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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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以前も書きましたが「これこれこういう事が望みなので、どうすれば良いのか」的な
ものは「やりたい事をやる」としか言いようがありません。

どうしても「自分が何かを成す」つまり努力をしてどうのこうのと捉えがちですが、
努力してもダメなものはダメだし、逆に適当にやってても出来るものは出来てしまいます。

だったら努力しているとか、俺はこんなに頑張ってるとか思わない方が良いと思います。
ちょっと宗教的な表現になってしまいますが、”恩寵”てのは降って来る時は
勝手に降って来ます。
肝心なのはそれを受け取る準備が出来ているかどうかです。

努力していると感じていると、どうしても「努力しているんだからどうにかなる」とか
「努力しているから報われないのはおかしい」とか思ってしまいますが、
これだと恩寵を受け取る準備にはなっていません。
思考や感情が「努力してるから云々」「頑張ってるからどうのこうの」で満たされてしまって
いるからですね。

そもそも努力なんてのは本人がそう思ってるだけで、本来は何処にも存在しないものです。
なので存在しないものに気を取られるぐらいなら、やりたい事をやりたいようにやって、
余計なものを無くせば恩寵受け入れOKとなります。

手放すだの何だのってスピ系の書籍とかによくありますけど、
要は努力してますとか修行するぞとか、存在しないものをメインにしなければ
良いのであります。

ビジネスマン向けの本とかで「瞑想をしてインスピレーションを得よう!」とか
たまにありますけど、あれもいわゆる恩寵狙いなんじゃないでしょうかね。
ただ難しいのは「瞑想をしてインスピレーションを~」だと、
どうしても「瞑想を頑張る」方向に行きがちな所ですね。

ちょっとまとまりが無くなりましたが、前回の記事と合わせてみると、
何となく感じは掴めるかもしれません。
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最近珍しく忙しかったのですが、ヒマになったのでネットを徘徊してたら
何かヴァイオリン弾くオバハンが躾として子供のゲーム機ぶっ壊したとかで
ちょっとした騒ぎになってたみたいですね。

で、パパイヤ鈴木みたいなオッサンが「綺麗な音を弾ける人は良い人、
だからゲーム機破壊オバハンは悪い人じゃないよ」みたいな
援護射撃だかフレンドリーファイアだかわからない事を言い出して、
またもや騒ぎになってるそうじゃありませんか。

まあ音楽家からすれば良い音を出せるってのは、何よりも優先される絶対的に
正しい事ですから、良い音を出せる=悪い人間ではないというのも
成り立つと言えば成り立つ気もしますが、やっぱりどっかしらズレてる感はありますよね。

以前も書いた気がしますが、人間のキャラってゲームと同じである程度決まっているので、
一つの分野に突出した才能を発揮する人でも、人間性はトンデモないクズだったりとかは
特に珍しい事でもないですね。

が、この「キャラが決まっている」というのは大いに利用できます。

例えば「世界は幻だ、他人は幻想だ、何も起きていないウンタラカンタラ」
唱えている人はスピ系には結構多いと思うんですが、これって何かしら自分にとって
気に入らない事が起きた時ほど唱えだす人が多いと思うんですね。

つまり私の嫁さんが”ゴキブリを見ると発狂して、何が何でもゴキブリを追い詰めて
ぶっ殺す”のと同じで、”気に入らない事があると落ち着くまでスピリチュアルっぽい
まじないを唱える”てのはそれぞれのキャラを現しているだけなんですよ。

という事は何かしら気に入らない事が起きた時にそれを”ひたすら感じる”だけで
「このような役割(キャラクター)なのだ」とわかるわけですね。

そして多くの人はそのキャラの方を自分の主体だと思っているわけであります。
そしてキャラにとって都合の良い解釈なり何なりを期待するから、
堂々巡りになるのです。

起きていることは、本当にただ起きているだけなのに、キャラを通して起きている事を
解釈する事で「ただ起きている」から離れてしまいます。
なので気に入らない事が起きたら、ひたすら感じる事で今まで主体だと思っていた
キャラクターが、実は存在しなかった事を知るのです。

