本でもブログでも何でもいいのですが、見たり聴いたり読んだりすると
我々は
「考える」事を始めます。この「考える」という行為はもう殆ど当たり前というか、
ある意味呼吸しているとかよりも当然すぎる反応だと我々は思っています。
しかし、この「考える」という行為が
最大の制限をかけてしまっているのです。
我々はナントカについて考える、昨日読んだ本の内容について考える、昨日見たブログの
事について考える、という風に無意識に考えている事が殆どです。
何々について考えるとは、それ以外の要素を全て排除しないと出来ません。
グラビアアイドルの裸について考えている時に、オヤジのハゲ頭が浮かんできては
困るのです、グラビア以外の要素はシャットアウトされるという事です。
つまり考えるという行為は
自らを檻の中に閉じ込める行為なのです。
檻の中に閉じこもって色々やろうとしてもしょうがないのです。
「考える」という行為は知的で優れた行為であるというイメージですが、
「考える」事によって「私は今このような状況にいる」とか
勝手に限定を始めます。
「考える」能力を持つことにより、我々は束縛されているのです。「考え」たからって別に何がどう変わるわけでもありません、「考え」は「考え」でしか
ありません。そう、あなたが
「考え」ていることは、実は何も生み出さないし、
何も関係は無いのです。ですからこのブログを読んで
マジに考えるのは良くないです。
「考える」という行為は実は制限をかけているだけだと気付くことが大事です。
何も考えなくなったときに、では残るのは何か、という事ですね。
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