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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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スピリチュアルにおいては「自己の思考、感情をただ眺める」という方法が
よく勧められています。

が、いずれは眺めている者も消えてゆくものであります。
以前も書きましたが、そもそも「何かを眺める」とは「眺めている者」が
居なくてはなりません。

何かが起きている、でもってそれを眺める、という事はですね
ややこしい言い方をすると何らかの事象が起きたらその事象を眺める者が現れる、
という事象が起きなくてはならない
のであります。

例えばいきなり何かがボカーンと爆発したという事象が起きても、
その爆発を眺めている者という事象が起きないと、事象は成立しないのですね。

つまり事象というものは全てを(爆発と、それを眺めている者)ひっくるめて
初めて”事象”なのであります。

ただ眺める、とは最初からある事象が成り立つために必要な要素なのですね。
しかし眺める方に焦点を置く事で余計な思考や感情から距離を置けますから
良い事は良いのです。

しかしながら結局は事象の中に居るだけというのも事実であります。

まあこれはよく考えれば当然で、前述した何かが爆発したという事象も、
爆発そのものと、それを眺める者が居て初めて事象として成立するのですから、
これは言い換えれば腕立てやってて右腕が痛くなってきたから左腕の筋肉に
意識を持ってきている
のと同じです。

確かに右腕の痛みからは距離を置けるでしょう、
しかし腕立て伏せという事象からは一歩も出ていません。

では事象から抜け出す(?)にはどうするかという話ですが、
これは文章だと説明しづらいですが、要は全て全自動であるというだけです。

歩いたりメシを食ったりしてるのも、何かを考えたりしてるのも、
全て己の意志など無く、自動で行われているという事です。
夢を見ている時も、仮に自分が夢の中で何かやっていると思っても、
それは夢の世界で全て自動に行われているというのと同じです。

全て自動である、と言っても結局は世界の理(ことわり)みたいのには
従って進むわけで、例えば物を離せば下に落ちるし、自転車を漕げば宙に浮いたりせずに
地面を進みます。

つまり在るのは理だけだったのであります。
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「スピリチュアルで今に在るとか今を感じるとかあるんですけど、
一瞬そのような状態に入れるんですが長続きしません」
というメールを頂きました。

”そのような状態に入った”というのは、言い方は悪いですが、ぶっちゃけ妄想だと
思われます。

これはDVDとかで映画を観ているのをイメージするとわかりやすいです。
例えば〇福の科〇とかがスピリチュアル超大作を作ったとして、
その映画の中で主人公が「私は今この瞬間に気付きを得た」とか「今と一体となった」とか
「エ〇・カ〇ターレが降臨した」とか言ってるとします。

主人公は映画開始から1時間後に今に在る状態に覚醒するかも
しれませんが、映画を観ている方はチャプターを戻したり進めたりする事で
主人公が覚醒する前も後も自由に見れます。

つまり映画を観ている方からすると、主人公の覚醒前も覚醒後も”今”なんですね。
何かに気付くにせよ、目覚めるにせよ、それを”得る”ためには”得る前”が
必要
となります。

しかし映画を観ている側からすると、得る前もクソも同じ今しかないので、
スピリチュアルで何かを得たとか何かに気付いたというのは、実は全てあり得ない、
ぶっちゃけて言えば映画の登場人物の戯言、妄想なのであります。

ですから本質は映画の中の登場人物ではなく、映画を観る方、もっと言えば最初から
全てが映画そのものなのです。









何で幸〇の〇学の映画をネタにしているかというと、
私が高校生ぐらいのときに「ノストラダムス 戦慄の啓示」っつー映画があったのですよ。
で、この前実家に用があって、ついでに色々漁ってたら何とその映画のビデオが
発見されたんですね(買ったのか貰ったのかも覚えてない)

この映画、特撮とかCGとかは結構すごいですよ、内容は全然覚えてないですが。
何故かyoutubeで予告編が見れるので、興味のある方は見てください。
「自由意志が無いという事は何か危機が迫っても選択の余地は無いという事なのか、
常に最善の、無敵の選択をしたい」
というメールを頂いたんですが、
そもそも何で自由意志が無いと困る(と感じる)かっつーと、
例えばパンチが飛んで来た時に右に避けるか左に避けるかで、右に避けたら大丈夫だけど
左に避けたら直撃して死亡
とかいう状況になったら、やはり自分の意志で右に避けるのを
選択したいって事ですよね。

しかし逆説的に言えば、どちらでも自分に影響が無いとしたら別に自由意志など
要らないのではないでしょうか。

映画を観ていて、映画の登場人物が選択を誤って死んでも、
別に観てる方は死なないのですから、登場人物が死のうが生きようがどちらでも良いし、
全て流れるままに在ると思います。

川の流れは決まっています。
しかしどう流れようが川に影響は無いのですから、特に流れをせき止めようともしない
はずであります。

どう流れようが影響は無いのだから、わざわざ己の意志で捻じ曲げようとする必要は
無いのです。そして影響が無いという事は既に不幸では無い、という事です。

それでも不安だ何だを感じるなら、影響を受ける私とは何処に居るのか探すことです。
何処にも居ないと思います。

あらゆる痛みも何も、全てこちら(私)が影響を受けるものではありません。
影響を受けないのなら、別に意志がどうのこうのは必要無いでありませんか。

無敵とはスターを取ったマリオのようにあらゆる敵をブッ飛ばすのではなく、
最初から敵=こちらが影響を受ける(と感じている)もの が居ない状態なのです。
当然、敵が居なければ敵をどうにかしようとする私も居なくなります。

