「知らんさんのような変な人は痛み等にどう反応するのか、
拷問を受けたらどうなるのか?」というスーパーハードSMプレイを
示唆するようなメールを頂きました、ありがとうございます。
結論から言うとですね、拷問を受けたら
泣いて喚いて失禁して
死ぬと思います。運動をしたら汗をかくと同じように、
それに応じた反応が出るだけであります。
「痛くても幸せ」とかはドMならともかく普通は無いです、
痛みは痛みであってそこに在るだけです。
そもそも幸せを感じるという事は、幸せを感じる対象が無くては
ならないので、
「何々だけど幸せですよ、穏やかですよ」というのは
スピリチュアルの知識を
免罪符のように使っているだけで、
結局の所はその「何々」の部分がいつまでも付きまとうでしょう。
幸せに在る事に「何々」は必要ないのですが、
何々を意識する事で幸せを感じる対象を作っているので、
これは分離を前提とした幸せであります。
拷問されたら「痛いけど幸せ」とかの幸せを感じる対象を必要とする
自我の強がりではなくて、痛いなら泣いて喚いて失禁するのが
水が高い所から低きに流れるのと同じく、
自我の介在しない在るがままの幸せであります。
自我が介在すると「痛い、このままじゃ死ぬ。死にたくない、じゃあ痛くても
幸せを感じよう。」とかなるのですが、まず「このままじゃ死ぬ」というのが
勝手な未来を推測しているだけで、ここから幸せを感じたいけど痛い、
でも痛いけど幸せを感じないと、とか
葛藤になって勝手に苦しむのですよ。
ですから「何々だけど幸せです」って
余裕こいてるようで実は最も苦しんでる自我の言わせる台詞なんですね。
自我を介在させずに、運動したら汗が流れるが如く、在るがままの完璧でいるべきです。
「汗をかかずにいるために、汗だくになりそうだけど幸せです」とか妙な葛藤を
する必要はありません。自然に汗が流れるという
現象そのものになれば、
不幸は無いのです。
と、ここまで書いてきて、そういや彼女とSMプレイはやった事無いなあと
思いました。まあ彼女の機嫌が悪い時にはいつも馬鹿だのグズだのマヌケだのと
ハードな言葉責めを受けているので、
日常即プレイという、いつの間にかマニアックな
方面に突っ走っていたようです。
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