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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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ここ数日は何故か似たような内容の悩み相談みたいなメールを頂くのですが、
兎にも角にも「心の声」的なモノに耳を傾け過ぎと感じます。

例えば前からオッサンが歩いて来て、そのオッサンがこちらを睨んできたら
不安になると思いますが、これも「不安だわ」と心が語るから不安になるだけで、
別にオッサンが睨んで来ようが微笑んで来ようがどうでも良いのです。

あくまで問題は「オッサンが睨んでる、怖いわ、不安だわ」とか
「オッサンが微笑んでる、変質者だわ、危険だわ」と囁きかけて来る「声」を
信じてしまう方に問題があるのであって、繰り返しますがオッサンはどうでも良いのです。

全ては心の声を無条件に”真実である”と思い込む事から来ているのが殆どです。

これはギャンブルなんかやってみるとよくわかるんですが、競馬とかで絶対の本命が来ると
わかってるのに「今月は負けが込んでるから」とか言い出して、
何故か突然収支の帳尻合わせを始めだして結局本命を買わなかったり、あるいはその逆で
「今月はツイてるから大丈夫」とか言って、来るわけ無い大穴につぎ込んで大負けしたりします。

そもそも私を含めて競馬場に来るようなアホなオッサンが、突然収支の帳尻合わせを考えたり、
ツイてるからOKとか言い出すのはもっとアホな事であります。

単純に馬券を買いに来ているだけであって、収支を合わせるのも、ツキに任せて
ブッ込むのも、「馬券を買う」という本来の目的から外れています。
外れていますが、何故か「収支を合わせて云々」や「ツイてるからOK」という
心の声が「正しい」と認識してしまうのですね。

この「心の声」が厄介なのは、それに従って行動し、うまくいったように見えると
それが「真理」であるとますます思い込んでしまう所です。
そして「真理」を囁く声の主こそが「私」であるという、確固たる自我が君臨するように
なる
のであります。




で、私はこの前明らかに彼女が機嫌悪そうだったのですが、気にせず目の前で屁をかましたら
ブチキレやがってえらい事になったのであります。

という事は「機嫌が悪そう」という心の声は正しかったのでしょうか?

それも違います、心の声を信じた時点で「私」と「世界」は分離します。
心の声を信じなければ、世界は常に一体となって在ります。
「機嫌が悪そう」と「思う私」が居ないのですから自他の区別は消えています。

でも結局彼女キレてるやんけ、と思うかもしれませんが、
心の声を信じる事で作られた偽りの私を通しての体験と、
何処にも私が存在せずに体験だけが在るのとはまったく違うのであります。
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昨日、何となく日本シリーズ見てましたが、楽天ゴールデンイーグルスの
選手、スタッフ、ファンの皆様おめでとうございます。

私はオヤジが熱烈な巨人ファンで、その反発かどうかは知りませんが
ガキの頃から巨人嫌いです、とにかく巨人が負ければ世界は平和になるので
あります。

というわけで巨人ざまあああというよりオヤジざまあああとなったので
楽天ナインに感謝しますです。


でも買い物はAmazonにします。
前も書いたと思いますが、メールで「世界が幻なのがわかった」と言いつつも
何かしっくり来ないとか、余計に絶望したとか変に悩む方が多いのであります。

何でこのようになってしまうのかというと、
「幻なのがわかった」となるのが曲者なのです。

幻なのがわかるという事は、幻を見る者がいるわけで、
結局は堂々巡りにならざるを得ないのです。

幻を見ているのが「私」なのではなく、全てが幻なのであります。

これは夢と非常に似ており、夢の中では自分の肉体も、自分の思考も、感情も
存在するように感じ、そしてそれらの感じたままに行動しているわけですが、
それらは全て刺激と、それに対する反応であって、別に己の意志でも何でもありません。

夢から覚めればそれらは全て幻というより、何処にも存在していないのは当然です。
つまり全ては最初から存在しない、幻を見ている私など、何処にも居ないのです。



スピ系で不快感に飛び込めみたいな事を勧めるのも、
結局は不快感とは単なる刺激と反応に過ぎない事を知るためっつー意味合いが
大きいんじゃないでしょうか。

不快感そのものは別に己の意志で選んだものでも何でも無く、
単なる反応です。

例えば「これからブッ飛ばす」と言われれば不快感を感じるかもしれませんが、
殴られた瞬間て別に不快感は感じません。
不快感を感じるのはあくまで殴られる前と殴られた直後であり、
ここにヒントがあるのであります。
私が競馬とか好きなんで、自然と周りにギャンブル好きな連中が集まるわけですが、
彼らを見ていて面白いのが「お金を儲ける事」よりも、
何故か「自分の賢さや、勘を誇示する事」が優先になっている事です。

例えば競馬ではありませんが、知人Aがこの前某社の株を買おうとしてたのですが、
結局彼は購入を見送りました。

で、購入を見送った次の日にその会社の株価は下げに転じたわけですが(でもその次の日に
すごい上がった)何故か彼はその事を「損失を回避した俺ってすごいだろ」的な
ドヤ顔で言うので、ただ単にビビッただけじゃねーかボケとドヤ顔に右ストレートを
お見舞いしてやろうかと思いました。

