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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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前回の記事で戦争がどうのこうのと書いて思い出したのですが、
15年ほど前に亡くなった私の祖父は、第二次大戦で鬼畜米英と戦った戦争経験者でした。

戦争経験者の方はやたらと戦場に居た時の事を話したがる傾向がありますが、
祖父も私がガキの頃に延々と同じ話をしてくれたものです。

祖父は少々ブッ壊れたファンキーな性格をしていたので、かなり話を盛っていると
思われるのですが、何度も何度も聞かされて印象に残っているのが、
祖父の戦場での神秘体験ですね。

祖父が所属していた部隊が鬼畜米英の攻撃によりフルボッコにされ、
祖父は命からがら逃げ出すわけですが、その時四方八方から飛んでくる弾が
止まって見えたって言うんですよ。

サッカーの練習でカラーコーンを避けながらドリブルする奴があるじゃないですか、
あれと同じような要領で止まってる弾を避けまくって川に飛び込んで
助かったんだぜってマトリックスみたいな事を自慢げに言うんですが、
「それってその時だけだったの?」と聞くと「それ以降は何か自分の身体が裂けたような
気がするようになった。そうすっと自分が真っ白な紙、本当に真っ白になる。
弾は紙に出来た染みに見える、アメちゃん(米兵)の動きなんてそっち見なくてもわかる。
紙の上でインクが動いたら、それがアメちゃんだから」

と、わけのわからない供述を繰り返していたのですが、
これはスピリチュアル的な観点から見ると面白いと言えば面白いですし、
ジジイの法螺と思えばそう思えなくも無いですね。

それよりも「戦争から運良く生きて帰ってきて、焼け野原で商売始めて、
これも運良く上手く行ってわかったのは、
戦争行くにせよ商売やるにせよ何でも命賭けで戦うとか気合入れて臨むとか
言ってる奴多いけど、それって特にそう思わなきゃいけない決まりも無いのに
勝手に思ってるだけだからなあ。
戦争で生き残るにせよ、商売繁盛するにせよ、全部運だよ。
運に運ばれるままにしていれば良いんじゃないかと思うよ」
というニュアンスの事を
よく言っていた事の方が印象深いですね。













まあ、さらに印象深かったのは「従軍慰安婦なんてあんなもん嘘八百だよ、
あれは朝鮮の連中が自分たちから売春に来てたの。
だって俺10人ぐらい買ったもん、売春婦最高や!」

マジかよ爺ちゃん!
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年明けも相変わらずFallout 4にハマって「核戦争最高や!」とか言ってたら、
引き寄せの法則が炸裂したのか、北朝鮮が最終決戦兵器・水爆を完成させ、
この記事を書いてる最中にもイラン大使館がサウジアラビアに空爆されたりと
いつの間にか世界大戦一歩手前まで世界情勢が動いてしまいました。

メールでも「何か大きな戦争が起きそうで怖いです、私は何処へ逃げれば良いのでしょうか」
みたいな、何故か私に避難場所を聞いてくる人が居たりと何か色々と大変な事に
なっているのですが、そもそも何で戦争とかを恐れるかというと、
自我でも心でも何でも良いですが、太陽が常に燃えているのと同じで、常に何かを
求めているのがその性質だからですね。

何かを求め続けずにはいられない、という性質なのですから
それはそれで放っておけば良いのであります。
求め続けているのは自分では無いのですから、別に放っておいても問題は無いはずなのです。

心臓は動き続けないとダメですが、それを無理に手で押さえて止めようなんてしたら
大変ですよね、だから動くに任せれば良いのです。「心臓は俺だ」とか言って
心臓を操作しようとしてもしょうがないでしょう。

「でも心臓が止まったら死ぬじゃないですか」と思うかもしれないですが、
それで良いのですよ。求め続ける性質の死は、偽りからの解放でもあります。

「でもそうなると今度は何の感情も無いロボットみたいになれという事ですか」
なるかもしれないですが、それもやはり何かを求め続けたいという性質の現れであります。

求め続ける性質が死ぬ事と、感情が無くなる事は別にイコールではありません。
それをイコールだと感じてしまう事が、既に求め続ける事と己を同一視してしまっています。

恐怖と向き合うのは、”求め続ける性質”から解放されるチャンスでもあるのです。
リンクに羅門hgさんの「卒酒で生まれ変わり」を追加しました。
明けましておめでとうございます、去年の締めが「夜は墓場で運動会だぜ!」だった
ブログはこちらです。本年もよろしくお願いします。

