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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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森喜朗古墳をネタにしていたら引き寄せの法則が炸裂したのか、
東京オリンピックのエンブレムも使用中止となってしまいました。

これはまあパクリだパクリだとこれだけ騒ぎになれば仕方無いかなという気もしますが、
個人的に何となく暗い印象があったので、新しいエンブレムは明るい感じの奴に
して欲しいですね。

しかし今回の東京オリンピックはケチが付きまくりですね、
しつこいようですが、これは神の国日本が2500億円程度のカネをケチった事から
天照大神あたりからの天罰が下っているのではないでしょうか、なんつって。

しかしですね、色々なものをケチれば結局は全体的にショボくなっていくのは
しょうがないのですよ。
お金の価値が上がり過ぎてしまった事もありますが、お金は大事だから何でもかんでも
安く安くなら、出来上がるものは当然ながら安っぽいものになります。

強引にスピリチュアルっぽい話に繋げると、以前の記事でも書きましたが
一部の物や概念の価値を高く見てしまうと、結局は自我の狭い範疇に篭ってしまいます。
ですからまずはあらゆるものをフラットに見て、そこから様々な物の
本来の役割というか、結局世界は在るべきものが在るという事を知るという事ですね。

少々下品な例えになりますが、肘とチンチンはどちらも同じ身体の一部です。
しかしオナニーの時に肘をしごく人はあまり居ないと思います、それに対しチンチンは
オーガズムを感じる役割があります。

つまりどちらも身体という視点からはフラットですが、役割には明確な違いが
あるという事であります。

全ては意識だとか何だとかは確かにその通りなのですが、あまりにフラットに
まとめ過ぎてて、一歩間違えると単なるお花畑になってしまいます。
統一されていながらも、あらゆるものは役割通りに在るのです。





なんか余計わからなくなったらすいません。
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ここ数日涼しくなってきましたが皆様如何お過ごしでしょうか、
私は珍しく超が付くほど忙しくなってしまい、世界陸上も見れずにバタバタしておりました。

で、この間久々にニュースサイトとか見てたら新国立競技場に冷暖房付けないとか
安倍晋三がほざいているじゃありませんか。以前の記事でも書きましたが、
神の国日本が2500億円程度のはした金も出せなくてどうするんだと思います。

国を挙げてのお祭りでエアコンありませんなんて、これじゃあ大宮夏祭り
何が違うんだって話ですよ。

ここ20年以上の緊縮緊縮の大合唱で日本人はすっかりお金の奴隷になってしまったの
でしょうか。お金が勿体無いから緊縮して節約しようぜなんてお金を大事にしてるんじゃ
なくて、お金に必要以上に気を使っているだけ
だと思います。
これはまさにお金の奴隷であります。

私がガキの頃なんて角川映画の「天と地と」とかが制作費ウン十億とか自慢してた
記憶があるんですが、今じゃ娯楽や祭りにカネかけるなんてとんでもねえとされる時代に
なってしまったとは嘆かわしいですね。

お金が大事だと思っている限り、いつまで経ってもお金の奴隷からは抜けられません。
お金の奴隷とは強欲とかではなく、前述したようにお金に気を使って、
お金に媚を売りまくっている事です。

これは金持ちだろうが貧乏だろうが、毎日贅沢していようが清貧な暮らしをしていようが、
お金に気を使い過ぎている限りカネの奴隷です。
そういう意味では今の日本は一億総奴隷になってしまっているのかもしれませんね。
何やるにしてもそうかもしれませんが、常にまとわりつくのが「私が何かを頑張る」という
想いというか概念ですね。

スピリチュアルとかでも「何かを頑張れば、報われる」的な感じで興味を持つ人が
多いかもしれませんが、これは全然違うと思います。

これは実に簡単な話で、例えば今のクソ暑い時期に熱い飲み物とか暖かいセーターを
売ろうとしてもなかなか売れないですよね。仮に従業員雇って、従業員に発破かけて
頑張って営業しても売れないと思います。

少なくとも私だったら、若くて綺麗なお姉ちゃんが売りに来て、なおかつ買うと
一発やらせてくれるとかのオプションが付かない限り買いません。
というか商品はどうでも良いんで私はお姉ちゃんが買いたい。

これは従業員の頑張りが足りないから売れないのでしょうか?
もちろんそんな事は無くて、単純に売る時期を間違えているだけです。
つまり頑張った所で売れるものは売れるし、売れないものは売れないのであります。

多くの人は余りにも頑張る事に重点を置きすぎです、特に日本人は労働を美徳と
考える人が多いせいか、労働というだけで一生懸命やる人が多いようです。

別にそれが悪いとか額に汗して働く奴はアホやとか言うわけではありません。
頑張るのは結構な事ですが、頑張りが報われるかどうかは周りの状況で
殆ど決まってしまうという事です。

なので「何かをしようと思っているけど、やる気が起きない。頑張らなくてはならないと
わかっているけど、やる気出ない」という人は、まず”頑張らなくてはならない”と
感じる時点で何処かが違っている
と思うべきであります。

そもそも”頑張る”とは自由な意志に基づいて何かを行うという事でもあり、
特に自由意志も無いのに頑張るとは妙な話です。

自転車をいくら頑張って漕いでも前に進まないなら、下り坂に行けば勝手に自転車は
進んでくれます。それは自転車がそのような乗り物だからであって、頑張って漕いだから、
とかは在り得ません。今、座っているのも椅子があるから座れているんであって
別に頑張って座っているわけではありません。