そもそも彼の目的は株を買って利益を出す事が目的だったはずなのに、
散々迷って結局適当な理由で自分を納得させて、俺ってすごいでしょみたいな事を
言い出すのはおかしいのであります。

これでは利益を出したいのか、「損しなかった俺つえええ」がやりたいのか、
よくわかりません。俺TUEEEがやりたいなら株を買わなければよろしい。

結局これは「己の意志で選んだ事を否定されたくない」という自我の防衛手段に
過ぎないのです。

少し話が飛びますが、雨が降ってる時に「何故雨は空から地面めがけて降ってくるのか」と
文句を言う人はあまり居ません。雨が降って来るままに任せているはずです。

永遠に上がり(下がり)続ける株価は既に株式市場では無いし、買った馬がいつも
ブッチギリで、あるいはいつもビリで走ってくる競馬も競馬ではありません。

つまり雨が降ったり止んだりするのと同じで、上がったり下がったり、
馬が勝ったり負けたりなんて当たり前で、それが正常なんですが、
何故か前者に対しては何も文句を言わないのに、後者に対しては
文句を言い出すのが自我の面白い所であります。

前述のように「己の意志で選んでいて、それを否定されたくないから」というのが
自我の言い分ですが、そもそも己の意志なんて無いのです。

ギャンブルに参加した時点で選択せざるを得ないわけで、
簡単に言えば車に乗ってて目の前に分かれ道があったら、右か左のどっちかに
ハンドルを切るしかないのと同じです。

「何故俺は右にハンドルを切ったのか」とか言った所で、そんな事分かれ道が
あったからに決まってる
じゃないですか。

分かれ道に文句を言っているのならまだしも、ハンドルを右に切った事に対して
「右に切ったけど、でもこれこれこうだったから俺は正しい、賢い」とか
言った所で無意味です。ハンドルを切る事が正しいのであって、別に誰も手前の
賢さとか正しさなんて聞いてません。

分かれ道があり、どちらかにハンドルを切る事が確定しているのだから
素直に切れば良いのです。こうあるべきだとか何でこうなんだとか
分かれ道に文句言った所で何も始まりません、宗教っぽく言えば神の意志に
逆らった所で何も出来ない
のですよ。

だったら分かれ道を用意してくれた神に感謝してハンドルを切れば良いだけです。

すき家に入って牛丼がどうぞお食べ下さいと出てきたら、普通に食べて、代金を払うのが
まさにすき家の意志と一体となる事であって「金を払わず店を出る俺はカッコイイ」とか
やらなくて良いんですよ、そりゃただの食い逃げです。
「セドナメソッド等の解放系メソッドをやり始めてから胸が苦しくなりました。
これが解放できていないモノだと思い、解放を続けていますが、痛みが取れません。
要因は色々考えられますが、どうすれば良いのか」
みたいな内容のメールを頂きました。

私はセドナメソッドとか詳しくないので、これは医者に行ってみましょうの一言で
終わりそうですが、病気では無いと思うとも書かれているので、あくまでスピリチュアルな
感じで言わせて頂くと、痛み=解放されていない と取るのはどうなんでしょうか。

そもそも痛みから解放されないと困る何者かが居るから「解放しなくては」とか
「これは悪いものだ」と感じるわけで、それならば痛みをどうこうするより
痛くて困る何者かに居なくなって頂いた方が早いのであります。

そのためには痛かろうが何だろうが感じる事です。
そして痛みを感じるためには「痛い」と知覚する者がいなくてはなりません。
その知覚する者を探せば良いのです。

しかし、いくら探しても居ないと思います。
痛みとは、流れてくる波を捕まえて、それに痛いとか苦しいとか名前を付けていた
だけなのです。痛みは外部から知覚する者に襲いかかるものではなく、
それ自身も己の一部
です。

彫刻家が木材の塊から余計な部分を削り落として、これは木彫りの馬ですとか
やっているのと同じで、己自身という塊から、これは痛みですと取り出して
痛い、痛いと喚いているのです。

木彫りの馬はいきなり湧いて出てきたのではなく、最初から木材の中に
居るのです。つまり木材と木彫りの馬は別物では無く、木材は馬であり
馬は木材であるという事と似ています。

木材と馬のように己と痛みが分離しなくなった時に、痛みは無くなるのであります。
「痛がらせる」には痛くなる対象が必要だからです。

頂いたメールには、痛みの原因は私の過去にあるのではみたいな事も書かれていましたが、
過去生とか因果応報とか輪廻転生とかカルマ(?)とか全然関係無いと思います。

そもそも己が居なくなる、というか分離が無くなれば過去生とか関係無くなりますね、
過去生って誰の過去やねんて話です。





過去生で思い出しましたが、10年以上前に埼玉の草加市近辺と記憶していますが、
そこにあった占いだか何だかの怪しい店に友達と冷やかし半分で行ったら
私の過去生は天狗と言われた事があります。

天狗って(爆)

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

合体と恐竜は男のロマン

メールはsiranwa22☆yahoo.co.jpに
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