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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「麻雀の桜井章一さんについてどう思うか」というメールを頂いたんですけど、
私は桜井さんについては名前は知っていましたが特に著書を読んだ事も無く、
近代麻雀ゴールド(現在は休刊)によく出ていたという事と、
ヒクソン・グレイシーとマブダチという事ぐらいしか知りません。

ちなみに麻雀を知らない読者の為に説明しますと、桜井さんは裏プロとして
20年間無敗だったそうです、ただこれについては御本人が数年前にHP上で
否定しているとの事。まあヒクソンも400戦無敗でしたし、
宣伝の為に数字を盛るのは何処にでもある話ですね。

桜井さんは著書の中でいわゆるスピリチュアルでいう所の悟り的なことを
仰っているようであります。それが麻雀に役立つかどうかは知りませんが、
何らかのリアリティを掴んだ方ではないでしょうか。

桜井さんの主催する雀鬼会の皆さんはとにかくまあ打つのが速い。
速いなんてもんじゃなく、殆ど別のゲームやってるようです。
あれだけでも色んな意味で只者では無いと思います。

で、「麻雀で言う流れだ何だってのもスピリチュアルみたいなもんなの」みたいな事も
メールで書かれていたんですが、個人的にはあんまし関係無いんじゃないかと
思います。

流れがどうのこうのって若い人はともかく、ある一定の年代以上の
麻雀プロはよく言いますけど、麻雀プロのタイトル戦て結構短期戦なんですよ。
短期戦でなおかつある程度は見知ったメンツで打っている事もあり、
大体のクセや打ち筋がわかっている状態なので、そこで瞬間的な閃きで
ファインプレーとかすると流れがどうのこうのと感じるんじゃないでしょうかね。
ある意味アーティスティックな才能がある人ほど流れ論者になるような気がします。

長期的な場合は何でもそうですけど、大数の法則で確率的に収束するので、
延々と期待値的にお得な選択を続けられ、ファインプレーも閃きも必要無い、
ある意味アートと最もかけ離れた単純作業が得意な人が有利だと思います。

なので流れ云々はスピリチュアルとはあんまし関係無いですね、
そもそも流れの定義がよくわからないですし。
まあスピリチュアルの定義って何だよと言われてもこれまた困るんですが。












ちなみにもう15年ぐらい前になりますが、当時某掲示板で
「桜井章一は元コーヒー豆の輸入業者」という書き込みを見たんですが、
本当なんでしょうか。あんな強面の輸入業者は嫌だなあ。
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ある特定の条件付きの幸せというものは絶対に長く続きません、
何故ならそれを感じるためにはどうしても幸せの対極である不幸が無ければ
成立しないからであります。

幸せだ不幸だというと堅苦しいので、もう少しくだけた感じで言うと、
例えば「永遠に音楽を聴いていたい」と思ったら音楽が流れる前の沈黙を感じなければ
なりません、音楽は沈黙の背景に流れるものだからです。

音楽と沈黙は表裏一体であり、どちらかだけを経験するという事は不可能です。
音楽が消えれば沈黙も消え、音楽を聴きたいなら沈黙は感じなければ
ならないのであります。「沈黙は嫌です」「音楽は聴きたくない」と言っているのと
同じです。

同じように「お金だけを増やしたい」というのもあり得ません。
お金があるというのはお金が無い状態と表裏一体であり、お金だけ漠然と
増えていっても一円も使わなければ無いと同じであります。
お金を使って、残高が無くなったからこそ、お金が増えるという現象があるのです。
「貧乏は嫌でござる」「お金要らないでござる」と同じですね。

結局、非二元だ何だと言っても全て表裏一体なのです、
その境目に在る事が肝要であります。

願望にしても、特定の人と結婚したいとか思ったら、それが成就した際には
恋敵を不幸にしているわけです。誰かの資産が増えれば誰かの負債が増えるのと同じで、
個人の幸せは個人の不幸と両建てであります。

