度々書いている
「願望ではなく意図」という言葉は非常に理解しがたいかもしれません。
意図する事は何か難しい感じがしますが、実際そうでもありません。
何故なら今、見えている世界が
全部意図したものであります。
まず、その事を認識する事です。
「こんな世界は気に入らない」と感じる人もいるかもしれません、
そして「変えたい」と思うかもしれません。
しかし、外側の世界は変える事は不可能です。内面、内側を変える事で
あなたを通じて世界が変わるのです。
前回書いたように
「私」は本来存在しません、しかしその存在しない「私」を媒体として
フィルターのごとく世界に変化をもたらします。
なにかしら願望を抱いたら、その願望に伴う感情やイメージが色々と浮かんでくると思います、
何故浮かぶのか?それは
あなたが創っているからです。あなたが創っているから、
あなたという媒体を通して世界に現れるのです。
車が欲しいなら「車」のイメージが出てくるのは、あなたが創ったからです。
創れるという事は、既に持っているという事です。そして車をどうやって買うかとか何だとかの
「内なる声」は全部雑音です。あなたを通して創造したという事実が
あるだけです。
「可愛い彼女が欲しい」と思って朝青龍の顔が浮かぶ事はまず無いのと
同じ理屈であります。
(よくわからん)世界が変わるのではなく、変化の媒体、変化の最先端は、常にあなたです。
外側の世界をこねくりまわそうとするのは、無駄です。
何故ならこねくりまわそうとしているのはどこにも存在しない「本当の私」ではなく、
ここに居ると勘違いしている「偽りの私」だからです。
「偽りの私」は文字通り偽りなので存在しません、そして「本当の私」もどこにも存在しません。
しかし同時に
今、この瞬間に在るものが「本当の私」でもあります。
この文章で書くとパラドックスくさくなってしまう事に気付けば、「意図」という言葉すら
不適切な事がわかるでしょう。言葉で書くと「意図」なのですが、結局全部創っているのは
自分なので、
何処にも不足が無いし意図もクソも無いのです。全てが在る事、全てを創造し、自分が世界そのものだったという気付きであります。
今回の話は恐らく
頭で理解するのは不可能に近いかもしれません、
生まれつき盲目の人に「赤い」とはどのようなものなのか説明するのが困難なのに似ています。
しかし「私」が存在しないという事に気付けば、体感する事は可能です。
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