メソッドを捨てた後にどうなるのか、あるいはどうするのでしょうか。
答えとしては何も変わらないし、何もすることもありません。
というより何も変える必要も無く、何もする必要も無いことに気付くというか、
したくても出来ない状態になってしまうのです。
何故かというと昨日も書きましたが「叶えるために」メソッドに
取り組んでいる自分を捨てると、当然ながら何のメソッドもやっていない自分に
なります。
何のメソッドもやっていないということは、叶ってしまったからです。叶ってしまうと、もうやることが無くなってしまいます。
しかし、やる事が無いと言っても朝になったら目覚め、夜になったら眠りと
世界はオートマで動いているのです。「叶っていない」と思うと、オートマで動いている世界に「干渉」しようとして
事態をややこしくしてしまいます。
「叶っていない」と喚くエゴが
「自由意志を持ち」と錯覚してオートマで動いている世界に
ブレーキをかけようとして苦しむわけです。
「叶ってしまった」ならもう何もすることが無いので、エゴは世界に干渉出来ません。
世界は勝手に動いています、そしてその
勝手に動き続ける世界こそが真の自分であります。
この辺はもう完全に感覚の世界なのですが、勝手に動く真の自分に気付くと、願望を願望として
維持するのが難しくなります。これは
無欲になるとはまったく違う次元であります。
「全部あるのでやる事無いっす」に近いです。
そんなの
デキッコナイスと思った方は「時をかけない少女メソッド」からの
一連の流れを今一度読んでみてください。
偶然にも綺麗にまとまっていると
思うので、気付きがあるかもしれません。
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