忍者ブログ

知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

HOME • Admin • Write • Comment
漫画「美味しんぼ」が福島で被曝して鼻血ブーを描いたとかで
騒がれていますが、私としては美味しんぼがまだ連載されていたと
いう事にまず驚きました。次に原作者の方がプロ市民みたいな人で
これにも驚きました。 

アニメ版は結構見てた記憶があるんですけど、山岡の声がイケメン過ぎて
何か違和感あったなあ。

で、別に鼻血が出ようが何だろうがどうでも良いのですが、
放射能で死ぬのもナイフで刺されて死ぬのも病気で死ぬのも
全て同じ”死”なのに死に方を恐れるのはおかしなものです。

そもそも自分が死んだ事はわかりません、
自分は眠りに入ったのがわからないのと同じ事です。
わからないのに死への恐怖というか、死に方への恐怖があるのは、
幻を恐れているのと同じです。

幻から覚めるためには、北斗の拳ではありませんが「もう死んでいる」
前提で居れば良いのです。

わかりにくければ”死”を”眠り”だと思ってみましょう。
つまり起きている状態が普段の状態ではなく、寝ている状態が
常に自らの状態
であるという事です。

起きて寝るのではなく、常に寝ており、起きていると思われる状態は
勝手に起こっているイベントか何かだという事です。

常に寝ている何者かが全ての背景に居るという事であります。
しかし、寝ている者を見る事は出来ません。夢の中の登場人物が
夢を見ている人を見つけられないのと同じです。

常に寝ているモノを言葉にすると”覚醒”なのかもしれません。
寝ているくせに覚醒っておかしなもんです。






私は震災当初から福島産の食い物を結構食ってたので
かなり被曝したはずなんですが、鼻血ブーにはなっていません。

別に被曝して癌になろうが死のうがどうでも良いのですが、
それよりももしかしたら放射能でエックスメンみたいになれるかも
しれないとか、不謹慎な事を思っておりました。

実際はエックスメンどころか食い過ぎで腹がミュータントタートルズの
ようになってきたので、現在はダイエット中です。
PR
予知能力を身に付けるために修行(?)しているという奇特な方から
メールを頂きました。能力で思い出したんですけど、
若い人も名前ぐらいは知ってると思いますが、私が幼稚園ぐらいの時に
ユリ・ゲラーってオッサンが来日して、超能力でスプーンを
曲げまくったのであります。

ユリ・ゲラーの超能力は後にトリックであると暴露されたそうですが、
そもそも超能力とは存在するのでしょうか。

個人的にはスプーン曲げはともかくとして予知能力っぽい事、
早い話が勘が冴える的な事は出来ると思います。

人間は基本的に予測出来ない事を偶然当てると快感を感じるので、
どうしても予測出来ない事を予測する事に価値を置くのですが、
まずはほぼ確実に予測出来る事に注目すべきと思います。

前の記事でも書きましたが、建物の中に入った瞬間に出来ることは
全て建物の構造に支配されます。天井がメチャクチャ低い小屋で
立つ事は、どんなにポジティブになろうがネガティブになろうが
出来ません。

つまり小屋の中にいる人に自由意志はありません。
全ては小屋そのものであります。

しかしながら、中の人がくしゃみをしたりいきなり歌を歌ったりする
可能性はあります。これは予測出来ません。
と言ってもこれは中の人が人間だから出来るのであって、
中に入ったのが熊だったら、くしゃみはともかく歌は歌わないでしょう。

結局の所、全ては環境(建物の大きさだったり、人だったり熊だったり)で
決まるのであります。

という事は、全ての行動は己の意志などでは無かったという事なのです。
予測出来る事を突き詰めていくと、結局は予測出来ないと思われる事も、
全て予測出来る事に内包されている
事を知るのです。

で、前置きが長くなりましたが全てが予測出来る事に内包されていると
知ると、何となく予測出来ない事が予測出来る、すなわち予知能力っぽい
勘は冴えてきます。

「じゃあこれでバンバン大地震とか大事故を予知してガンガン金儲け
ですね!」
となるかもしれませんが、そうはならないのが面白い所で、
あらゆるものが前述したように建物のサイズ等に支配されていて、
自己の意志が無いとわかると、自己というものの存在も錯覚に過ぎないと
なるのであります。

なので存在しない自己や、それに関わるものの為に予知すると
いう事がヒジョーにどうでも良くなるのであります。
もっと言えば”人生”も楽しいけど、どうでも良いものになります。

まあ予知って言っても私の場合、はやくても地震が来る3分前ぐらいに
パッとわかったり、競馬でもスタートした瞬間に当たり馬券が閃く程度の
糞の役にも立たないものですけど。

どうでも良い感覚とは言葉にすると吉野家に入って
「この店は牛丼が出てくるだろうね」とドヤ顔で予知するような
モンでしょうか。

そんなの実にどうでも良いでしょ、予知能力なんてそんなモンです。
ベトナムでの反中デモでとうとう死人まで出る騒ぎになっているよう
ですが、スピリチュアル系の人は何で世界平和に目覚める確率が
高いんでしょうか。