今まで不快だったのは、起きている事が不快だったのではなく、流れをせき止めている事が
不快の原因だったのであります。

流れをせき止めるキャラが居なくなるという事は、流れのままに在るというより
最初から実は流れそのものだったという事ですね。
つまり波ではなく海だった、という事です。











まあ私も偉そうに書いてますけど、この前嫁さんから「ゲームばっかりやってると
プレステぶっ壊す」と脅迫されて大変に不快なんですが、どうしたら良いんでしょうか。
結構前の記事ですが、この記事でネタにした私の悪友、仮面ライダーBLACK
この前メシ食ったんですが、奴の会社は相変わらず人手不足だそうです。

奴が言うには最近の若い奴は待遇が悪いだのヘチマだの騒ぎ過ぎだ、
すぐにブラックだ何だ言うんじゃねえと怒ってました。

「そんなのおまえが経営者として無能なだけだろ m9(^Д^)プギャー」と言ってやりましたが、
奴も「働かざるもの食うべからず」的な考えなんですね。

奴が言ってるのは早い話が供給側をパワーアップすれば儲かるはずだっていう
新自由主義的な感じだと思うんですが、供給側がいくらパワーアップしても
消費者にカネが無きゃモノやサービスが売れるわけ無いじゃないですか。

そして消費者はイコール従業員でもあるわけですから、従業員に十分な購買力を
持たせる、つまりそれなりに給料を出す事で消費が回り、ここで初めて供給側を
パワーアップさせて新たなサービスやモノを売るビジネスチャンスが出てくると思います。

と言ってもいきなり給料上げるのは難しいというなら、もう少し勤務時間その他の待遇を
改善すれば、従業員もやる気が出て職場に愛着を持つと思うのですよ。

職場に愛着があれば、やっぱり居心地の良い職場が潰れるのは嫌だってなるわけで、
もっと儲ける為にどうすれば良いかと自然と考えるようになるし、それが競争力の強化に
繋がると思うんですよね。

職場に愛着どころか「ここには最低限のカネ貰いに来てるだけ」ってなれば、
何かムカつく事があれば会社の商品に農薬ブッコんだりとか、従業員による自爆テロの
リスクは高まるに決まってんですよ。

という事を「そんな事もわかんねーのかよ、さすが高卒 m9(^Д^)プギャー」と煽っていましたが、
どうも奴は納得いってない感じでしたね。
まあ「親の金でFランで遊び呆けてた馬鹿に言われたくねーよ( ゚皿゚)キーッ!! 」
痛い所を突かれたんですけど。

供給側をパワーアップさせようってのは、例えはあまり良くないですけど
家畜にステロイドとか打って無理矢理に肉をでかくして利益を得ようってのと同じだと
思うんですよ。そうじゃなくて家畜の健康管理をきっちりやれば、健康なニワトリは
いくらでも金の卵を産んでくれると私は思いますし、結果的に利益も生まれますよね。

何でも「結果的に」こうなるようになるには、どうするかってのを考えるのが良いと思います。
「頑張って」やるのって大体うまく行かないし、色々と苦痛を伴う場合もありますしね。
スピリチュアル的に言えば、自我が張り切っても意味が無いって感じですか。

なんかごく普通の日記でスイマセン。
私の知人がギャーギャー喚いてたんで何事かと思えば、ここ数日
日経平均株価が爆下げしているみたいですね。

これも神の国日本が森喜朗古墳に2500億円程度も出さないから・・じゃなくて、
以前も同じ事書いたと思うんですけど、何かを予測するっつーのは
基本的に無理だと思うんですよ。

マーケットが上がったり下がったりってのは、早い話が常にマーケットは
上がる銘柄と下がる銘柄を抽選しているって事ですよね。

で、上げた銘柄に当たればマーケット最高や!だし、
下げた銘柄に当たればマーケット最低や!ってなるわけです。

最高や!とか最低や!ってのはどうでも良い感情なわけで、
それ以前にどのような抽選に当たっても良いようにしておいた方が良いと思います。

出来ることは抽選に参加しているって事だけで、それだけ認識していれば良いわけで、
それ以外の事に気が散ると、前述した最高や!とか最低や!の感情に惑わされてしまいます。