なので無敵とは、無私でもあるのであります。










非常にどうでもよいのですが、数日前に南浦和駅に突如として出現した
馬の生首オブジェは何なんでしょうか。
嫁さんは「新名所が生まれた」とか言ってましたが、どう見ても名所になりそうな
感じでは無いですねえ。
たまに競馬の事を書くせいか「競馬の予想の仕方を教えて」みたいなメールを
頂く事があるんですが、基本的に私は予想とかしません。
もちろんオッズとかパドックとかは見ますけど、特に深く考えて予想とかはしないですね。

スピリチュアルっぽい話に持っていくとですね、
競馬で走ってる馬は「自分に賭けてくれている人を勝たせよう」とも思っていないし、
逆に「負けさせよう」とも思ってないですよね。

つまり、お馬さんはただ走っているだけなのであります。
競馬の例えがわかりづらい場合、株式市場でも同様です。
株式市場は特定の誰かを儲けさせようともしていないし、損させようともしていません。
ただ市場は存在する、それだけです。

これと同じで、意識というものは誰かを幸せにしようともしていないし、
不幸にしようともしていません。
ただ存在するというだけです。

「自分だと思っているもの」も意識の投影なのですから、「自分だと思っているもの」が
ああだこうだ喚いた所で意識は知ったこっちゃないという事です。

意識との統一とか何だとか、仰々しい表現がスピリチュアルだと出てきますが、
「自分だと思っているもの」からのアプローチだと上手くいきません。
何故なら自分と意識という、別々の物が統合されるようなアプローチになっていますから、
意識の投影のはずの自分が、何故か意識から独立して活動している事になってしまいます。

意識は幸せも不幸も感じませんし、ああしようこうしようとも思いません。
なので意識そのものになるには、ああなるべきだ、こうなるべきだというのは
放棄しなくてはなりません。

競馬で言えば、競馬そのものとはただ単に馬が走っているという事だけです。
儲けるも損も無い、予想も何も無いのが”本来の”競馬なのであります。

ですから儲けようとも損したくないとも思わず、特にああだこうだ予想もせず、
競馬と一体になる事が本来の在り方であります。

なのでギャンブルだ投資だを余裕資金で行った方が良いのは、
余裕資金なら失っても特に何とも思わないからです。

以前も書きましたが、余裕資金ならそれを失うリスクを受け入れる事が容易だからです。
競馬は、というか意識は、資金を増やそうとも減らそうとも思っていませんから、
リスクを受け入れられるという事は、それだけ本来の意識の体現をしているという事なのです。

川の流れを知るなら外から見てああだこうだ考えるより、飛び込んでみて自ら流されれば
すぐにわかるのと同じようなものですね。
その時、川の流れと川の流れを見る自分は居なくなっています。
川すら無くなり、流れだけがあるのであります。











何だかんだで今年も一週間後にダービーですね。
結婚してから顔も性格も悪い嫁さんに競馬禁止令を言い渡されていましたが、
ダービーだけは買ってもよろしいというありがたい御言葉を頂いたので、
当日は東京競馬場に突撃する予定です。
昨日、大阪都構想の是非を問う住民投票が大阪市で行われました。
選挙好きを公言する私としては、今回の住民投票は当然見逃せません。

結果は大接戦の末に反対派が勝利し、大阪都は幻と消えました。
橋下さんも政界を引退し、弁護士に戻るとか言ってますね。

私は橋下さんは別に嫌いではなく、むしろキャラ的には好きなタイプですが、
今回はキャラ先行型の橋下さんの政治能力の無さが露呈したと思います。

一番の失策は議会を軽視して住民投票という”決戦”に持っていった事。
これは意味も無く喧嘩腰の事が多い橋下さんのキャラとマッチしていますが、
実際は議会で慎重に議論を重ねて妥協案を模索した方が良かったでしょう。

そもそも大阪都構想は今回の結果を見てもわかるように大阪市を二分するものです。
二分するって事は構想としてはどっちつかず、つまり脆弱という事ですね。
脆弱な構想を住民投票という”最終決戦”に持っていくのは男のロマンを感じるかも
しれませんが、漫画じゃないんですから議会で大阪都構想という”脆弱な”構想を
議論し、妥協案を見出すべきであったというのが私の見解です。

まあ何でもかんでも白黒つけたがる橋下さんの悪い癖が敗因なんじゃないでしょうかね。








私は正直どっちに転んでも良いかなと思ってたんですが、嫁さんは「生理的に無理」という
女性特有のよくわからない理由でアンチ橋下でした。

開票率が90%以上になっても拮抗している票数にどんどんエキサイトし出して、
万が一賛成派が勝ってしまうと私にとばっちりが来ると思い、
途中から「反対派よ勝ってくれ!」と潜在意識にお祈りしてました(?)

祈りが通じたおかげか反対派が勝ってくれて良かったであります。
嫁さんは結果が確定すると「橋下ざまあ、m9(^Д^)プギャー」と言いながら
さっさと寝てしまいました。

まあ今回は稀に見る大接戦で、外野で見てる分には面白かったですね。

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自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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