メールでよく拝見するのが「私は今これこれこうでこうなって、早い話が不幸です。
何故、私はこのような事を選んでしまったのでしょう」というものです。
まあそんな事を私に言われても知らないんですが、
選ぶとは起こる事を選ぶ、という面も確かにありますが、
それよりも起こる事に対しての反応を選ぶ事から始めると良いと思います。
選ぶっつーとまた「目の前で人が死んでるのに良い事にはとても思えません!」とか
なるので、あくまで”良いも悪いも無い”という事に着目すべきであります。
仮に目の前で人が死んだとして、その事は悲しい事かもしれませんが、
別に悪い事ではないし、同時に良い事でもないです。
良いとか悪いとかで反応し、苦しむ”行為者”が居ない、事を知れば良いのです。
そうすれば、何が起きようがそれは夢と同じで内側で起こっている事であり、
何のダメージも与えません。
雨が降るのは内側で降るのであって、あなたを濡らすものではないのです。
で、「全て良いも悪いも無いのはわかりました」となると、今度は
「しかし私は今死にそうなんですが、どうすれば良いんですか」と
見事なまでに振り出しに戻るのですね。
これはまさにそのようなゲーム、あるいはそのような形の川の流れに居るのと同じで、
何をやっても何を祈っても、同じ所をぐるぐる回るようになっているのです。
ですからそのようなループにいる、自由意志も何も無いという事を受け入れる事です。
それらを受け入れるという事は、少なくとも同じ形の流れに居る事を認めるわけで、
認めるという事は、今まで居た川の流れを客観的に垣間見る事が出来たわけですから、
とりあえずその瞬間はループから脱しているわけです。
ですから流れから逆流しようと苦しむんじゃなくて全部認めれば良いのです。
ラーメン屋に入って何故牛丼が出てこないんだと喚くより、
ここはラーメン屋であり、自分の意志ではどうする事も出来ないのだと認めれば
「ラーメン屋に居る自分」を客観的に認識するので、「牛丼を出してくれない!」とか
喚いてないで黙って店を出る事でしょう。
ですから最初に戻ると「何故私はラーメン屋を選んだのでしょう」と言われても
知ったこっちゃないのですよ、ラーメンが気に入らないならラーメン屋に
何故か入ってしまった事を認め、何も言わずに店を出る事です。
「わかりました、ではどうすれば良いんでしょうか」と思った人は
まだラーメンにこだわっています。
ラーメン屋に居ながらにして牛丼を食いたい、つまりスピリチュアルぽく
カッコつけて言うなら「変化を恐れ、現状に留まろうとするエゴ」の現れであります。