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知らんモンは知らん

スピリチュアル系の願望実現ブログと思いきやそうでもない

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「彼女が出来ました」と読者の方からメールを頂きました。
おめでとうございます。

このブログを読んだ事と、彼女が出来たのは何の関係もないと
思いますが、とりあえず良かったですね。

恋愛系はブログ開設当初に、復縁したいというメールがガンガン来て
ビビった事もありましたが、最近は何故か事後報告的なメールが多いですね。

「復縁したのですがやっぱり別れて、また復縁したいと思ってたら
理想的な人に出会えてこの度結婚致しました。前の恋人はどうでも
良くなりました、ありがとうございました」
とか、何でそんな事を私に
報告するのだろうか、そもそも何故私にお礼を言っているのか、みたいな
物もありましたが、まあ何だかんだで皆さんうまくやってるようで何よりです。

亡き祖父も「男にとって金と女と腕力はあればあるだけ良い」とか恐妻家のくせに
偉そうに言ってた記憶があるので、私も今の彼女に飽き足らずに第二、第三の彼女を
作ろうと思います、なんつって。
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以前も書きましたけど、お金の価値ってのはインフレかデフレかで変動するもので、
本質的にはお金そのものに価値は無いです。ハイパーインフレが起きてすき家の牛丼が
3億円とかになったら、1万円札で鼻かんだりケツ拭いたりしても何とも思わないかも
しれませんが、デフレなら1万円がやたらと尊いモノに見えるかもしれません。

スピ系っぽく言えば、お金自体存在しないとも言えます。
ある時は鼻紙に、ある時は輝いて見える紙切れに何の価値があるのでしょうか。

これと同じで上手い下手とか、良い悪いとか、美しいとか醜いも
実は存在しません。そして自由意志と感じるものは、本来存在しない概念に対する
反応でしかない
ものです。眩しければ目を瞑る、熱いものに触れれば手を引っ込める、
若い女を見れば勃起するのと同じものです。

もっと突き詰めれば私という存在も、周りの環境その他で決定されるもので
「私」という感覚、すなわち自我も「反応」に過ぎないのです。

全ては単なる反応なのです。
なので、これをやったら罰が当たるとか呪われるとか、前世のカルマが
どうのこうのとか
どうでも良い事です。

「思考」も反応に過ぎません、全ては反応に過ぎないのだから
反応に過剰に反応(?)する必要はありません。
それは熱いものに触れて手を引っ込めて「何故俺は手を引っ込めたのか」とか
悩んでるようなものです。

「自我」は自分が存在する、と確信したいが故に「反応」でしか無い物を
過剰に評価する傾向があります。前述したように何の価値も無いお金というものを、
反応によって何かとてつもなく貴重なモノのように感じるのもそういう事です。
全ては反応でしか無いと気付いた時、自我は消え真の世界が顔を出すでしょう。

さあ今すぐ1万円札を破り、祟りだ何だを恐れず四谷怪談で有名な
お岩さんの墓に蹴りでも入れに行きましょう、私はそんな事やりませんけど。
つい二日ほど前にどういうわけか、ど根性ガエルに出てくる梅さんにソックリな
オッサンと、コタツでミカンを食いながら日米安保について語り合うという
ファンキーかつクレイジーな夢を見たのですが、何故か夢の中では日本が既に
バリバリ核武装しており、果たしてアメリカの危機に対して日本は何発ぐらい
報復の核ミサイルをブチ込むべきか、みたいな話をしておりました。

ちなみに私は一発で良いんじゃないのと言ってましたが、梅さんは七発撃て
その辺の極右も真っ青の超タカ派でした。ついでにアメリカにも撃てとか
わけのわからない事を言ってましたが、これは本当にどうでも良いですね。

もちろんこれは夢の中のお話ですから、最近書いているように夢から覚めれば梅さんも
日米安保も核ミサイルも全て消滅してしまいますが、ポイントはそこでは無くて
これら夢の世界での「思考」が存在しない梅さんや日米安保に対してのものであり、
ハッキリ言って思考があろうが無かろうがどうでも良いという事です。