つまり幸せな世界は、イコール不幸に満ちた世界でもあります。
金持ちがたくさん資産を持ってお金に囲まれているのは、誰かがたくさん負債を持って
借金まみれになっているからと同じですね。

ですから強く願ったら真逆になったとかは当然と言えば当然です、
幸せを願うとは不幸を願うと同じですから。

じゃあどうするのかって結局は今に在って今を楽しむしかないのですよ。
スピリチュアルの本とかでたまに出てくる”今、幸せになりなさい”とかは、
そういう事であります。

常に境目に在る事です、というか常に境目に居るのがデフォルトなのですが、
多くの人が感情や思考であっちへフラフラ、こっちへフラフラしているのであります。

まあ恋愛に関してはどこかの誰かを不幸にしているといっても
そんな事関係無いぜって突っ走ってしまうのもしょうがないかもしれませんが、
資産と負債の関係と同じく、何かを得る事による条件付きの幸せってのは、
不幸と両建てになって初めて成立しているという事ですね、
よく考えれば当たり前なんですけど。









私の場合は、嫁さんが顔も性格も悪かったので競争率は極めて低く、誰も不幸にせずに
済みましたが、何故か私が毎日嫁さんに怒られるという不幸な状態になってしまいました。
思った事は実現する、というか思っている事が実現していると言うべきでしょうか。

以前、メールで「50万円盗まれたんですけど、どうすれば良いのか」みたいなのを
頂いたんですが、これはさっさと警察に通報すれば良いのですよ。
私なんかにどうこう言うより警察の方が100倍ぐらい解決する確率は高いでしょう。

で、何故お金を盗まれたり失ったりすると人は動揺するのかっつーと、
自分が働いて、働いた結果の報酬だからだと思ってる事が多いからですよね。

でもそれは預金通帳とか給料明細とか見て、日々の仕事の事とか色々思うから
そのように感じるだけであります。
つまり、そう思えばそのように即効で実現するのですよ。

これは貧乏でもOKとか泥棒に入られてもニコニコしてろとかいうわけじゃありません、
自らが陥った因果の流れから抜け出すという事です。

今に集中しろとか今に在れというのは、偽りの現実化から抜ける為でもあります。
偽りの現実になった途端、どんな事にでも様々な因果が絡み、無限のループに
なってしまいます。

なので因果から抜ける事で結果として最も適切なモノが、
それが迅速に警察に通報するとか、あるいは報復の為に殺し屋を雇うとか、
何かはわかりませんが、行動として現れるという事です。

お金に限らずスポーツとかでも「あんなに練習したのに何でや」とか日々の練習を
思えば、日々の練習という思いを通して全てを観るので、やはり「練習したのに何でや」
いう事が即座に実現します。

でも日々の練習とか、普段の仕事とか、それはそれでその時だけであって、
それと結果をわざわざ結び付ける必要は無いのですよ。

結び付けるのがもはや習慣のようになっているので、偽りから抜け出せないでいるのです、
こうして人は偽りの現実と因果の流れに翻弄されるのであった。

そもそも仕事の日々とか練習の日々とか何処にあるのかって話ですよ、
全部思考の中にしか無いでしょう。

因果に絡まれた偽りの現実ではなく、真の現実に在る事が肝要であります。
そしてそれは例えれば波では無く、海になるという事です。
自分が波だと勘違いしていると海の動きに翻弄されてしまいますが、海そのものなら
常に穏やかであります。嵐が来ようが何が来ようが、海は海として存在するのです。
何か旭化成がマンションの杭打ちだの何だのをアバウトにやっちまって
色々と大変な事になってしまっているじゃないですか。
実は以前、ちょこっとだけ不動産業に関わっていた時期もある私としては、
今回の件は他人事とは思えません。