世界の全ては”そのように出来ている”のですから、”そのように”の部分に着目すべきです、
そうすると結局は成るようにしか成らん、という事がわかります。
そこで”頑張る”のではなく、成るようにしか成らない方向に流れていけば、”頑張る”者は
居ないので、”頑張ったけど報われなくて、結局無限ループ”に陥る者も居なくなるのです。
「結局の所、スピリチュアルにハマルと何が起きても”全て起きているだけ”
ヘラヘラしているサイコパスみたいな人間になっちまうんじゃないの」とか、
「知らんさんはサイコパスですか」とかの直球メールを頂くんですが、
私がサイコパスかどうかは置いといて、サイコパスのような人間になるというのは
大きな誤解であります。

”全て起きているだけ”というのはゲームで言えば特に問題無くゲームのプログラムが
進行している状態であります、例えばドラクエで「魔物が攻めてきた、うわー」とか
言ってる時に「全て起きているだけだよ」とか言ってる村人が居たらそいつはアホです。

魔物が攻めてくるっつーイベントが特に問題無く起きているから、
”全ては起きている”だけなのです。

しかし、プログラム上に「全て起きているだけだよ」という台詞しか言わずに
ヘラヘラしている村人が設定されているなら、そいつはそのような設定通りに
動くでしょう。
つまりドラクエやファイナルファンタジーの登場人物が決まった性格を持ち、
能力も決まっているように、世界は全て起きているだけなのであります。

で、ここで昨日の記事と被りますが、そのようなゲーム内の登場人物と自己を
同一化してしまうと、ゲームキャラの欠陥に悩む事になります。
なので同一化を止め、何も残らないが、何かがある、すなわち宗教で言うとか
スピリチュアルで言う意識とか、某ブログのすき家の意志とかになるべきです。

なるべきですっつーか、実は最初からそうなのですが、同一化によって
自分がゲーム内のこれこれこういったキャラであるという概念に拘束されているので
あります。

スピリチュアルは特定の思想ではなく、全てを包括するものです。
例えば仮にあなたが反原発派で反自民党ならそのような設定のキャラとの同一化を
止め、同時にキャラが設定どおり動いている事を確認していれば良いのです。

これがキャラとの同一化が強いと、何が何でも自民党を倒さねばならない、と
なって確固たる自分がそれ以外のその他大勢の敵キャラと戦う事になります。
そして間違いなく戦いでボロボロになるでしょう。
ゲームのプログラムが、自分がゲームのキャラだと勘違いしてしまった状態です。

実際は全てプログラムが完璧に動いているのであります。
人間は思考して感情的になって勝手に悩んで、動物は適当にメシ食って寝て死んで、
雨は空から地面に降って、雪は地面に落ちて消えるのも、全てそのようになっているから
なのです。そこに自由な意志は一つもありません。
ドラクエで魔王が自由意志を持ち「やっぱり世界を征服するのはやめました、
今日から野球選手になります」とかはあり得ません。

ここで重要なのは同一化とは自由意志を失い、束縛が始まるという事です。
という事はゲーム内のあらゆるものとの同一化が終わる、という事は
真の自由
であり、それこそが言葉に表現できないものであります。

また、束縛された自己が何かを得るとか何かに気付くというのは
絶対にあり得ません、何故なら何かに気付いた自己というキャラ設定に縛られるからです。
海外のRPGとかで何か悟ったような口を利くヨーダみたいなジジイとか居るじゃないですか、
あれと同じで電源切ればサヨウナラです、しかしそのような設定が入っているプログラムは
目に見えませんが存在する、それこそが本体です。
分離とは感情や思考との同一化によって起こるものであります、なので
分離した瞬間に自由意志を持っているという勘違いが起こり、同時に敵と味方が
現れるわけです。つまり私とそれ以外、という奴ですね。

例えば「私は人間である」という思考と同一化したとしましょう。
歩いたり走ったりという動作を自由意志によって行っていると思いますが、
実際は人間である以上、移動する時は歩くか走るかの二択しか無いのですから
これは自由意志でも何でもありません、最初から決まった動作をやっているだけです。

で、これは通常の思考する場合も同じようなモンで、
「スピリチュアル最高や!」となって、ああでもないこうでもないと知識だけ
溜まっていってしまうのはよくある話ですが、これも「私が思考しているのだ」という
同一化によって起きる事であります。

つまり確固たる自分が居て、その自分と同一化し、同一化した状態で居るから
”外側から”来た知識をああでもないこうでもないとこねくり回すわけですね。
自由意志があり、自由に考える事が出来る私だという思考との同一化により、
”考えさせられている”状態です。
これではいつまで経っても同じでしょう。

なので同一化をやめれば良いのであります。
つまり確固たる個人であるという同一化が単なる思考であり、
確固たる個人が居るという証拠を探し回れば良いのです。

恐らく何処にも証拠は見つからないと思います、見つからないって事は、
確固たる個人は、思考や感情と同一化している状態にだけ登場する幻想なのであります。

で、確固たる個人が消滅するって事はスピリチュアルを求めている個人も
同時に消えてしまうのであります。今日の記事のタイトルに対する答えは、
「スピリチュアルをやめて人間もやめる」が正解です。

こうして知識だけ溜まって不自由になっていた個人という対象から解放されました、
おめでとうございます。

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職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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