思考とは、思考を向ける対象が「存在する」という確信のある時だけ
確固たるモノのように感じられるだけで、実際は単なるノイズです。
なので思考から導き出される物は、全てノイズの片割れみたいなもので
リアルではありません。

しかしながら起きている時は見ている世界が在るように感じられ、夢の中では
梅さんのような超タカ派が存在するように感じ、なおかつ一緒にミカン食ってる。
何も無いはずなのに、全てが在るように感じる。
つまり全てを瞬時に創り出している何かが真の私であります。
何でもかんでも創り出している無限こそ、真の私のはずなのです。

「しかし私は現実に何も持っていない」と思うかもしれませんが、
そもそも現実の定義自体がハッキリしません。
夢の中でもこれは現実と思っているはずですし、起きていてもこれは現実と
思っているはずです。では現実とは何処にあり現実に生きる私とは何処に居るのか、
この問いにヒントがあるのであります。

「現実と、そこに居る私」を探して探して探しまくって、探し疲れた時に
何かが見つかると同時に何も見つけられないという矛盾した事実に気付くと思います。
その瞬間に「現実」と思っていたものがいかに脆い幻影かという事を知るでしょう。




余談ですが私の亡き祖父は太平洋戦争で鬼畜米英とドンパチやった経験からか、
ややアメリカ嫌いっぽかったですが、もしかしたら祖父が梅さんの姿を借りて
出てきたのでしょうか。まあ太平洋戦争で実際に戦った世代は、アメリカって国に
対して複雑な感情を抱いている人は多いんでしょうね。

ちなみに私はアメリカ大好きです。
理由は食い物がデカイから、それだけです。
前回も書きましたが、起きている時も夢の中も熟睡も、皆同じという事が
わかると(わかると、という言い方は少し違いますが)
今までの確固たる自我が海の中に溶けるように揺らいでいきます。

そうなると、もはや自我にとっての問題は問題ではなくなります。
ずっと気になる事があっても、ただ単にそういうものだと感じるようになり、
余計な思考が入ってこなくなります。

そもそも思考とは「自我がある」と勘違いした結果、発生するノイズみたいなもので
それ自体に何の意味も力もありません。

もちろん明日までに片付けなければならない仕事があるなら、普通に仕事をすれば
良いのです。このブログだと度々「ゲームから降りる」という表現を使ってきましたが、
これはゲームを「諦める」「投げ出す」「逃げる」という事ではありません。

やらなければならないと感じる事があれば勝手に行動するでしょう、
夢の中でも何かをやらなければならないと感じる場面では行動を起こすか、
やらないかのどちらかが勝手に出てくるはずです。

夢の中ではそれを自由意志に基づいて行動したと思っていますが、
夢から覚めれば夢の世界自体が消滅するのですから、夢の世界での自由意志に基づいて
いると思った行動も、元々の自由意志も、実は最初から存在しないのであります。

それと同じで起きている状態での行動も、やはり自由意志はあるように感じるだけで
実際は無いのです。結局、それぞれの「世界」で最も適した形態の「自我」が
「私は存在する!」と叫んでいるだけなのです。「ゲームから降りる」とは
その存在しない「私」の声を聞かないというだけの話です。
この瞬間に「ゲームに参加する私」は消え、ゲーム=私となったのであります。

こうなるともはや全てのモノには何の意味もありませんが、
同時に全ての意味を含んでいます。


神様は尊いものではありません、自我が尊いと感じるから尊いのです。
悪魔も悪い奴ではなく、自我が悪い奴と感じるから悪いのです。

ゲーム=私になると善も悪も無く、全てがある種の調和を持ち、
存在しているかのように感じます。
丁度それはスーパーマリオがクリボーやクッパが居ないと優れたゲームとして
成り立たないのだという、当たり前の事を当たり前のように受け入れる状態です。

