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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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前の記事で「心の声を聞いてるからうんたらかんたら」という記事を書いたんですが、
「心の声を聞き過ぎというのがわかりました、でも絶望が大き過ぎて何たらかんたら」とか
「全て振り回されているのがわかりました、でもわからないという気持ちが大きくてどうのこうの」
とかのメールが多いのであります。

わかりましたって言ってる側から心の声を聞きまくっとるやんけと
ツッコミたくなったのですが、どうしても「私」という確固たる存在が在るという思い込みから
解放されないと、同じ所をグルグル回ってしまうものであります。

結局の所、悩みから解放される私、不安を克服する私、何かを成し遂げる私、と
様々な「私」の呪縛から逃れられないのは、どうしても「何かから解放される」っつー
行為を伴うものであるという誤解から来るものです。

仮に明晰夢を見ているとしてですね、夢の中の私は壁パンで壁をぶち抜いたり、
犬に追いかけられて噛みつかれても、逆に噛みつき返して犬を撃退したりと
夢の内容をある程度コントロールできるわけですが、
「私」が抜け切らない最大の原因は「世界は幻、明晰夢である」「ならば操作出来る」
というものです。

しかしここで考えて頂きたいのは、明晰夢の中の「私」も私ではないという事であります。
明晰夢に登場する私も、壁も犬も、全て幻であり、その材料(?)は意識です。
という事は意識が全てであって、意識だけが存在するという事です。

つまり操作する「私」は居ないのですよ。
しかし「それでも私は存在する」と言うかもしれません。

そうです、確かにその言葉は間違ってはおりません。

しかしながら少しややこしいですが「私は存在する」と言う時には
私という確固たる存在、意識があり、そしてそこから世界が派生すると
感じがちですが、そうではなくて「私は、存在する、です」なのであります。

つまり「存在」が私なのです。

これで明晰夢自体の「存在」が自分であり、「何かを成し遂げる私」は
「存在」の中の一部となりました。

解放される私も、悩みを克服する私も、何かを操作しようとする私も、
全ては存在を構成する一部であって、存在そのものは何も解放される必要も無く、
克服する事も無く、操作の必要もありません。

こうして「私」は宇宙の始まりから存在として在る事がわかりました、
おめでとうございます。
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