で、ちょっと調べてみると、どうも旭化成の責任者が非正規の人だったという
話もあるらしいですね。

非正規という事は恐らく給料も安いでしょうし、会社の感覚としては何かあったら
コイツの首切れば良いや的にしか考えてなかったと思うんですが、
そういった軽い扱いを受けている人に責任者という立場をやらせる方がおかしいんじゃ
ないでしょうか。多分、バイトリーダーとかスピリチュアルリーダーとか
取ってつけたような肩書きだけはくっつけてたんだろうなとは思います。

扱いが軽い人間に肩書きだけくっつけて何かを任せるってのは、企業にとって
滅茶苦茶ハイリスクローリターンだと思うんですよ。
何でわざわざ勝ち目が薄く、なおかつ負けた時の損失がデカい事をするのか。
競馬好きの孤高のギャンブラーとして言わせてもらうと、全く理解出来ませんです。

話が少し逸れますが、日本人の環境適応能力みたいのって
ゴキブリ並みにすごいと思うんですよ。

戦前は天皇陛下バンザイで死をも恐れない戦闘民族で、アメリカ様にボッコボコに
されてからは、ボコられたアメちゃんの価値観を普通に受け入れて戦闘民族から
銭闘民族になり、不況になったらなったで扱いが軽い派遣社員やアルバイトでも
何となく受け入れて、ブーブー言いながらも何とかしちゃうっていうのは驚異的です。

良くも悪くも今の日本人は不況を受け入れすぎたと思います、
全てを受け入れなさいとか言ってる変なスピリチュアルにでも影響されたんでしょうか。
いい加減少ないパイを奪い合うのではなく、パイを拡大させていく事にシフトすべきだと
思います。

その為には勿体無い勿体無いではなく、「お金ってじゃぶじゃぶ使っても良いんだ!」
思わせる事が肝要だと思うのですよ。以前も書きましたがいつまであんな紙切れに
ビビりながら媚を売って過ごすのか、ビビるのは嫁さんに対してだけで十分なのです。

非常にしつこいですが、神の国日本が森喜朗古墳に2500億円程度も出せなかった事は、
すっかりデフレと少ないパイの奪い合いに適応してしまった日本人の意識を
シフトさせるという事に対して、致命的な失敗だったと思います。

今の日本は不況に適応しているくせにパイを多く得ている人間に対しての
妬みだけは蔓延しているという、非常によろしくない状況だと感じます。
スピリチュアルでは無いですが、縮小していく個人ではなく、拡大していく世界を
体現しなくてはならないと思いますね。

というわけでオッサンのぼやきでした。
先日、嫁さんの買い物の付き添いで某ショッピングモール行ったんですよ。
嫁さんの買い物はとにかく長いので、私は映画館に避難してとりあえず映画でも
観ている事にしたのであります。

で、何を思ったのか現在絶賛公開中のO川隆4先生製作総指揮の映画を
観たのであります。(ネタバレはありません)

感想を一言で言うとですね、とにかく古い という感じです。
なんつーか、映画のネタになってる部分が20年前の矢追純一スペシャルとか
MMRとかの内容なんですね。あとこれ「V」(ビジター)もちょっと入ってるかなあ。

何というか、宇宙人て居るかもしれないと思いましたね。

しかしスピリチュアルと宇宙人を結び付ける風潮みたいのってここ20年ぐらいですかね。
私がガキの頃読んでた宇宙人大図鑑によると、グレイみたいなのは小人型宇宙人と分類されてて
他にも巨人型、怪物型、雪男型、ロボット型、金髪美人型とか色々あったのですよ。

ていうか金髪美人型って何だよ、私もアブダクションされて
頭にチップ埋められても良いから金髪美人型と結婚したかった。

まあストーリーもそんなに破綻してないですし、一部かなりの超展開もありますが、
なんつーか、O川先生の映画製作がこなれてきた感を感じる事の出来る作品でもありますね。





でも観に行くほどのモンじゃないなあ、
嫁さんにも「またくだらない事にカネ使って!」って怒られたしなあ。

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