「スピリチュアルな本とか読んでも腑に落ちない」っつーメールを頂きましたが、
別に「腑に落とす」必要など無いのですよ。
そもそも腑に落ちるとか落ちないとか、そういったものは
「状態の変化」を
現すものであります。
ある格言なり教えなりを思考で吟味して、腑に落とした所で
思考自体があるように見えて無いものなのですから「腑に落ちない」から
「腑に落ちた」への状態の変化を求めてもしょうがないのであります。
思考が存在するようで存在しないとは、例えば夢の中でも色々思考していると
思いますが、夢から覚めればその思考も、そして思考が始まる元となった事象も
全て存在しなかった事となります。
果たしてそこに「状態の変化」はあったであろうか、って事であります。
夢の中でも、或いは起きている時でも、我々は思考したり行動したり
何かを理解したり、何かを悟ったりしています。
つまり「状態の変化」は常に起きていると感じています。
ですから何やらスピリチュアルっぽい立派な教え的なものを知ったとき、
それを「腑に落とす」という「状態の変化」さえ起これば自分は変われるのだ、
といった(存在するように感じる)思考に陥ってしまうのであります。
しかし起きてしまえば、または眠ってしまえば、常に起こっていると感じる
「変化」は無かった事と同じです。
なので前述の文に戻るのですが、果たして「状態の変化」などあったのか、
それ以前に
変化をするものなど、最初からあるのだろうか?という
根源的なものへと行き着くのであります。
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