最近の
この記事に書いた内容は、いわゆる神秘体験(?)に属するのかもしれませんが、
このような神秘体験ぽいものは、あまり求めない方が良いのではと思います。
確かにすごい至福感はあるのですが、それを何か特別なものだと勘違いすると、
結局は狭い個人レベルにおいての満足感(自分は他とは違う、的な)で終わってしまうと
思います。(
単なる病気という可能性もあるしね)
簡単に言ってしまうと圧倒的な至福感とは、生まれて初めてエンジン付きの乗り物を
自分で運転した時の感動に近いかもしれません。
今までチャリンコしか乗ってなかった人が、バイクや車を運転するとその快適さに
ちょっとした感動を覚えるのと同じです。
私も十五の夜に盗んだバイクで走り出した時は
「バイク、超はえーーー!!」とか
一人で感動してましたが(原付だったんだけどね)毎日乗ってれば段々と
当たり前になっていきますよね。
結局、至福感とはごく当たり前に目の前にあるものなのです。
幻を幻と見抜いた時の感動、夢を夢として認識し、明晰夢に入った瞬間のような
高揚感、そして世界は全てが「私」であったという実感の中で、
その世界の登場人物たちが幻に怯えて苦しんでいるのは、「私」の苦しみでもあります。
だからこそ、行き着く先は狭い個人という領域を超えて、世界と向かい合うように
なっていくのではなかろうかと思います。
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