昨日の続き、というか補足みたいになりますが、
昨日の記事について
”自分が存在しないのだから「あなたが好き」と言われたら
「いや僕は居ないよ」と答えるのか”という質問を頂きましたが、
これは勘違いというか難しく考え過ぎというか何というか、
別に「実は存在しない僕」と「その他大勢」がいるわけではなく、
全て一つであるという事であります。
コクられてから「いやあ僕って実は居ないからねハハハ」とか
何か
モンティ・パイソンあたりでやりそうなコントみたいですけど、
別にそんな妙な事言わずに「僕も好きだよ」でも良いし
「いや君は好みじゃないし」でも「僕がウルトラセブンなんだ」でも
その時その時浮かんだ事に任せれば良いだけです。
自我(エゴ)の視点から行けば選択しているように感じますが、その辺を言い出すと
またややこしくなるので、取りあえず言いたい事言えば良いじゃんという
非常にアバウトな結論となります。
どうしても「自分」とその他大勢」の視点から抜けられないと、
「自分」の属性に「実は居ない」というものをくっつけただけに
なってしまうので、この辺は理屈で考えると難しい所ですね。
何故なら考えれば考えるほど
「考えている私」がメインになり
いつの間にかそれ(考えている私)が自分であるかのように錯覚するからです。
さらに「考えている」行為が自由意志に基づき行なっていると捉えてしまうと、
文字通りの無限ループにハマるのであります。
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