新年早々突然ですが、何故、本来は何一つ不足も無く、全て一つなのに
不足を恐れたり、全て一つから分離してしまうのでしょうか。

結局の所、死を恐れている、というか死の概念を恐れているという事です。
どんな悩み、恐怖でも、行き着く先は死にたくないっつー事に落ち着きます。
死への恐怖は、いわば小林幸子、つまりラスボスなのです。

これを解消するにはどうするか、それは”熟睡に落ちる瞬間”を認識しようとすれば
良いのであります。

実際やってみるとわかりますが”寝る瞬間”てのは認識出来ません、
つまり存在しないのであります。同じ理屈で死ぬ瞬間もわからないので、
死も存在しません。

存在しないですが、寝てた場合は目が覚めた時に「寝ていたのか」とかの思考を認識する事で
”寝る瞬間”が存在するように連想によって感じるわけです。

認識出来ないものは存在しない、なので死は存在しないという事がわかったので、
死を恐れる必要は無くなりました。幽霊が居ると言われる心霊スポットでも、
実は幽霊は見間違いで、何処にも居なかったとわかれば幽霊を恐れる事も
無くなります。小林幸子は、存在しなかったのです。

こうして”死ななくなった”わけですが、死とは生の反対でもあります。
死が存在しないのですから生も存在しないのです。
”死ななくなった”と同時に”生きなくなった”でもあるのです。

同じ理屈で”熟睡の瞬間はわからない”、つまり熟睡自体が存在していないのですから
その反対の”起きている”という事も実は存在しないのですね。

ここから先は、文章で説明するのは困難ですが、
”死んでいるわけでもなかったし、生きているわけでもなかった”
”寝ているわけでもなかったし、起きているわけでもなかった” 事が
事実であると受け入れられれば、何かが変わる、かもしれません。














まあ私は死を恐れなくなっても嫁さんは恐れますけどね。
年末に向け、色々と書こうと思っていた事があったのですが、
相変わらずFallout 4が面白過ぎて書こうと思っていた事を
すっかり忘れてしまいました。来年から本気出して真面目に書きますです。

今年を振り返ってみると、やはり一番印象に残ったのはオリンピックを巡る
一連のゴタゴタですね。

エンブレムがパクリだ何だの騒ぎから、森喜朗古墳まですったもんだしましたが、
正直言って神の国日本に住む神の民日本人のデフレ根性がここまで悪化しているとは
思いませんでした。

オリンピック関連にバカバカお金をかける事で「お金ってこんなに使っても良いんだ!」
日本人が覚醒して一気に消費が増大して日本経済復活かと思いきや、
最後の最後まで勿体無い勿体無いのデフレ根性に足を引っ張られた感があります。
しかも消費に確実にブレーキをかける増税待ったなしってどういう事やねんて話ですよ。

いつものパターンですが、どれもこれも神の国日本が2500億円程度の小銭すら
出さないのが悪いのであります。

今回のオリンピックで「お金大好き、できる事なら使いたくない。
でもお金たくさん持ってる奴や金儲けしてる奴はムカつくぜ!」みたいな
卑屈なんだか強欲なんだか妬んでんだかよくわからないデフレ根性を打破しなければ、
日本は大ピンチに陥ってしまうかもしれないですね。

まあ日本がどんなにピンチになっても知らんモンは知らんの精神で、
皆様も良いお年をお迎えください。










私としては年末年始もFallout三昧や!と行きたい所ですが、
何かの間違いで所帯を持ってしまった以上、嫁さんの実家に行ったり何だかんだと
色々やらねばならぬ事があるのであります。

やはり結婚は人生の墓場なのか、でも夜は墓場で運動会だぜ!なんつって。

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