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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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昨日、大阪市長と大阪府知事のダブル選挙が行われました。
選挙好きを公言する私としては、今回の大阪ダブル選挙は当然見逃せません。

結果は大阪維新が推す吉村さんと松井さんがそれぞれ市長と知事に当選、
維新完勝となりました。

自民党はまさかの共産党と手を組む形になるという夢のタッグ結成となりましたが、
共産党アレルギーのせいか自民党公認候補は敗れましたね。

というか自民・共産・民主・社民、ついでにSEALDsの皆さんまでもが
手を組んだというのに敗れるとは、これは維新が強過ぎなのか
それとも手を組んだ連中の相性があまりにも悪過ぎたのかよくわかりませんけど。

まあ勝ったと言えど維新は市議会や府議会で圧倒的多数というわけでも無いんですよね。
というか維新以外は全て今回の選挙で敵に回った所ばっかりなんで、
この状況で果たして大阪都構想が進められるのかというと疑問であります。

恐らく橋下さんがいつものように無駄に喧嘩腰になって「既得権益者ガー」
騒ぐんでしょうけど、この記事で私は大阪都構想は脆弱な構想だと書きましたが、
脆弱な構想を差し置いて既得権益者との戦いにすり替えた所で、
政治ってのは誰かを倒せば幸せになれる的なものではなく、どっちを立てれば
マシになるか的なものなので、大阪において少数与党になった維新は
うまく根回しをしていかない限り、やはり都構想は頓挫するんじゃないかと思いますね。

まあ私としては自民党と共産党は夢のタッグはタッグでも
別に最強タッグじゃなかった、というオチがついて面白かったです。
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「生きているのも怖いが死ぬのも怖い」という怖がりな方からメールを頂いたんですが、
死ぬというのは寝る瞬間が知覚出来ないのと同じで、死ぬ瞬間はわかりません。

なので死とは単なる概念であり、そして生もまた、概念であります。

生きていると感じるのは記憶を元に過去を作っているからであって、
過去がこれこれこうだったから今はこうである、と感じて
それが生きているという概念を生むのです。
”今”を記憶で捉える事は出来ないのであります。

ですから今を生きるとか今に在るという言葉は、厳密に言うと偽りの生
生きる事になってしまいます。

何故なら今に在ろうとか何だとかいうのも、今までこれこれこうだったから、
じゃあ今に在ろう、という記憶による過去を元にする行為になりがちだからです。
これが言葉で表す事の難しさでもありますね。

我々は生きているわけでも死んでいるわけでもありません、これは概念でも
何でもなく、言葉で表すとそうとしか表せない事実であります。

しかしこれがわかれば死に対しての恐れも、そして生に対しての恐れ、
将来の不安とか以前の後悔も、全て消えるのであります。

何故なら生も死も勘違いだった、のですから
それらに纏わりついていたあらゆる事も勘違いだったという事です。

こうして不老不死どころか不生不死となりました、おめでとうございます。
リンクにひまじんさんのブログ「RandomWalker」を追加しました。

特にスピリチュアルとは関係無いブログですが、
当ブログは来るもの拒まず去るもの追わずのスタンスなので、
グロ画像掲示板とかで無い限りリンクします。
何故か一部の読者から好評な森喜朗古墳シリーズは基本的にオッサンが
ボヤきながら、神の国日本に対しネチネチネチネチ文句を言う記事なので
興味の無い方はスルーしてください。

話はちょっとスピリチュアルから離れ、何か前回の記事と矛盾しているようにも感じますが、
私は2000年代初頭辺りから日本でも流行りだした新自由主義的な考えは、
あまり好きではありません。

要は政府の介入を少なくし、自由に競争させれば市場は活性化してハッピーだぜって
事ですが、世の中には競争しろって言われても競争そのものに興味が無い人達も
居ると思うのですよ。

競争に参加して勝てばカネも異性も手に入るんだから競争しない奴は
負け組みだって考えなのかもしれませんが、日本が貧しくなったのは競争に勝つために
価格破壊をし、安い賃金で消費者の購買力を奪ったからじゃないでしょうか。

ハッキリ言って、今だに勝ち組負け組みなんて言ってるのは古いんじゃないかと
思うであります。

若者が結婚しなくなったのも、結婚が恋愛という競争を勝ち抜いて得るものという
感じになってしまったからではないかと感じます。

個人的に恋愛は才能の世界だと思います。私の学生時代の友人がそうでしたが、
どんなに馬鹿でもブサイクでもモテる奴ってモテるんですよ。
ちなみに私はモテたんじゃなくて、ただ単に手が早いだけのヤリ捨て野郎でした。

恋愛は才能が要りますが、恋愛と結婚は別物であります。
結婚は見合いとかで誰でも出来るものにした方が良いと思います。
お金の価値が高くなり過ぎてデフレになってしまいましたが、
結婚の価値が高くなり過ぎるのは少子高齢化社会において問題であります。
見合いの本格的な復活は、まさに政府ならぬ”家”が介入すべき事ですよね。

お金に関しても、金儲けは才能の世界かもしれませんが、
お金は誰でもある程度は得る事が出来るものにしなくてはならないと思います。

このまま行けば競走に勝つという大義名分の下に、いずれ労働は全てロボット任せになると
思いますが、そうなると人件費は削減出来ても給料を受け取る労働者が全員失業し、
労働者が働けないって事は、つまり消費者がいなくなってしまうわけで、
その辺はどうなるんでしょうか。競争に勝つ為に収益をもたらしてくれる消費者を
殺してしまったら、一体何と戦ってるんだ状態になってしまいますね。

まあ私なんかは「もう働かなくて良いんや、ロボット最高や!」ってなりそうですけど。

もはや森喜朗が全く関係無いですが、どれもこれも神の国日本が
2500億円程度のショボいカネも出さなかった事が全て悪いという事に
しておくべきでしょう(?)
以前の記事でも書きましたが、思った事は実現します。
というか、思った事を現実として感情や思考は生まれます。

なので特に考えずに行動した方が、余計な概念が出て来ないので良いのであります。

なんて事を書いたら「何も思わずに感じたまま行動する方が全てとの一体感を感じ、
仕事も上手く進んで幸せになりました」
というメールを頂いたのですが、
この読者の方は「しかし私は常に競争を強いられる業種に携わっています。
全てと一体なら他人も自分であり、自分(他者)を蹴落として業績をあげる今の仕事に
疑問を持つようになってしまいました」
と述べておられます。

全てと一体なら自分とか他人という区別すら無くなります。
夢の中に出てくる登場人物は夢の中では自他の区別がはっきり付いていますが、
夢から覚めれば夢の中の登場人物も夢の世界も全て一つであるのと同じです。

しかしながら夢の中でも誰かと競争して勝ったり負けたりをし、
ゲームの中でも例えばドラクエとかでは勇者も魔物も同じプログラミング上の
産物ですが、勇者は魔物をぶっ殺しまくってお金と経験値を稼いでいます。

なので別に他者は自分なのではないかとか悩む必要は無いのですよ。

それは確かにそうですが、他者は自分って事は結局は自分中心に見ているわけで、
「他者は自分」という思いが見事に現実として作用し、「他者は自分なので競争で
負かすのはよろしくないのではないか」という思考が出てくる
わけですね。

問題はそういった偽りの現実を補強するために出てくる余計な思考や感情なのであります。
ですから考える以上、答えは出ません。どんなに優れた答えを見出したと思っても、
今度はその「優れた答え」が現実として現れる
だけだからです。

なのでいくらでも競争して、実績をあげてください。それが見ている夢ならば。

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