こうして現実も、夢の中も、あらゆる世界のベースとなっている意識こそが
アタクシであるという、衝撃の事実に気付くのであります。

「しかし現実(起きている時)には継続性があるのでは」と思われるかもしれませんが、
何かを気にしていたり、カレンダーや時計を見ると確かに継続性があるかのように感じます。
しかしそれは自我が継続性を主張しているだけであって、それ以上でもそれ以下でも
ありません。

前述したのと同じように、夢の中でも時計を見たり何かを気にしたりして
継続性があるかのように感じる場面もありますが、目が覚めれば夢の中での時間の
概念は消えてなくなるので、やはり全ては幻なのであります。

この逆で起きている時に夢の中の事をいつまでも覚えているのも、
ある意味自我が継続性を主張している状態です。

私自身も、ちょっと前の記事に書いたグインサーガみたいなオッサンに
理不尽にキレられた事を今だにムカついて、今度会ったら撃ち殺してやろうとか
思ってますが、これは何処を探しても存在しない幻が自我にとっては極めて
リアリティを持って存在しているように感じるという事でもあります。

もっと言えば起きてようが寝ていようが、自我は存在を主張さえ出来れば良いって
事ですね。その主張に耳を傾けなくなった時、初めてゲームのコマからゲームのボードに
なる事が出来るのです。
我々は起きている時に様々な思考や感情を認識し、
様々な人と話したりしていますが、夢の中でも同じ事をしています。

つまり両者は同じであります。
熟睡の状態がベースとしてあり、起きている時も夢の中でも、
全てはその上に描かれた漫画のようなもの
です。
もっと言えば起きているとか夢を見ていたとかも後付けですから、
実際は起きているもクソも無いのですが。

で、全ては漫画でも映画でも何でも良いのですが、
宇宙のパワーを身に付けたとか神と会話したとか波動の法則を
発見したとかは、漫画のキャラがそう言ってるだけで
ベースである「私」、簡単に言えば漫画が書かれている原稿用紙には
関係の無い話です。つまり全てのものは存在しないし、一瞬で消え去る
儚い幻
です。宇宙最強のフリーザも、原稿を燃やしてしまえば
もう何処にも居ないのであります。

「そうは言ってもどうにかして現実を変えたいでござる」
思うかもしれません。それならば自分が全てのベースであり、
何もかも一瞬で消し去り、あるいは生み出している源である事を
認識する事です。

冗談抜きであなたは全てのベースです。
今から寝れば、夢の中でも確固たる世界があり、そこで暮らす人々と
接するでしょう、そして目が覚めればその世界は何もかも一瞬で消えます。
世界も、人々も、その世界での概念も、その世界で自我が感じ、考えた事も、
全てがです。例えその世界で「神を見た」としても、その神すら消し飛びます。

フリーザは惑星一つを消し去りましたが、あなたは惑星はおろか宇宙も、
そして神も悪魔も全てを一撃で吹っ飛ばす存在だったのであります。

それがわかれば、あとはもう漫画の中に居ながらにして
漫画を楽しむだけです。変えるものなど無いのです、
たとえ「変わった」ように見えても自我がそう見てるだけで、
原稿用紙が変わる必要ありません。

昔の人は「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」という
大変に含蓄のある言葉を残してくれましたが、まさにこれであります。

漫画を読んでいる時に、漫画が描かれている原稿用紙は目の前にあるのに
見ていないのと同じです。見ていませんが、絶対に視界に入っているはず
なのです。カッコつけて言うなら「私は何処にも居ないが、何処にでも居る」のです。




カッコつけといて何ですが、あまり坂田師匠関係無かったですね。

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男性
職業:
食う寝る遊ぶ
趣味:
超合金魂
自己紹介:
かなりアバウトな性格の既婚平民

好物はすき家のチーズ牛丼・松屋のカレギュウ

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