前も同じ話を書きましたが
「世界は幻だった!」と聞くと、
大いなる勘違いを起こすケースがあります。
どういうわけかここ一週間程似たような勘違いをされている
読者の方々からのメールがバシバシ来るので、
特に書くネタも無いので同じ話を書こうと思います。
実際の所、全ては幻でもホログラムでも何でも良く、
事実その通りなのですが、幻だ何だっつーのは
あくまで幻を幻として形作っているものが在るからこそ幻なのであります。
以前も登場した「ルビンの壺」で言えば、向かい合っている顔が在るから
壺は壺として存在できるというのが一番わかりやすいですよね(?)
つまり壺と顔が共存共栄しているのと同じで、
幻は幻であると同時に
形あるものでもあります。
この辺を勘違いすると「幻」と「それを見ている私」という明確な分離が
生じ、これが行き着くところまで行くと、
極端な陰謀論とかに走るように
なってしまいます。「幻に気付いた私は幻魔大戦を戦うための
特別な能力者として目覚めた」的な高揚感があるのかもしれませんが、
「全て幻であって、全て一つ」は文字通り一つなのであり、一つが一つを
認識する事は有り得ません。認識するっつー事は、一つではなく二つに
なってしまいます。
スピリチュアルな気付きとかは、自分に特別な才能があると気付くのではなく、
自分とは
存在しない取るに足らない妄想に過ぎないと看破する事ではないかと
思います。
ですから幻に気付いたからといって、あなたがアトランティスの戦士だったとか
ムー大陸の民だったとかはありません。せいぜい先祖は群馬県出身とか
その程度でしょう。
以前、スピ系の人って何だか
妙に左翼思想っぽい人が多いって事を
ちょろっと書いたんですけど、案外この辺の勘違いに原因があるのではと感じます。
と言ってもですね、こっからがややこしいのですが
別にネトウヨだろうがブサヨだろうが群馬県民だろうが「こいつらは幻だから消す!」とか
しなくて良いのです。これだと前述したように
「幻」VS「私」になりますよね。
ルビンの壺の顔だけは消せないし、壺だけも消せません。
あくまで全てを包み込む一つが本当の私、私というより本当の一つなのです。
ですから視点を変えるだけで、全ては「私」であり「私」に内在するのです。
特別なメソッドもおまじないも必要ない、最初からそれであったのであります。
まあ
「無能な政府がどうのこうの」とか
「政府が××を何十年も隠蔽している!」とか
その手の話が好きな人多いですしね。
無能な政府め!と言ってるのに何で情報隠蔽能力だけは
異常に高く評価してんだとか密かに思いますけど、
そこは触れちゃいけないんでしょうか。
PR