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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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たまにメールで来るのが「スピリチュアルで金儲けしている人が許せない!」っつー
怒りのメールですね。
実は昨日も来たのですが、とにかく投稿者の方は怒ってらっしゃるのであります。

まあ私としては別にスピリチュアルで商売しようが何しようが勝手にやれば良いと
思うんですけど、何度か書いてますがスピリチュアルって商材としては向いていません。

このブログを見てもわかるように同じ事の繰り返しになるからですね。
根本的に継続的なビジネスに向いてないんですよ、どうしても行き着く先は宗教団体のように
なってしまいます、別に宗教団体が悪いってわけじゃないですけど。
スピリチュアル絡めて商売するなら寺と墓地を経営するのが一番良いでしょう、
今も昔も坊主丸儲けはこの世の真理なのであります。

で、スピリチュアルで商売するのが良いか悪いかは置いといて、
多くの人はお金の価値を勝手に高いものに置きすぎだと思うんですね。

例えば仮に私がスピリチュアルセミナー開いて、お代は水道水の入ったペットボトル一本
とかだったら、多分怒りのメールは来ないと思うんですが、これが一回100万人民元とか
だったら、「お前は不当な金儲けをしているアル!」と中国共産党から怒りのメールが
来る可能性があるわけですね。

結局、水道水はその辺にあるもの、お金はその辺に置いていない価値の高いものであり、
わけのわからん商売で価値の高いものを集めているのはムカつくという心理があるわけです。

あるものの価値は、それをどれだけ失っても構わないかで決まるわけで、
その耐久度みたいのは自分の心が決めているのですね。
昨日の記事にも書きましたが、まずはあらゆる概念から価値を捨てるべきだと思います。

セミナーに参加したお客からすれば、苦しんだり何だで自分の心とか存在に価値を見出し、
さらにお金まで払って効果が無いとなれば、「変な商売で金儲けしやがって!」という
心理になるのはしょうがないですよね。

なのでスピリチュアルを商売にしようと考えている方は、その辺の顧客心理を
考えるべきであります。
仮にセミナー主催者があらゆる価値観から解放された人でも、お客はそうでは
ないのですから って、なんでさっきから私がビジネス指南みたいな事書いてるんでしょうか。

で、話が少々飛びますが、スピリチュアル的な目覚めだ何だというまどろっこしいのを
すっ飛ばして、人類のお金に対する価値観を破壊するには、まず世の中をお金で
ジャブジャブ満たす事
と、次の段階でAIやロボットに投資しまくって労働から人類を
解放
すべきと思います。

やっぱりお金って「これだけ働いて稼いだもの」という労働に対しての価値観もあると
思います。なので全ての労働をAI任せにすればお金の価値は激減し、というか殆ど
必要無いレベルにまでなり、水道水をたくさん持ってる人がムカつくとか思わないのと
同じように、お金もそうなると思います。

まあ今でも「このままAIが進歩すると人類の仕事が奪われてしまう!」とか危惧している人も
居るぐらいなので、一気にお金と労働の価値観を破壊するのは難しいかもしれませんが、
スピリチュアルをすっ飛ばして人類を新たな段階へと進ませるのは、これしか無いんじゃ
ないかと感じる次第であります。

これぞ真のアセンションや! なんつって
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前回の記事と被りますが、何故か自身の悩みだ何だを価値のあるものとして
扱ってしまう場合が多いようであります。

病気や悩みを克服するとは結局それらを克服すべき価値あるものとして
見ているのと同じです、ですからそれを克服した所で、と言うか克服する必要が無いと
わかれば、病気や悩みの価値は急落し、最後は消えて無くなります。

その為には後生大事に抱いている自分というものにも価値は無い
知るべきであります。自分というものには一銭の価値もありません、
無価値です、何のプレミアも付かないゴミみたいなものです。

価値を勝手に見出すから全てがフラットにならないわけで、
全てがフラットになれば結局世界は全て誰かの夢の中、あるいは
最近よく言われる宇宙はホログラムであったとか、何でも良いですけど、
リアリティがあるものなど存在しないという事がわかります。
リアリティの無い世界で価値を求める事自体が本来おかしいのです。

しかしながらスピリチュアルに助けを求めてしまうという事は、
皮肉にも悩みやスピリチュアルに特別な価値を見出してしまうという事でもあります。

この矛盾から抜け出すためには、スピリチュアルは何の効果も無く、
いくら助けを求めても助からないし、どんどん不幸になって死ぬしかないという
絶望を感じまくる事です。

絶望を感じまくっても、別に死にはしないと思います。
という事は絶望自体に人を殺すようなパワーも無いし、パワーがあるかのように
価値を見出していたのは自分自身であったという事です。
こんな殺人パワーも無いショボい無価値な物は捨てるべきであります。

それでもまだ苦しい、と言うならそれは苦しさを大事に抱えているだけです。
大切な苦しさを失いたくない、というのなら抱えているものを無理矢理離せとは
言えないので、そのまま大事に抱えていれば良いんじゃないでしょうか。

でも抱えていても別に何の効果も無いし、やっぱり価値の無いものだと知って
捨てた方が良いと思います。
昨日も似たような事を書きましたが、特定のものに価値を置いてしまうと
どうしても価値のあるものとそれ以外みたいになってしまいます。

例えば病気を克服すれば幸せになれるとかだと、病気が乗り越えるべき価値の
あるもの
みたいになってしまいます。
あらゆるものに価値は無いのですが、同時にそれはあらゆるものが等価値でも
あるという事です。