株式市場だと、どうしてもああだこうだ考える時間があるので難しいですが、
もっと単純化すると、普通に道歩いてる時も、出来る事は常に抽選に参加してるって事です。

どういう事かと言いますと、その辺を歩いてて前から車が来たとしますよね、
この時点で車が前から走って来るっていう抽選に当たったわけですよ。
ここでやる事といったら普通は横に退きますよね、こんな抽選に当たって最低や!とか
ブツブツ言ってたら車に轢かれますから。

でも殆どの人はこれをやってしまっているんですよ。
抽選結果に対し、これは嫌だとかこれはOKとか、
相当に文句言ってる事が多いと思います。

我々は常に抽選の連続体に居る、というかそれ自身が我々のようなものです。
しかし、抽選結果に対し文句を言っている奴が居るように感じ、そっちの方を自己だと
思っているから、いつまでもあれは最高や、これは最低や、となるわけです。

白と黒のくじ引きの抽選結果を常に白にする事を目指すのではなく、
抽選に従う事
であります。これは別段難しい事ではなく、車が前から来たら横に退くと
同じで、本当は常に出来ている事なんですよ。

何故、”歩いていたら車が前から来た”という抽選に当たった場合には特に文句を言わずに
従うのに、それ以外の事では文句を言うのか、それを見つめ直せば何となく答えは
わかると思います。
仮に夢の中で喉が渇いてしょうがないとして、夢の中で水をくれと願ったとします。
で、結果は水をゲット出来たり出来なかったりでしょう。

それよりも一番手っ取り早いのは夢から醒めてしまえば良いのであります。
夢の中の自分は、もちろん存在しませんが、夢を見ている時はモーレツに
存在感があり、夢の中の自分が怪我したり死んだりするのはトンデモねえと
思いがちです。

しかしながらやはり存在しないものは存在しないのですから、
夢の中の自分を見捨てて、そのままにしておけば良いのです。
夢の中で水を求めても、やっぱりそれは夢であって、根本的な解決には至りません。

ならば夢の中で新たな夢を求めるのは止めて、夢を放置すればとりあえず
見ている夢からは自由になれます。

夢というのは形すら無いものですよね、ですから形の放棄と言えます。

「しかしそれでは私すら居なくなってしまうから意味無いじゃないですか」
思うかもしれませんが、今の私という形を変えたいと思いながら私が居なくなるのは
嫌だとは妙な話
であります。

形を放棄するからこそ、必要な時に応じて形は勝手に現れるのであります。

ずっと世界が続いていると錯覚してしまうのは、私という形をキープし続けているからです。
つまり朝起きてからずーっと「あれも嫌だ、これも嫌だ」と感じる私をどういうわけか
キープし続けているので、そこから時間という錯覚が生まれるのであります。

そしてその「私」の形を変えたい、と思っているのに「私が居なくなるのは嫌だ」と
矛盾した思いを抱き続ければ、結局は同じ事です。

なので、それを変えるには形の放棄をすれば良いのですね。
もうこの夢の内容がどうなろうが知らない、と本心から明け渡せば、
元から形でも何者でも無いものであった、という事を知るのであります。

水を丸い容器に入れれば丸に、四角いコップに入れれば四角くなるように、
前述したように形とは勝手に現れては消えるものであります。
丸い容器から四角いコップに移る際に、私は丸なんだ、丸い形じゃなくなるのは嫌だと
喚いてもしょうがないです。

だって丸い形の水なんて元から存在しないでしょう。












もちろん私も、私という形ではありません。
私は嫁さんに何か言われたときだけ「何でしょうか奥様」としっかり返事をする私、
という形を取ります。

生返事すると機嫌悪くなって超こえーんだもん。

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