こんなブログ書いててなんですが、私は別に世界平和とか
人類が平和でありますようにとか、ラブアンドピースとか
イマジンとか、九条の会とか、かなりどうでもよいです。

全ては一つだから争いはやめよう、という事なのかもしれませんが
全ては一つって、文字通り一つなわけで、別に人類が一つって事じゃ
無いのですよ。


そもそも「一つ」って認識自体が自我の勝手な解釈なのです。
それを「人類も、世界も一つ」に強引に持ってくるから
おかしくなるのであります。

全てが一つとは肉体を離れ、空も海も山もその辺のゴキブリも
全てが己であるという事ですが、平和をどうこう言う際には
肉体から観た世界に対して言っている、つまりせっかく一つなのに
わざわざ分離してしまっているわけです。

結局の所、全て一つであった、という衝撃的かつ感動的な気付きさえ
幻想
なのです。気付くという事は何かに気付く前と気付いた後が無くては
なりませんから、これは明確に分離しております。

唯一分離が無い状態とは熟睡時であり、この時はああだこうだ
分離してわめく者は居ないはずです、つまり本質的に平和そのものです。

なので肉体でもなく、人類でもない本質的な一つ、
真の平和は常に現存するのですから、それに在れば良いのです。
度々書いていますが、自由意志はあるように感じますが
実際は無いものです。

例えば、この前スパ銭(スーパー銭湯)行ったんですけど、
スパ銭の建物に入った瞬間に、風呂の入り口に向かって
歩くしか無いわけで、そこに自由意志はありません。

自分の意志で歩いていると思いがちですが、結局は風呂屋の建物に
全て支配されている
のであります。

普段の感情や思考もこれと同じで、過去のトラウマか何か知りませんが
やはり「何か」に支配されているのです。
「私は病気だ」という思いにしがみつけば、あらゆる行為や言動、
感情や思考が「病気だ」という「建物」に支配されます。

ですから自らが作った建物の中に居るのだと知る事であります。

これをロケットで突き抜けると「私もあなたも居ない」高次元存在に
なってしまうのですが、それは置いといて、結局全ては自分が居る
建物に在るのです。

そしてその建物が風呂屋なのか、飲食店なのかを決めているのは
思考や感情であります。

すき家に入ってどうして寿司が出てこないんだと喚いても、
すき家は牛丼チェーンなので、客がいくらポジティブに
なろうが愛を送ろうがネガティブになろうが寿司は出てこないのです。

すき家のバイトの皆さんは自由意志を持って働いているように
見えますが、出来ることは牛丼とカレーを出すことぐらいなのです。
それ以外の行為はありえないのです。

ですから寿司が食いたいならすき家を出て、小僧寿司か
とんでんとか華屋与兵衛とかの和食の店に行けば良いのであります。

ところが何故かすき家で寿司を食うことに執着するのです。
これでは単なる頭のおかしいクレーマーです。

以前、「願望が実現しても喜ぶ者は居ない」と書きましたが、
すき家で無理矢理バイトに寿司を握らせたら、達成感やある種の感動が
あるかもしれません。しかし小僧寿司で寿司が出てきて
いちいち感動してたらこれもまた、頭のおかしな人です。

喜ぶ者が居ない、とはそういう事であります。
読者の方からメールで教えて頂いたのですが、
この記事 ttp://world-fusigi.net/archives/7221891.html は非常に
面白かったです。

特に次元みたいのは12の階層になっているとかの話は実に素晴らしいです、
去年観たドラゴンボールの映画でも「宇宙は全部で12個ある」みたいな事を
破壊神ビルスが言ってたので、次元とか階層は12個というのは
本当だと思います(?)

かなり前の記事に書いた記憶がありますが、私も自分と思っていたものが
居なくなったりとかの経験は有ります。

その瞬間は確かに本当に素晴らしい体験をした、俺ってブッダなんじゃ
ないかとか思いましたが、今思えばそれらは全て単なる病気か何か
であって、特に追い求めるものでは無いと感じます。

確かに驚異的な至福感とかはありますが、だから何だったのかと
いう感じであります。

以前も書きましたが何かを感じる、観るとは感じられる対象や
観られる対象を必要とするので、何かを感じようとするのは、
自ら世界と己を切り離す事であってナンセンスです。

お湯はお湯自身を暖かいとは感じないし、水は水自身を冷たいとは
感じないのであります。なので求める事を止めた時に本当の意味での
リアリティを知るのです。

魚の動きを知る事は出来ませんが、川が流れていれば
結局魚は流れに沿って動くであろう事を知る
感じでしょうか。

川の中にいる魚は、自分が川の流れに居る、川に居るからこそ魚である、
とはなかなか思えません。
しかし一度川の流れに居ると知れば全ては始まりも終わりも無く、
己の意志で頑張って泳いでいたつもりの自分も無い事を知るでしょう。

カレンダー

09 2026/10 11
S M T W T F S
3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

フリーエリア

最新コメント

最新トラックバック

プロフィール

HN:
知らん
性別:
男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
☆を@に変えてお願いします

バーコード

ブログ内検索

P R

アクセス解析

Copyright ©  -- 知らんモンは知らん --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]