも何ともないのと同じです。
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