ここ数日は「私」は実は存在しないのだ、という話を続けてきました。
正直言って、書いている私も途中で
何書いてたんだっけと思うぐらい
文章にし辛い内容でした。
今回はもう少しシンプルを目指して書いてみます。
「私」が存在しない、という事は今まで「私」が感じてきた時間等の
概念も「無かった」事でもあります。
時間が無いという事は、始まってもいないし終わってもいないという事で
あります。つまり全てがもう
「完成」してしまっているわけです。
という事を書くと
「そ、そんな・・・じゃあ私はこれからもずっと貧乏なまま
なんですか、なにをやっても変えられないんですか」と思う人もいるかもしれません。
それに対する答えは
もちろんイエスであります。
ただ、ここで私の方から
問いたい事があります。
「あんた誰?」と。
「なにをやってもダメなのか」と勝手に絶望しているのは一体誰なのか、という事です。
誰がそう思っているのですか、という事です。
存在しないはずなのに何で「なにをやってもダメなのか」と思うのでしょうか、存在しないはずなのに何故か存在を主張しているのは何か?そしてそれは
本当に存在しているのかという事です。
言い方を変えると、例えば扇風機から直接風は出ていません。
羽が回り、空気をかき回すから風が発生するわけです。
空気が無ければ風は発生しないし、もっと言えば電源が抜けてれば扇風機自体動きません。
にも関わらず扇風機が「私は風を出しています」と主張するのはおかしいではないですか。
それは扇風機の勘違い以外の何者でもありません。
つまり
「風を出している」者は存在しないのです、それでも「私は風を出しています」と
主張する人は、まさに
「あんた誰?」であります。
結局、
「本当の私」の全ては「一体誰がそれを考えたり感じたりしているのか」という所に
行き着くのです。
「私は成功法則を発見した!」とか
「アタシ、悟ったわ!」とか言ってる人でも同じ事です。
誰が「発見した」のでしょうか、誰が「悟った」のでしょうか。
色々思考が湧いてきたら問う事です、
「あんた誰?」と。
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