自分に価値があると思えば、結局はスピリチュアルだ何だも、
その価値を守るための方便になってしまいます。
ですから自分とは価値の無いものであり、もっと言えば存在しないものに
価値をつけて有難がっているのがおかしい
のであります。

価値がある、無いは全て思考の中にしか存在しません。

仮に私の使い古したパンツを当ブログの読者の方が持ち帰って、
これは大変に価値のあるものだと言い出す人も居るかもしれませんが、
当然ながらそれはどう見てもオッサンが履いていた汚ねえパンツにしか見えません。

そのパンツの価値はその人の思考の中にしか存在しないのです。
それと同じで自分の価値というものも思考の中にしか存在しません。

価値が無いものを必死に守ろうとしていたなんておかしな話ですが、
多くの人が価値の無いものを守ろうとしているのであります。

夢の中でデカい宝石を見て何て価値のあるものだと思っても、
夢の中なんですから価値がある無い以前にそもそも存在しないですよね、
それと同じです。

ですから価値の無いものを救おうとかアホな事は止めましょう。
全て価値が無いとわかれば、救いもその辺に転がっています。











個人的に思うのですが、やはり今の日本は長年のデフレのせいで
お金の価値が上がり過ぎていると感じます。
新国立競技場の2500億円程度のショボイ金額がもったいねえとか
言い出すレベルですからこれは深刻であると思います。

オリンピックという国を挙げてのお祭りなんですから2500兆円ぐらい
かけても良いんじゃないのと思うんですけど、これは私の金銭感覚が
破綻しているんでしょうか。

お金の価値を下げる事が、結果的にお金が大して必要無い世界に通じると思うのですよ。
水道水の如くお金が世の中に溢れていれば、金持ちから税金取って貧しい人たちに
寄越せとかの話も無くなると思います。

あいつはペットボトルに水道の水入れて貯めこんでるから寄越せとか誰も言わないでしょう、
今の日本はお金もそれぐらい価値の無いものにする勢いで行くべきではないかと
思いますです。

なんかオッサンのぼやきになってすいません。
最近はそうでもないですが、一時期何故かやたらとカネの悩み相談のメールが
来てたんですよ。ストレートに「お金ください」と書いてあった時は
ちょっと困りましたが。

で、かなりいい加減に答えてしまうとですね、
悩んでる人に共通している事は、前回の鋳型がどうのこうのと被りますが
非常に「狭い」範疇に閉じこもっているっつー事なんですね。

お金の悩みですと、どうしてもお金の存在自体が「少ない」って前提なんですよね。
つまり貯金が少ない、給料も少ない、少ない中でどうするかって事になりがちなんですが、
少ない少ないって悩むぐらいなら逆に腐るほどあると思った方が良いんじゃないかと
思います。

例えば日本で生活している限り水が少なくて困るって余り無いですよね。
蛇口捻ればほぼ無限に出てくるわけですし、基本的に飲んでも害は無いですしね。
(ちなみに私は約10年前、某国に旅に出た時そこの水飲んで腹壊して死にかけました)

つまり「少ない」という思考から全て始まってるわけで、だったら「腐るほどある」っつー
思考から行った方が良いんじゃないかと思われます。
鋳型にハマッたデフレ的緊縮思考ではなく、拡大思考ですね。

この緊縮思考の打破は、カネの問題だけでなく様々な事に応用できます。

例えば「私は病気なんです、病気が治らないと幸せになれないんです」ってのも
幸せなんて腐るほどある価値の低いものだという思考から始まれば、別に病人だろうが
キチガイだろうが幸せになれると思います。

「私は引きこもりですが、引きこもりが治らないと彼女も出来ないんです、
出会いも無いんです」
ってのも、女なんて腐るほど居る、引きこもり萌えの女も
その辺に居る、女なんて窓から入ってくるという思考から始まれば、
別に引きこもりだろうが何だろうが関係無いわけですね。

つまり幸せだ何だに条件は本来要らないのであります。
条件を付けると幸せの価値が高くなってしまう、だったら幸せの価値を下げてしまえば
良いのです。
(下げるって言うと語弊のある言い方ですけど)











まあ私は若い頃から女なんて腐るほど居るぜって思ってたら
気が付くと顔も性格も悪い女と一緒になっていましたが、世の中そんなもんです。
たまに「暗い性格を直したい」みたいなメールを頂くんですが、
別に直す必要も無いと思います。

そもそも性格だ何だというのも全て鋳型みたいなもので、
変える必要も無いし、変わらないものです。

スピリチュアル好きな人だと無理矢理ポジティブになろうとして、実際になる方も
居ますが、それはハトを黒いペンキで塗ってこれはカラスですと言ってるようなものです。
見た目がカラスでもハトはハトのままであります。

あらゆるものは全て最初から鋳型みたいなものである、という事は
その鋳型に気付くものは完全に自由であるという事です。

ネガティブな性格なら、根本的にはずっとネガティブであります。
それで悩むという事はネガティブな私という鋳型にハマってしまい、
さらにその鋳型を無理矢理変形させようとしている事になります。
これは正直言って無理ゲーです。

ですから変えようともせず、そこから離れれば良いのです。

ガンタンクに乗ってて何だよキャタピラで移動するしかねーのかよと
文句言っても、ガンタンクはそういう形のモビルスーツなんだからしょうがないのです。
だったらガンタンクから降りれば良いという事です。

ガンタンクから降りた後も、キャタピラしか無いのかよとたまにイラっとするかも
しれませんが、既に降りたのだから少なくともガンタンクでは無いし、
いかなる鋳型からも離れたという事です。

こうして偽りの自己は死に(文字通り本当の死です)世界だけが在りのままに
存在するようになりました、おめでとうございます。

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自己紹介:
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